2.そして翌日2. ジャレッドとルザー2.
ルザーの頼みで二人きりになると、彼は改めて深く頭を下げた。
ジャレッドは止めなかった。そうすることがわかっていたから。そして、彼の気持ちを受け止めようと思っていたからだ。
「ありがとう。今回のことだけじゃない、約束通り母さんを助けてくれたことも。保護までしてくれていたことに、どれだけ感謝の言葉を言えば足りるのか……俺はどうやってお前に恩を返していいのかわからないっ」
「それこそ気にしないでくれ、兄弟だろ。このままじゃあ話ができないからとりあえず、頭をあげてくれよ。せっかくまた会えたんだ、顔を見ながら話がしたいよ」
ジャレッドの言葉を受けてルザーがゆっくり顔をあげる。彼は、感謝と、そして同じくらいの様々な感情から、涙を流していた。
彼がどれだけの経験をしたのか知ることはジャレッドにはできない。ぶしつけに尋ねることも同じだ。だから、どう声をかけていいのかわからない。
こういうときにもっと気づかいができる人間であればよかったのに、と思わずにはいあれなかった。ジャレッドにできることは、泣き止むまで待つことだった。
「……悪かったな。みっともないところを見せちまった」
「気にしないで」
「気にするさ。しないわけはいかないだろ。父親の家のほうまで気にかけてくれていることもそうだ、本当に感謝の言葉もない。体が回復したら、俺は生涯をかけてお前に恩返しをするよ」
泣き止んだルザーは、決意に満ちた顔をしていた。しかし、ジャレッド苦笑してやんわりと断る。
「そんなことしなくたっていいんだよ。何度も言うけど、俺たちは兄弟だ。助けあうのが当たり前だろ」
納得できないと顔をしかめる兄に、ジャレッドは問う。
「もし立場が逆だったら、ルザーだって同じことをしてくれている――だろ?」
「もちろんだ」
「俺もするべきことをしただけだよ。だからもう、恩返しとかそういうのはやめよう。俺たちはどちらが困っていれば手を差し伸べる。一緒に困難にぶつかったらともに乗り越えよう。あの忌々しい施設で、そう約束しただろ?」
「ああ、そうだな。そうだったな。俺は、あのとき、あの施設でお前と出会えてよかったよ。ありがとうな、兄弟」
「俺もだよ、兄弟」
ジャレッドはルザーと力強く拳をぶつけあった。
一緒に過ごした時間は短くも、二人は同士であり、兄弟だということは変わらない。離れていても、同じだ。出会うべくして出会ったのだから。
「……踏み入ったことを聞くけど、お前は復讐をしていないんだな」
「まあね。もうどうでもよくなった」
ルザーが自分のことを一通り調べていることは知っていたので、聞かれると覚悟していた。だが、今のジャレッドにはかつて抱いていた父親への憎しみと復讐心はない。
「そんなもんか?」
「そんなものだよ。正直に打ち明けると、俺は王都に戻ってきたとき一目散に父親を殺そうとしたんだ。それだけの力を手に入れていた自負もあったしね。だけど、俺が見たのは、邪魔な息子がいなくなって喜んでいる父親ではなく、探している父親だった」
予想外すぎる光景に、面喰ってしまったのは言うまでもない。
ジャレッドは戸惑い、困惑し、そして調べた。魔術師として活動し、ロジーナの行方を捜しながら、父親に関して調べた。
そして、知るべきことを知ったので復讐することをやめたのだ。
復讐以上に、ロジーナの行方を捜さなければならない、ルザーの安否を確認しなければならいとするべきことが多かったこともある。
ともあれ、ジャレッドは父親をもう憎んではいない。思うことはあるが、もういいのだ。
「父親のそんな姿を見たら、もうどうでもよくなった。俺はあの男がよくわからないし、これから関わるつもりもないさ。だから、いいんだ」
「……父親っていうのは難しいな。俺も父親には思うことはある」
フィリップス子爵のことなら、理解ができるとは言えないがわかる。ロジーナを側室として娶っておきながら、正室から守ることをしなかった。恥ずべき行為だ。
アルウェイ公爵は、ハンネローネとオリヴィエを守ろうとしていた。別宅を用意し、悪意の手が伸びないように、と。後手に回ってしまっていたので、困難なことはたくさんあったが、昨日、すべてに終止符を打った。
二人を比べるまでもない。
「公爵が話をつけてくれれば会うことになるとは思うけど、短慮な真似はしないように」
「わかってるよ。母さんを悲しまることはしない、お前にも迷惑かけたくない。だから、そんな心配しなくてもいいだろ。これじゃあ、どっちが兄貴かわかったもんじゃない」
「手のかかる兄ちゃんで弟としては大変だよ」
冗談めいたジャレッドにルザーも笑う。
このまま王都で彼と彼の家族とともに過ごしていくことを願わずにはいられない。
公爵任せになってしまうが、フィリップス子爵の件もうまくいってほしい。そのためなら、手伝えることはなんでもしよう。
「そうそう、今度オリヴィエさまと会ってほしいんだ。俺の兄貴に会いたいって言ってくれているんだ」
「オリヴィエ・アルウェイ……お前の婚約者だよな。その、なんていうか、公爵令嬢に気軽にあっていいものなのか?」
「そういうことを気にする人じゃないよ」
むしろ気にされたら怒るだろう。ルザーにではなくジャレッドに。
簡単に想像できてしまい、背筋が冷たくなる。どんな相手と戦うことはできるジャレッドだが、オリヴィエだけは怒らせたくない。
彼女にはいつも笑っていてほしいのだ。
「お前、変わったな」
「そう?」
「あれだけ憎んでいた父親のこともあるけど、なんていうか、あのときよりも優しくなった。目がさ、温かい目をしている。昔のお前は、もっと冷たい目をしていた」
「きっといろいろな人と出会えたからだと思う。ルザーと出会ったことからはじまって、アルメイダ、そしてオリヴィエさま。学園で出会った友人たちと、宮廷魔術師の先輩二人――この二年と少しでいい出会いをしたよ」
悲しい出会いもあった。戦いたくない人と戦った。奪いたくない命も奪った。そのたびに心が冷たく傷を負っていった。
しかし、それ以上にたくさんの温かい出会いがあった。
なによりも――オリヴィエ・アルウェイとの出会いこそ、ジャレッド・マーフィーにとって転機であったと思えてならない。
もし、自分が変わったとするなら、大きな影響を与えてくれたのは彼女だろう。
「ずいぶんと惚れているみたいだな。会える日が楽しみだよ」
「……惚れている、ってことになるんだろうね。恋愛に関しては疎いんだけど、オリヴィエさまのことはとても大切だよ」
同じくらいイェニーたちのことも大切に思っている。
愛情は間違いなくある。家族愛かもしれないし、また違う名前の感情なのかもしれない。
ジャレッドが抱いている感情に名をつけ、自覚できるのはもう少し先だろう。
「そんなお前の婚約者さまはどこでどうしているんだ?」
「彼女は、妹と会っているよ」