38.決戦8. ジャレッド・マーフィー対ルザー・フィッシャー3. 身体能力強化魔術2.
身体能力強化魔術――読んで字のごとく身体能力を強化する魔術である。
魔力を純粋な力として変換し取り入れることで身体能力を強化向上させることにより、常時では使用することのできなかった剛力、鋭敏さなどが明らかに変化する――と言われている。
現代においては再現不可能な魔術だとされているので詳細はわかっていない。
――なぜ現代社会では過去にもっとも使われていた魔術が伝わっていないのか?
答えは簡単だ。あまりにも多用され、生活の一部になり過ぎていたのだ。そのため、使用方法などを残すまでもなかったという説がある。
いつ、どのような理由で身体能力強化魔術が使われなくなったのか定かではないが、ごく当たり前だったのもがなくなり、再現方法がわからないまま現代では名前だけが残っているだけだ。それが身体能力強化魔術だった。
現代の魔術は、魔力を属性魔術に変換することで使用できる。属性魔術以外にも、魔力障壁、治癒などまた別の魔術も存在してはいるが、基本はやはり属性魔術だ。
さらに厳密にいうなれば、属性魔術には精霊の力を意識するしない関係なく借りている。
ジャレッド・マーフィーは、精霊を視るだけではなく意思疎通さえ可能としており、一般的な魔術師が知らずに省いている精霊との交信をあえて行うことで、より強力な魔術を詠唱を必要とせず使えている。
だが、これは稀である。
一般的な魔術師には、たとえ宮廷魔術師だとしても精霊を知覚できるものはいないし、交信することなどもできない。
これができる魔術師が使う魔術を属性魔術ではなく、精霊魔術という。やっていることはかわらないのだが、意識して精霊と交信し力を借りるのとそうではないのでは結果があまりにも違いすぎる。
ジャレッド・マーフィーは大地属性という複数の属性魔術を行使可能な希少性に目がいきがちだが、魔術師として精霊魔術を知る人間であり、その価値がわかる者であれば複数の属性などではなく、精霊と意思疎通ができる彼の資質になりよりも価値を見出すだろう。
当の本人は自分の行っている精霊との会話を特別に思っていないので、周囲に彼の希少価値に気づくことはないかもしれない。だが彼は、今日、この瞬間――ひとつの魔術を再現し、価値をさらに高めたこととなる。
「うらぁあああああああああっ!」
力が血流に乗り、体中を駆け巡るような感覚を受けながら、かつてない力と高揚感を覚え、ジャレッドは拳を振るった。
あれだけ重かった体は嘘のように軽く。振るった拳は、対峙していたルザー・フィッシャーの目に捕らえられることができぬまま彼を大きく殴り飛ばした。
強固に感じていたはずの彼の体が、ただの人間の体に戻ったと思えるが、そうではない。ジャレッドの力が単純に増したのだ。
たった一撃。それだけでルザーは吐血し、何度も咳き込んで膝をつく。そして、驚愕の表情を一瞬だけ浮かべてから、憤怒へと変えると、稲妻を鳴らして消えた。
今までのジャレッドであれば視認できない速度で動いたルザーだが、
「見えてるんだよっ」
薙ぐように振るった裏拳が右後方から襲いかかってきた彼の顔面を捕らえ地に叩きつけた。
鼻が折れたのか、おびただしい血を流すルザーの表情が困惑一色に染まる。
「なぜ、だっ、なぜ俺の動きが見える!」
「さあ? だけど不思議なんだ、あれだけ負けそうだと心が折れかけていたのに――今の俺はルザーに負ける気がまるでない」
地面を蹴って肉薄する。
力が足りない、もっとよこせ、と魔力を体内に取り入れ続ける。
攻防が一転し、ジャレッドの攻撃がルザーを捕らえていく。
拳が、蹴りが、ときには頭突きでルザーにダメージを与え、体力を奪う。雷の力で逃げることも反撃させることも許さず、ただ一方的に攻撃を浴びせていく姿は、今まで手も足もだせずなすすべもなかったとは思えない
だがルザーも負けていない。殴り飛ばされ距離が開くと、すぐに雷をまき散らして姿を消す。
目にも見えない速度から放たれる拳の一撃はジャレッドを捕らえ致命傷を当たるほどの威力をもつ――しかし、その力が込められた拳はあまりにも容易く掴まれてしまった。
力が霧散し、ルザーが膝をつく。
ここでようやくルザーの限界が訪れたのだ。
ルザー・フィッシャーは確かに強い。たとえ洗脳されて偽りの憎しみによってジャレッドを憎悪していようと、培った力を使った彼はあまりにも強敵だ。しかも殺してはいけないという枷があるため、先日のバルバナス・カイフとの戦いで使った石化魔術も使えない。ゆえに、ジャレッドは敗北すると半ば心が折れかけていた。
体力、腕力などの人間としての基本的身体能力に差がありすぎたのだ。
しかし、ここにきてジャレッドに変化が起きた。魔力を力として取り入れたのだ。原理がわかるわけでもなく、我武者羅となって無意識下に行ってしまったことではあるが、結果――ジャレッドの魔力が尽きる前にルザーの体力と魔力が尽きてしまった。
「終わりだ、ルザー」
「殺せ」
「馬鹿野郎っ! お前を殺してどうなるんだよ!」
「ふざけるなっ、お前は俺を裏切ったっ! 俺をっ、俺を――あれ? なぜだっ、なぜっ、こうもお前が憎いのに、殺したい願っているに、理由が思い浮かばない!」
自らの感情の矛盾に気づいたルザーに、ジャレッドも膝をおろし、握っていた拳をより強く握りしめた。
「ルザー、よく聞いてくれ。お前のお母さんは、ロジーナ・フィッシャーは生きている」
「嘘を、つくなっ!」
ルザーの自由な左腕がジャレッドを殴りつけるが、かわすこともせず甘んじて受け入れた。
「母さんは死んだっ、お前が助けてくれなかったから死んだっ!」
「違う。生きているんだよ。時間はかかったけど、約束通りちゃんと見つけたんだ。病気も治して、今は隠れてもらっている。とても元気だよ」
「違うっ! 違う違う違うっ! 母さんは死んだと言われたんだっ!」
「誰に?」
問うと返事の代わりに拳が振るわれる。
鈍い音が響き、ジャレッドが折れた奥歯を吐き捨てた。
「ルザーしっかりしろっ、誰になにを吹き込まれたのか知らないけど、どうして俺を信じてくれないんだ。兄弟だろ?」
彼の顔をしっかりと掴み、目と目をあわせて想いを伝える。
「ルザーが言ってくれたんじゃないか、兄弟だって。俺は嬉しかった。だから、生きていてくれて本当によかったと思っているんだ」
もう拳が振るわれることはない。だが、呆然としてしまい反応が返ってこなくなってしまった。
「目を覚ませルザー・フィッシャー! お前はそんなに弱い男じゃないだろうっ!」
「う……う、うぁ、うううっ、うぁああああああああぁ!」
ルザーが突如叫びだし、ジャレッドを突き飛ばすと頭を抱えて苦しみだす。
何度も絶叫をあげ、喉から魂が吐きだされてしまうのではないかと不安になるほど、彼の悲痛な叫びは続いた。
「ルザーっ!」
今までずっと頑なに戦いを見守っていたミアが、苦しむルザーに駆け寄り抱きしめる。
「もういいんです。苦しまないで、もうなにも考えなくていいんです」
母が我が子をあやすように、優しく愛情深い声で落ち着かせようと懸命な彼女の姿に、ルザーが少しだけ落ちつきを取り戻した。
彼女が背を撫で、涙を流すルザーの頬や額に口づける。
「ジャレッド・マーフィー、あなたのおかげでルザーは自分の憎しみに矛盾を覚えました。ですが、根本はドルフ・エインがかけ、私が維持している洗脳魔術が彼の心をがんじがらめにしてしまっています」
「解放するためにはどうすればいい?」
「今の彼であれば、私が犠牲になれば強制的に解除できるかもしれません。副作用が怖かったですが、憎しみに違和感を覚えた今なら、可能ではないかと思います」
「それじゃだめだ。仮にルザーを救えても、君が犠牲になれば意味がない」
間違いなくルザーは己を責め続けるだろう。それでは彼は生涯ひとりの少女を犠牲にして助かったことを抱えながら生きていくことになる。
それは救いとは言わない。
「君も一緒に救われる未来以外は認めない!」
ミアのためにもルザーのために、ともに救われなければ駄目だ。
そうジャレッドが告げたと同時に、苦しみ涙を流していたルザーの瞳から光が消えた。