44.Epilogue3.すべて見ていた者.
「はじめまして、ドルフ・エインくん――と言っても、君には僕の声は届いていないとわかっているけどね、初対面だから挨拶をさせてもらうよ」
亜麻色の髪を揺らしながら、十代半ばほどの小柄少年が、首と胴体が別れた遺体に向かって挨拶をする。
その姿は不気味の一言だ。
正常な感覚をもつ人間がこの場を目撃すれば、少年が気が触れているのだと勘違いするか、異常だと怯え騎士団を呼ぶかのどちらかだろう。
少年は、転がるドルフの首をそっと持ちあげると、彼の頬を舐めた。
「とても残念だったね。でも、頑張ったと思うよ。まさかヴァールトイフェルを、いいや、あのワハシュくんを裏切っただけではなく、反旗を翻して殺してしまおうと企んでいたなんて、よほど君は実力差が理解できなかったのか――それとも、理解した上で超えようとしたのかな?」
楽しそうに生首に話しかけながら少年はほほ笑む。
「僕はずっと見ていたんだよ。ジャレッド・マーフィーとルザー・フィッシャーの戦いは胸が熱くなったよ。今の時代に、あんな喧嘩のような戦い方をする魔術師が残っていたなんて、少しだけ昔が懐かしくなって心が躍ったよ」
少年はずっと見ていたのだ。
ジャレッドたちが、ノーランド伯爵家を取り囲んだその瞬間から、ずっと戦いを眺めていたのだ。
誰にも気づかれることなく。
「君を助けてあげたかったけど、正直――君は使えそうもないし、下手にでしゃばったせいでワハシュくんと会うのも嫌だったから手を差し伸ばさなかったよ。ごめんね。あまり悪いと思っていないけど、謝っておくよ」
楽しそうに笑いながら、少年は生首を手のひらのうえで弄ぶ。
その姿はまさに異常だった。
「ラスムス様、そろそろお時間です」
「ああっ、ドリューくんはいつもいいところで声をかけるなぁ」
少年――ラスムスは、かつてジャレッドと戦い薬物のせいで暴走し、結果騎士団たちとの戦いで絶命した――と思われながら、復活を果たしていた隻腕の少年ドリュー・ジンメルにほほ笑む。
「君もジャレッド・マーフィーの戦いは見ていたよね。どう思った?」
「彼は相変わらず強い。それだけです」
「僕はね、彼がほしくなってしまったよ。彼だけではなく、プファイルとルザー・フィッシャーも。君と同じように家族にしたいと思ってしまったんだ。反対するかい?」
「いいえ。私も賛成です」
かつて因縁のあったジャレッドに対して、ドリューは冷静に返事をする。
ドリュー・ジンメルは生まれ変わった。ゆえに、過去にあったことなど、もうすべてなかったこととして乗り越えている。今は、ただ愛しい主と家族のために生きる――それだけだ。
ゆえに、強い人間が家族に加わるのであれば、ドリューにとっても喜ばしいことだ。
「ですが、ジャレッド・マーフィーはこちらにはこないでしょう。彼にはしがらみが多い。そのすべてを断ち切って、こちらにくることは――おそらく難しいかと思います」
「うーん。そういう意味ではルザー・フィッシャーとプファイルもそうなんだよねぇ。なら、彼らの大切なものすべてを殺して、殺して、殺しつくして絶望させればこちらにくるかな?」
「間違いなく、恨まれておしまいです。結局敵になってしまうでしょう」
長い時間を生きていながら、いまだ子供のような主にドリューの頬が緩む。
ラスムスは残念そうに肩を落とすと、しかたがない、と意識を切り替えた。
「あの三人のことはおいておくとして、今はドルフ・エインくんのことだ」
「移動しますか?」
「いいや、ここでいいよう。幸い、というべきか建物の上で見晴らしはいいけど、こちらを見られることはないからね」
気づかってくれてありがとう、そう言ってくれる主に深く頭を下げる。
「じゃあ、ドルフ・エインくん。僕の自己紹介をしよう。僕はラスムス。魔人だよ。僕はね、ワハシュくんが放置した君に唯一の価値を見出したんだ。それは、僕の糧となることだよ。意味はわかるかな? うん、わからないよね。でも、おのずとわかることとなるよ」
ラスムスはドルフの額に唇とつけると、そっと首を地面に置いた。そして、倒れる体に近づき、衣服をナイフで破っていく。
「ああ、よかった。まだ君の体には魔力が残っているね。人間は死んでしまうと魔力を失うから、できることなら生きている間が一番なんだけど、それだと相手はすごく痛いからね。僕もそれは望まないんだ。でも、君はもう痛みを感じないよね。だから――ごめんね」
物言わぬ遺体の胸にナイフを突き立て、一気に引く。
胸部から血が溢れるも、ラスムスは気にせず裂いた部分に両手を突っ込み、力を込めて左右に開く。
あばらが砕ける音が響き、血管と神経、そして肉が千切れていく。
「ふう……毎回思うけど、一苦労だよね」
開かれた胸から、心臓が露わとなって見える。
常人であれば目を背けたくなる光景だが、血にまみれたラスムスはもちろん、ドリューも平然としていた。
「じゃあ、今から君は僕の糧のなり、一部となるんだ。ともに歩もう、ドルフくん。じゃあ――いただきます」
大きな口を開けて、ラスムスが心臓に食らいつく。
口回りを真っ赤に染めながら、人間を食らう姿は人外に見える。彼自身が名乗った通り、まさに魔人だった。
ラスムスは、ドリューが見守る中、一心不乱にドルフ・エインの体を食べ続けたのだった。