41.決戦11. ドルフ・エインの最期.
ドルフ・エインは絶句していた。
すべてが想定外だった。見誤っていたといっても過言ではない。事実そうなのだから。
プファイルとローザ・ローエンの実力は知っていたはずにも関わらず、短期間でドルフが知っているよりも強くなっていた。
応援に現れた宮廷魔術師トレス・ブラウエルとアデリナ・ビショフの登場も想定外だったと言わざるをえない。
愚かにも敗北した者たちは、一国の宮廷魔術師を相手に本当の実力をだす前に敗北する始末だ。本気をだせばこちらのほうが強かった――などという言葉は戦場ではなにも役に立たない。
戦いでは最後に立っていたほうが勝者なのだ。
暗殺組織に身を置き何度も死線を潜り抜けていながら、勝利することの重要さを何度も教え込んだにも関わらず、敵対した相手をたかが宮廷魔術師と過小評価して敗北した。
だが、なによりも想定外だったのが、ミアの裏切りとジャレッド・マーフィーの実力だった。
ミアがルザーのために命を顧みず行動することは予想できないことではなかったが、まさかジャレッドに頼るとは思っていなかった。そして、ジャレッドがルザーに勝利するなどと考えもしなかったのだ。
「……なぜジャレッド・マーフィーは身体能力強化魔術を使えた! あれだけのことができる魔術師であると、どれだけ調べてもでてこなかったというのにっ!」
魔力量が規格外だとわかっていたが、眠っている資質はそれ以上だと今回の戦いで思い知らされた。
ドルフ・エインはルザーを洗脳するにあたって、ひとつの魔術を授けた。それが――身体能力強化魔術だ。
現代では失われた魔術ではあるが、ワハシュのもつ文献の中に完全ではないものの身体能力強化魔術の使い方を見つけたのだ。それをルザーに使わせることによって、規格外の剛力を授けた。
希少な雷属性に目覚めていたルザーだったが、ワハシュにも存在を隠していたため魔術を十全に鍛えあげることができなかったことが悔やまれていた。しかし、根本的に身体能力を跳ねあがらせるすべを与えることで、戦闘面では配下の兵の中で最強といえるほどルザーは強くなった。
しかし、結果は敗北した。
他ならぬジャレッド・マーフィーの――完全な身体能力強化魔術によって。
「なぜ、ジャレッド・マーフィーはあの土壇場で失われている魔術を使えた? 使い方を知っていたが、魔力が足りなかった? いや、違う。そんなことはない。なぜだ、どうして――」
「それは資質だ」
「――っ」
自問自答を繰り返していると、背後から低い声がかけられた。ドルフは体を震わせて、驚く。
振り返ることはできない。組織を運営する立場であったドルフだが、戦闘者としての基本的な訓練は受けている。だが、背後の人間の接近には気がつくことができなかった。
なによりも何度も聞いた、忘れられるはずもない声に、恐怖した。
「こちらを向け、ドルフ・エイン。我がかつての同胞よ」
「……ワハシュ」
震える声をだしながら、従い背後を振り向くと、そこにはかつての主であった男がいた。
短く刈り込んだ髪と、無精ひげを蓄えた五十歳ほどの男性。鍛えられた体躯と、王のごとき存在感をもつヴァールトイフェルの長ワハシュ。
黒い戦闘衣の上から、赤い外套を纏った姿はまさに王のようにドルフの目に映った。
気づけば膝をつき、頭を垂れていた。
「お前には世話になった。私は組織を動かすことは苦手であり、お前の父、祖父にも長く世話になったことを常々感謝していた」
ブーツを鳴らしワハシュが近づけば近づくほどドルフの体が恐怖で震える。
「私はお前に寛容だった。いくら同胞を捨て駒にしようと、お前が必要であると思うのなら、心苦しくはあっても堪えようと――だが違った」
「ワハシュ!」
「お前は組織を私利私欲で動かした挙句、私物化しようとした。多くの同胞の命を奪い、幼い子供を理由なく捕らえ暗殺者に仕立て上げた。私に気づかれず行ったことは見事と言いたいが、知ってしまった以上は許せるものではない」
「お、お聞きくださいワハシュ。どうか、お許しを、私にもう一度チャンスをお与えください!」
ワハシュの足にしがみつき、懇願するドルフはプライドなどすべて捨て去り、死にたくないとばかりに涙を流す。
もう彼には使える駒はない。すべて失った以上、できることは命乞いだけだ。
「お前には礼を言おう。お前が反乱を起こしたことで、ヴァールトイフェルの同胞の数こそ減ったが、私への忠誠心が試された。残った者たちは心から信頼し、改めて同胞としてともに戦うことができる」
ワハシュはドルフの懇願を聞き流し、自分の言うべきことだけを選び口にしていく。
「お願いです、ワハシュ! どうか今一度私に機会を、どうか! あなたに魂を捧げます、変わらず生涯をかけてお仕えします。ですから――」
「さらばだ、ドルフ・エイン。代々よく仕えてくれた」
言葉途中でドルフの声が途切れた。彼の胸には一本の短剣が刺さり、シャツを赤く染めていく。
「……ああぁ、そんな」
「そういえば、先ほどお前が叫んでいた問いにすべて答えていなかったな。なぜ、ジャレッド・マーフィーが身体能力強化魔術を使えたのか――それは資質であることが大きい。彼は、その血に宿る魔術師としての才能が目覚めただけではなく、過去に栄えた時代の魔術師たちのように自らが行使する魔術を考える段階に足を踏み入れたのだ」
ドルフはワハシュの言葉を理解できなかった。
「現代の魔術は、過去の遺産から理解できるものだけを抜きだし繋ぎあわせて使っているだけでしかない。だが、ジャレッド・マーフィーは精霊と会話し、触れあうことができる。これは希少だ。そのため、魔術がどのようなものなのか、考える力がある。現代の魔術師のように、あるべきものを使うだけの人間とは違い、魔術に対する欲望がある。ゆえに、使い方を知らぬ魔術でも、使うことができた。戦闘に必要なことを、誰かに教わることなく、自らの知識だけで応じて使用した」
ジャレッドが行ったことは特別なことではない。
ルザー・フィッシャーという強敵を前に、力がほしいと願い、力を得た。それだけだった。
ただし、力は湯水のように沸き上がることはない。なにかを代償にしなければ力を得ることは不可能である。そして、ジャレッドは、魔力を精霊に捧げるように、炎や水に変換するように、力とした。そのうえで、自らに取り込んだ。
技術面ではあまりにも単純だが、もっとも利用された過去の魔術を、戦闘中に必要であるからと再現したのだ。
これは日常的に魔術を使い、精霊と触れあうことができる素質が大きい。現代の魔術師には、精霊に魔力を捧げ力を借りるという発想ができない。精霊魔術という名の技術もあるが、精霊が見えなければ魔力を捧げたくとも捧げられないのだ。
ゆえにワハシュはジャレッドのしたことを資質と言った。
かつて、古の魔術師たちが当たり前に有していたものをもつジャレッドの資質ゆえにと言ったのだ。
「死にたく、ない、助けて」
ドルフにはワハシュの言葉は届いていない。失いかけている命を繋ぎとめたいとしか考えることができない。
「もう私の声が聞こえているのかわからないが、伝えておくべきことがある。お前の敗因は過信だ。そして、ジャレッド・マーフィーについてもっと調べることができていれば、もしかしたら勝利していた未来もあったかもしれない」
「なに、を」
「ジャレッド・マーフィーは――」
ワハシュの言葉を聞き、死にかけていたドルフが大きく目を見開いた。
刹那、彼の首が飛ぶ。
断たれた首から血が吹きだし、地面を赤く染めていく。
「お父さま」
「ローザか」
ワハシュが振り向くと、娘とプファイルが膝をつき頭を垂れていた。
「すべて片づきました。反旗を起こしたものは、すべてヴァールトイフェルとワハシュの名のもとに粛清しました」
「わかった。では、いくとしよう」
「会うのですか?」
娘の問いにワハシュは頷く。
「会おう。ジャレッド・マーフィーに」