0.prologue.
五十代に見えるも歴戦の戦士としての風格と、なによりも王のごとく威厳をもつ男性――ヴァールトイフェルの長ワハシュは、娘とともにウェザード王国王都を歩いていた。
行きかう人々はみな笑顔であり、誰もが彼を暗殺組織のトップなどと気づくはずもない。
「父上、ジャレッド・マーフィーと話をしなくてよろしかったのですか?」
赤い髪を伸ばし、今は戦闘衣ではなくフリルをあしらったエプロン姿のローザ・ローエンが躊躇いがちに訪ねてくる。
娘の趣味に少し頭痛を覚えるも、戦士として戦場にいないときまでなにかを制限するつもりはないので、かわいらしい制服を纏った愛娘からそっと視線を逸らす。
「なに、しばらく王都に拠点を移す以上、いつでも会えるだろう。それに……当の本人が私と話をしたがっていないのだから無理はしたくない」
ジャレッドが甥であるとローザが知ったのは最近だった。年の離れた腹違いの姉がいたことは少しだけ聞かされて知っていたが、物心ついたときにはもういなかった。
まさか一国の宮廷魔術師となり、貴族と結婚し、子供まで設けていると知らされたときは驚きを禁じ得なかった。
「私はリズ・マーフィーという姉を知りません」
「正確にいうならば、覚えていないと言うべきだろう。あれは幼いお前の面倒を見ていたことあった」
「そう、でしたか……ですが、なぜ組織から抜けたのですか?」
娘の疑問にワハシュが足を止める。
顔をあげ、雲ひとつない晴天をまぶしげに眺めると、亡き娘を思いだし笑みを浮かべた。
「あれはもともと組織に属していなかった。いつも隙を見つけては冒険ばかりしている子だったのだよ。魔術を覚えたのをきっかけに、のめり込み――母親が優秀な魔術師だったせいもあってか戦闘者としての基礎を学ぶと、あとは魔術師として生きたいとふらりと消えてしまった」
「許したのですか?」
「ああ、許した。組織に収まらない性格であり、力も素晴らしいものだった。お前も十分すぎるほど才能をもっているが、それは戦闘者としてだ。だが、リズは魔術師としての才能に特化していた。とてもヴァールトイフェルでは制御できない」
当時はすでに暗殺組織となっていたことや、ワハシュの方針として魔術を使うことを禁じていることも理由だった。
魔術師としての才覚を発揮し、戦闘者以上に魔術師であったリズ・マーフィーはヴァールトイフェルという組織はあまりも小さすぎたのだ。
「私から離れるときに親子の縁を切ったつもりだったのだが、それでもあれは平然と戻ってきた。そのたびにお前をかわいがっていた」
「覚えていないのが残念です」
「そうだな。そうかもしれない。私が縁を切ったのだからでていけといっても、ローザとは縁を切っていない、私の都合に巻き込むなと言いたい放題でまるで嵐のような娘だった。そんなリズが宮廷魔術師になったときいたときは呆れたが、結婚し、子をもうけたときいたときには唖然としたよ」
ワハシュは今でも覚えている。
唯一、言うことを聞かない娘だったが、思うがまま生きてくれたことに親として嬉しく思った。
結婚相手に驚かされたのも言うまでもない。しかし、一番の驚きは――早すぎる娘の死だった。
「リズは私にとってはじめての子供だった。だからだろう、死んだことをの聞かされたときはしばらくなにもできなかった。まだ私に、そんな人間らしい感情があるのだと思い知らされた出来事でもあった」
「父上は姉が死んだ理由を知っているのですか?」
「知っている。実を言うと、すべてを知ったのは最近だった。今までは少し勘違いをしていた」
「……どういうことでしょうか?」
「あの子の死因は毒殺だ。しかし、私の娘が毒を盛られて気づかないわけがない」
毒の耐性は人それぞれであるが、リズもワハシュの娘である以上、ただの毒では死なないし、それ以前に不用意に毒を飲んだりしない。
だが、毒殺されたとして処理され、犯人は未だ捕まっていない。
原因の追究も、犯人を捜すこともまともにされていないのだ。
「私は王都にドルフ・エインを殺すためにやってきたが、もうひとつ理由があった」
「まさか……」
「そう――私の娘を殺した者を殺す」
ゾッとするほどの殺気を放ったワハシュに、娘であるローザさえ背筋が冷たくなった。
理由はわからないが、犯人が捕まって罰を受けていないことは妹として許すことはできない。それでも、まだ見ぬ犯人を哀れに思う。
国に捕まり、正当な裁きを受けることができたほうがよほどよかった――間違いなく、そう思ってしまうような目に遭わされるだろう。
そして、自分も哀れに思っても止めようとは思わない。それどころか、苦しんで死ねばいいとも思った。
「こんな街中で殺気立っただめよ、ワハシュちゃん」
父の殺気に引かれ、ローザも物騒なことを考えていると、少女の甘い声が響く。
「……お前は、アルメイダか?」
ワハシュの殺気が霧散され、大きく目が見開かれた。
二人の眼前には、フリルを大量にあしらったドレスに、日傘を差した幼さの残る美少女がいた。桃色の髪を短く切りそろえた少女は、ワハシュの顔を見て懐かしいとばかりに目を細める。
「お久しぶりね、ワハシュちゃん」
「……相変わらず歳を考えない少女趣味だな」
「あなたこそ、いつもおじさんね」
まるで旧友にでも会ったような気さくさが二人には存在していた。
外見だけ見れば、親と子ほど離れているように見えるが、違うらしい。思い返せば、ワハシュも人間の寿命を超えて生きているので、彼の知りあいであるアルメイダも同じなのだろう。
「再会を喜びたいが、聞いておこう――なんの用だ?」
「言うまでもなく、わたしのかわいくてかわいくてしかたがない愛弟子のことよ」
恋する少女のように微笑むアルメイダに、ワハシュは一言、
「ならば場所を変えよう」
そう言った。そして、三人は軽やかに地面を蹴ると、その場から消えた。