42.Epilogue1. ワハシュ.
コルネリア・アルウェイがハーラルト・アルウェイ公爵によって捕縛されると、彼女の身柄はアルウェイ公爵家領地に護送されることとなった。
馬車という名の檻に入れられたコルネリアは意識を失っていたが、あえて公爵は彼女を起こした。そして、
「これから見る景色をよく覚えておくといい。二度とお前を外にはださない」
そう力強い声で告げると、コルネリアは顔を真っ青にしてしまった。汚い言葉を吐けないようプファイルよってつけられた猿ぐつわはそのままであるため、彼女がなにかを言おうとしても誰にも届かない。
コルネリアは最初こそなにかを言おうと叫び続けていたが、誰にもなにも伝わっていないことを知ると、意気消沈して言葉を発するのをやめた。
「後日、改めて礼を言わせてほしい」
公爵は自らの手でコルネリアを護送するため、ジャレッドに短く感謝の言葉を告げると、日を改めて礼をしたいと言ってくれた。断る理由はない。
ハンネローネとオリヴィエとも短く言葉を交わし、妻と娘を抱きしめると、公爵は兵とともにコルネリアを連れていった。
残されたジャレッドたちがそろって大きく息を吐きだしたのは言うまでもない。
公爵を待っている間に消えてしまったプファイルはともかく、この場にいるオリヴィエ、ハンネローネ、そしてトレーネは、長年にわたり戦っていた敵が本当の意味でいなくなったことに安堵したのは言うまでもないだろう。
ただし、ハンネローネの心中は複雑かもしれない。コルネリアは幼なじみであり、公爵と三人で幼いころからのつき合いだったという。そういう意味では公爵の心中も察して余りある。
だが、幼なじみを裏切ったのはコルネリアだ。その代償を支払うことになったのだから、ジャレッドとしては自業自得としか言えなかった。
「お疲れさま、そしてありがとう、ジャレッド」
「オリヴィエさまもお疲れ様でした。コルネリア・アルウェイに対しての啖呵はなかなかでしたよ。とても公爵家のご令嬢とは思えませんでした」
「あら、それって褒めているのかしら?」
「もちろんです」
「ふふっ、わたくしは、噂では性格がとても悪いものね。あのくらいの啖呵だったらいつでも言うことができるわ」
彼女からもう母を案じる不安は伝わってこない。
すべてが解決したと心から思うことができるようになるまで、時間は有するかもしれないが、いずれはようやく手に入れた安全と平和な日常を噛みしめることができればいいと願う。
「お兄さまっ、お怪我は?」
長剣片手に駆け寄ってくるイェニーに大丈夫だと笑顔を浮かべると、
「たいしたことないよ。今回は珍しく大けがしなかったんだ」
さも偉いだろうと言わんばかりに胸を張るが、イェニーだけではなくオリヴィエ、そしてハンネローネとトレーネにまでため息をつかれてしまう。
「あなたねぇ……そこは自慢するところではなくて、当たり前なのよっ。たまには無傷で帰ってきなさい!」
「今回ばかりはお姉さまの言う通りです。毎回大けがをしてわくしたちを心配させるお兄さまが悪いので、お庇いできません」
婚約者二人から怒られてしまったジャレッドは落ち込んでしまう。ヴァールトイフェルの離反者、ハンデを負って戦ったルザーに勝利しただけではなく、倒れるような怪我をしなかったのだから誉めてほしかった。
いつも心配ばかりさせていたので、今回は大丈夫だと内心ほっとしていたのだが、そうではなかったらしい。
戦いに赴いた婚約者を案じないわけがなく、怪我をしていなければいいという問題ではないのだが、ジャレッドは気づいていない。もちろん、心配してくれていることは痛いほどわかるが、珍しく善戦し、無事に戻ってきたのだから「よくやった」と言ってもらいたかった。
しょんぼりしているジャレッドに、ハンネローネが近づき感謝の言葉を伝えた。
「あなたのおかげで、わたくしだけではなく家族みんなが救われました。ありがとう」
「お礼なら俺じゃなくて、長年ハンネローネさまを守ってきたオリヴィエさまとトレーネに言ってあげてください」
「そうね、その通りだわ。でも、わたくしはあなたにもとても感謝しているのよ。頑なだった娘があなたのおかげでよく笑ってくれるようになったわ。トレーネもそう。前よりも余裕ができたみたいで、笑顔が増えたの。かわいらしいイェニーちゃんとプファイルちゃんもわたくしにとって家族同然よ。あなたがいたから、今のわたくしたちがあるの。だから、ありがとう」
ハンネローネの感謝の気持ちを、ジャレッドは素直に受け取った。
見渡せば、ハンネローネだけではなく、オリヴィエ、トレーネも感謝の言葉とともに頭を下げている。
ジャレッドは慌てて、彼女たちの頭を上げさせた。感謝してくれるのはありがたいが、そこまでたいしたことはしていない。自分がいなくとも時間がかかったかもしれないが解決していたはずだ。いずれはあのコルネリアであればボロをだしていたはずだし、エミーリアだって心を改めていただろう。
自分にできたのは、解決する時間を少しだけ早めただけだ。その過程で、オリヴィエたちに余計な心配をさせてしまったので、感謝を伝えるのはこちらのほうだと思っている。
とにかくコルネリア・アルウェイの一件が、本当に解決したことでみんなの顔に笑顔が浮かんだ。できることならもう陰らしたくはない。
「さあ、では屋敷の中に戻ってお茶にしましょう」
戻ってくオリヴィエたちにだが、ジャレッドはその場から動かなかった。
「ジャレッド、どうかしたの?」
「お兄さま?」
オリヴィエとイェニーが不思議そうにするも、ジャレッドにはまだするべきことがあった。
それは――ルザー・フィッシャーの洗脳を解くために、ドルフ・エインを倒すこと。
「実は、まだやることがあるんです」
「それは、ルザー・フィッシャーの洗脳を解除することだろうか?」
「――っ」
背後から聞こえた聞き覚えのない声に、ジャレッドは飛びのくと、オリヴィエたちをかばうように腕を広げて魔力を練る。
「誰だ、あんた?」
いつでも戦えるように、力を体内に循環させると、
「待て、ジャレッド! その方と戦うな!」
「ジャレッド・マーフィー! その方は敵ではない!」
プファイルとローザが現れ、見知らぬ男とジャレッドの間に割って入った。
彼らの背後にいる男には見覚えがない。五十台ほどの短く髪を刈りこんだ男性。戦闘者としてか、威圧感がすごい。こうして向かいあっているだけで膝をつきたくなるのは、間違いなく男が強者だからだ。
「構わない、プファイル、ローザ、下がっていてくれ」
男の言葉に、プファイルたちが頭をさげてその場から離れる。
二人を従えることができる人間などそういない。だとすれば目の前の人間は、想像している人物であれば万全の状態ではない今、戦って勝てる自信がない。だが、オリヴィエたちが背後にいる以上、負けることなどジャレッドには許されない。
「身構えなくていい。私は、朗報をもってきた」
「朗報?」
「そうだ。ドルフ・エインは私が自ら殺した。あの男が施していた洗脳魔術を行使する魔力のラインも断ち切ってある。目を覚ませば、ルザー・フィッシャーは洗脳から解放されているだろう。安心しろ、ジャレッド」
「……ルザーに関しては礼を言ってやる。だけどな、暗殺組織のトップが、なれなれしく俺の名前を呼ぶんじゃねえよ。友達だと思われたら困るだろ」
正体はわかっている。この男は――ヴァールトイフェルの長ワハシュだ。
ドルフ・エインが仕切っていたとはいえ、プファイルがオリヴィエたちを狙うこととなった依頼を受けた組織の頂点だ。
胸に宿った敵対心を抑えることはできそうもない。
プファイルとローザに関しては、当事者が許しているため和解できているが、この男とは難しい。なによりも、ルザーはこの男の部下が離反したせいで洗脳されていたともいえる。
「やめろジャレッド」
「やめておけ、ジャレッド・マーフィー。この方は、お前が戦って勝てる方ではない。いや、お前はこの方と戦ってはいけないのだ」
静止の声をあげるプファイルと、よくわからないことを言うローザを、ワハシュは手で制した。
「構わない。ジャレッド・マーフィーの憤りもよくわかる。しかし、よく似ているな。その喧嘩腰の態度も実に母親そっくりで懐かしい」
「――な、に?」
本当に懐かしそうに目を細めるワハシュは、ジャレッドを通じて誰かの面影を見ていた。
なぜ、ワハシュが母を知っていると理解できず、ジャレッドは戸惑うばかりだ。
「どうして、母を知っている、お前は母のなんだっていうんだ!」
「リズ・マーフィーは私の愛しい娘だ。ローザの姉に当たる」
「――う、嘘だっ!」
ジャレッドは動揺を隠せず怒鳴る。
だが、驚いているのはジャレッドだけではない。オリヴィエもイェニーも、そして、屋敷の中から様子をうかがっていたハンネローネとトレーネさえも目を見開いている。
混乱したジャレッドの代わりに、彼の背後から震える声でオリヴィエが問う。
「まさか、あなたは……」
「ああ、君が思う通りだ。オリヴィエ・アルウェイ。私は、君の婚約者の母の父親になる。つまり、ジャレッド・マーフィー、お前の祖父だ」
震える声で問うオリヴィエに対し、ワハシュは暗殺組織のトップとは思えない穏やかな笑みを浮かべた。
「会いたかったぞ――愛しい孫よ」