6.そして翌日6. 父と娘1.
「あら、盗み聞きなんて、父親としていかがかと思うのですけど?」
少しひとりになる時間がほしいと願ったエミーリアのために、オリヴィエは部屋をでた。時間ができたのでコンラートの様子でも見にいこうと考えていると、部屋のそばに父親の姿を見つけて声をかけた。
「そういわないでくれ。私だって娘が心配だったのだよ」
娘に咎められて気まずい顔をしたハーラルトは、頬をかきながら娘のそばに向かう。
父親がコルネリアをしかるべき場所へ移動し、戻ってきたことは知っていた。昨日あったばかりの父が少しだけ老いて見えたのはきっと気のせいではない。
「コルネリアさまはいかがしましたか?」
「二度とお前たちの前に現れることはない――そう約束しよう」
「……なら、もういいですわ。あの方のことは忘れてしまうことにします」
トビアスとエミーリアには悪いが、オリヴィエはコルネリアに対し、よい思い出など微塵もない。思いだせば、唇を噛みしめたくなるほど苦く辛いことしか思いだすことができなかった。
忘れてしまうのがいい。そう思った。彼女から逃げるのではなく、もう相手にしないのだ。父の言うことが本当ならば、忘れてしまってもなにも問題ない。これからの人生に、コルネリア・アルウェイは必要ないのだから。
「そうしてほしい。お前をはじめ、子供たちには迷惑をかけてしまいすまないと思っている」
「構いません。わたくしたち公爵家が珍しいのではなく、どこの貴族でも大なり小なり家督争いや、側室と正室の諍いなど珍しくないのですから」
貴族だけではない。商家でも、平民でも家督を継ごうとすれば兄弟がいるし、親族もいる。それは爵位で変わることはなく、王宮も同じだ。
今回は公爵家の出来事だったが、王宮が王位継承権争いとなれば国が割れるだろう。貴族たちだけではなく、国民すべてが誰に従うのか決めることとなる。そして、その先には内乱が待っているのだろう。そうなってしまえば、国への被害は大きく、下手をすればこれ幸いと他国から攻められる理由となる。
「そういえば、トビアスはどうしていますか? 確か、婚約者もいたと思うのですが、まさか今回のことで……」
「いや、不幸中の幸いというべきか婚約破棄をされることはなかった」
父の言葉にオリヴィエは安堵する。
「しばらくは屋敷の中でも外でも風当たりは強いかもしれないが、コルネリアがいなくなったことであの子は自由となった。これからは父親としてしっかりと力になっていく」
もう息子を思いのままにしようと思っていた母親がいない。ならば、ハーラルトが父親としてトビアスの力になってあげればいい。
もう成人しているので、してあげることは少ないかもしれないが、それでも家族なのだからできることはすべてしたいと思うのが親心だ。
「本当によかったですわ。トビアスの婚約が白紙にならなくて」
「私もそう思う。正直、覚悟はしていたよ。しかし、当人同士が愛しあっていることと、先方がトビアスをいたく気に入ってくれているからね……」
言葉とは裏腹に、父の顔色はあまりよくない。
「お父さま?」
「実を言うと、トビアスは婿にいくこととなったんだ」
「本当ですか?」
「婚約相手は私の部下の一族なのだが、以前から婿にほしいと願われていたのだよ。先方にも長男はいたのだが、事故で亡くなってしまっていてね。代わりというわけではないが、唯一の娘が嫁にいってしまうより婿を迎えたいと思うのが普通だ」
しかし、公爵家の長男が婿養子にいくなどそうそうない話だ。
「私のせいでトビアスは次期当主として有力だった。そのせいで先方も諦めていたようだが、正式にトビアスが当主候補から外れ、屋敷の中で複雑な立ち位置になった以上、ここにいても辛いだけかもしれない」
「トビアスには?」
「もう話した。トビアスは受け入れたよ。もともとトビアスの恩師である家だ。私などよりもよほど懐いている。義父となる相手はとても優秀で心優しい真面目な人柄であることはよく知っているので、かわいい息子を託すに抵抗はないよ」
それでも長男が自分のもとから去っていくことに寂しさはあるに違いない。父の気持ちがすべてわかるとはオリヴィエには言えないが、表情から少しくらいは読み取ることができる。
「あの子はいらぬ苦労をした。お前ほどではないが、辛い思いもしている。ゆえに、結婚を早め先方の家で公爵家などにとらわれることなく幸せになってもらいたい」
「……お父さま」
「私にとっては少し残念ではあるが、トビアスにとっては悪い話ではない。相手は学者の一族だ。教師になることをひそかに夢見ていたあの子の力になってくれるとも言ってくれていたんだよ。私にできることは、盛大に送りだしてやることだけだ」
そのためにも、すでにトビアスは練習相手としてコンラートに勉強を教えているらしい。
コンラートは純粋に疎遠となっていた兄と接する時間ができて喜んでいるという。テレーゼはコルネリアを快く思っていなかったので複雑なのかもしれないが、トビアスは彼女に礼節を尽くしているので悪感情まで抱かれていないらしい。
これは実質、長男が末の息子の味方であることを知らしめているのではないかとオリヴィエは考えた。
考えすぎかもしれないが、トビアスの教師としての才能を図るためではなく、まるでコンラートのための行動にも思えなくない。
――まさかね。
気のせいだとオリヴィエは、自分の考えに苦笑する。
もしも、オリヴィエの予想した通り、長男のトビアスが末の息子であるコンラートの面倒を見て、母テレーゼにもよくしているのならば、家人や他の側室はどうおもうだろうか――まるでコンラートこそ父の後継ぎだと思うかもしれない。
しかし、考え過ぎだろう。もし、父になにか思惑があったとしても、立場の悪いコンラートに味方をつけてあげようと思っているのかもしれない。いや、もしかすると、風当たりが強いトビアスに、打算などでは行動しない素直なコンラートをそばに置いてあげたかっただけなのかもしれない。
――長い間、人を疑うことばかりだったからつい変なことを考えてしまったわ。
オリヴィエは考え過ぎてしまう癖を直さないといけないと、内心思うのだった。