3.そして翌日3. オリヴィエとエミーリア1.
オリヴィエ・アルウェイは久しぶりに、本家に顔をだしていた。
かつては足を運ぶことは少なくとも、そのつど不快な視線を感じることがあったが、今はもうない。
コルネリア・アルウェイというオリヴィエたちにとって最大の敵が消えたことで、彼女たちを悪く言う声もなくなっていた。
もともとオリヴィエはもちろん、ハンネローネも家人から慕われていた。理不尽な要求をすることは一切なく、家人を家族同然に扱っていた彼女たちは貴族としては珍しい部類に入るが、大切に思う気持ちが伝われば嫌われることなどあるはずがない。
対して、コルネリアやテレーゼを除く他の側室と、側室たちの娘たちは家人たちにあくまでも主として高圧的に接していたのだ。
貴族と平民の差は大きい。家人の中には爵位の低い貴族の子女も多くいるが、やはり爵位のせいで扱いが悪いこともあった。
公爵家の息子たちは、いずれ自分が当主になったときのために、家人を無下にすることはしなかったが、そう心がけても母親や妹、姉の態度が悪ければ好かれるはずもない。
家人から好かれていたのは、ハンネローネとオリヴィエを筆頭に、ハーラルト公爵、コンラート、テレーゼ、そしてエミーリアだった。
だが、最近のエミーリアの扱いはあまりいいものではない。家人になにかをされているということではないが、長年彼女の母親であるコルネリアがハンネローネの命を狙っていた犯人だと明らかになってしまったのだ。
それだけでは飽き足らず、温厚で親しみやすいハーラルトが武力をもってして捕縛し、領地の一角に閉じ込めたことは家人のみならず側室たちにも大きな衝撃を与えた。
同じように、エミーリアがオリヴィエに対して、悪い噂を流していたことや、一度は母親に加担しようとしたことも明らかになってしまっている。最後の一線を踏み越えることは踏みとどまり、母の悪事を父親に伝えたことは勇気ある行動だったが、この一件のせいで家族と家人からの反応は――お世辞にもいいものではなくなった。
公爵家令嬢として扱われることは変わらないが、今まで家人に分け隔てなく接していたエミーリアに対し、家人のほうが距離を置くようになった。無論、本人はしかたがないと思っているが、家人たちにも理由がある。
今まで、コルネリアが事実上屋敷を仕切っていたこともあり、ハンネローネとオリヴィエを慕う家人は多かったが、彼女たちへの感情を隠さなければならなかった。
もしも、コルネリアの前でハンネローネを懐かしむ声を聞かれてしまえばなにをされるかわかったものではない。家人の中には、コルネリアにうまく取り入って優遇されていた者もいたが、その多くが悪事を手伝っていたこともありよくて追放、悪ければ投獄された。その中には、公爵家の騎士や魔術師も含まれており、どれだけハーラルトがコルネリアに対して本気だったのかがわかる。
同時に、彼がもっとも大切にしているのがハンネローネとオリヴィエであることがよく知らしめられた一件でもあった。
もうこの屋敷の中で、オリヴィエたちを悪く言う家人はいない。もともとハンネローネたちの味方であった家人は堂々と、他の側室に与している家人は目立たないように――それが今の公爵家だ。
側室たちも、コルネリアの二の舞を恐れており、極力ハンネローネ母子に関わりたくないというのが本音だった。領地運営を必死に学ばせている息子が当主になることを願っているのに、余計なことをしてトビアスのように正式に後継者から外されることだけは避けたいのだ。
一時的なものかもしれないが、静けさを取り戻したアルウェイ公爵家は、久しぶりに姿を見せたオリヴィエに歓迎する者、関わりあいにならないようにする者、怯える者と反応はそれぞれだった。
見知った顔が笑顔で挨拶してくると、オリヴィエも笑顔で応じる。ハンネローネがこの場にいないことが残念ではあるが、今までとは違う屋敷の空気に改めてコルネリアがいなくなったのだと安堵する。
トビアスとエミーリアには悪いが、命を狙われていたのでいなくなってくれたことに喜びしかないのだ。
オリヴィエは案内をしようとする家人に断りをいれると、屋敷の中を懐かしみながら歩いていく。かつてはこの屋敷で育ったが、もう母と婚約者たちと暮らす別宅が自分の住むべき場所だと思っているほど、長く、そして思い出が詰まってしまうほど離れて過ぎてしまっていたことに気づく。
辛い思い出ばかりの本家は懐かしくも、あまりいたいとは思えない。どちらにせよこの屋敷に生涯住むことはない。ジャレッド・マーフィーと出会わずとも、最後には誰かの妻となる運命だった。
いずれは母とも別れなければいけないことから、頑なに、それこそ自分にまつわる悪い噂さえを利用して結婚だけはしないと意思表明をしていた。だが、人生とはわからないものだ。父が見つけてきた十歳も年下の婚約者ジャレッド・マーフィー。初めは母のためにかりそめの婚約者として扱った。しかし、自分たちの抱える問題を知っても逃げださず、それどころか命がけで守ってくれた。
いつしか家族として想うようになり、時間が進むと婚約者として異性として慕っていた。今ではもう彼なしの生活は考えられない。
彼のおかげで母と離れずにすむし、妹同然のトレーネと一緒にいることができる。最近は、屋敷もにぎやかになり、ここ何年かぶりに楽しいと思うことができるようになった。
想い慕う婚約者を思いだすと口元がつい緩んでしまう。必死に取り繕うと、目的の部屋が見えた。
「これはこれはオリヴィエ様。旦那様よりお話は伺っております」
部屋の前に立つ騎士が二人、オリヴィエに向かって深く頭を下げた。
「ご苦労さまです。わたくしが部屋に入ったあと、できれば離れていてくださいませんか?」
「それは……」
見張りと護衛を兼ねている騎士にとって、オリヴィエの願いは返答に困るものだった。
小一時間くらいなら離れることは可能だ。平和になった屋敷で、部屋にいる誰かが襲われることはない。だが、職務を放棄したとも思われたくないのだ。
「ご心配しなくても大丈夫です。父には二人だけでと伝えてあるので、あなたたちに迷惑はかけません。もし仮に父に叱責されたらわたくしを呼んでください。あなたたちのために弁護いたします」
「……いえ、オリヴィエさまにそこまでしていただいてしまったほうがお叱りを受けます。部屋から離れることはやはりできませんが、隣室にて待機するということでいかがでしょうか?」
「ありがとう。わがままを言ってしまったごめんなさい」
「構いません。さあ、中でお待ちです。どうぞ」
オリヴィエの願いをできるだけ叶えようとしてくれた騎士たちに礼を言い、彼らが開いてくれた扉を潜る。
お香の香りが鼻孔をくすぐり、そういえば彼女はお香や花などの匂いを好んでいたことを思いだす。
場所こそ変わってしまっているが、部屋の中身はそのままだおそらく父が部屋から部屋で物をすべて動かすように指示したのだろう。
オリヴィエはすでに椅子に座って窓の外を眺める少女の反対側に腰をおろしほほ笑んだ。
「お久しぶりね、エミーリア」
「お久しぶりですわ、オリヴィエ」
以前、父に願ったエミーリア・アルウェイとの対面。それを果たすために、今日オリヴィエはやってきたのだった。