37.決戦7. ジャレッド・マーフィー対ルザー・フィッシャー2. 身体能力強化魔術1.
「これで邪魔者がいなくなったな……さあ、戦いの続きだ」
「ラウレンツ、公爵を頼んだ」
「任せてくれ」
「ジャレッド、気をつけるんだぞ」
ルザーが大剣を担ぎ、にぃと笑う。彼の仲間の登場はもちろん、宮廷魔術師の参戦さえ興味ないとばかりに傍観していた彼の瞳に、生気が宿った。
しかし、それもジャレッドと戦い殺そうとするため。
ジャレッドはゆっくりと公爵たちから距離をとっていく。ルザーが自分に執着していることはわかっているので、自分がそばにいないほうがいいと判断したのだ。なによりも、今なら信頼できる友が公爵を守ってくれる。
「これで安心して戦える」
「その言葉をそのまま受け入れるなら、今までは憂いがあったような言いかたじゃないか?」
「あったさ。俺は器用じゃないんだ。いろいろなことを考えながら戦えない」
だが、もう大丈夫だ。頼りになる仲間のおかげでルザーに集中できる。
拳を力強く握りしめ、体内にめぐる魔力を高めていく。まだ解放された魔力のすべてを使いこなすことはできない。アルメイダの訓練を受けたが、一朝一夕で身に着くほど魔力の操作とは簡単なものではないのだ。
ゆえに加減していた。
相手が恩人であり大切な兄ルザーであるからだけではなく、余力を残さなければ他の敵とも戦えないと思っていたのだ。しかし、その心配ももうしなくていい。
「ここからは全力だ」
「嬉しいねぇ」
「ルザー、お前を倒して取り戻す」
「ジャレッド、お前を殺して――俺はどうしようかなぁ?」
己でも植えつけられた復讐心に疑問をもっているのかもしれない。痛ましいが、今はそのことまで気を配れない。ジャレッドにできることは、ルザーを倒しドルフ・エインを倒し、洗脳を解く。それだけだ。実に単純でいい。
だから、まずルザーを倒すことから始めよう。
ジャレッドは地面を蹴ってルザーに肉薄する。
「おおっと!」
大剣が振るわれるが、どれだけ剛力をもってしても一定以上の質量を動そうとすれば動きにムラができる。対してジャレッドは無手だ。ナイフもなにももっていない。
そこに動きの差が生まれた。
身を屈めて大剣の一撃をやり過ごすと、足を止めずに懐に潜り込む。
両手を突きだし腹部に衝撃を与えるも、ルザーの体は鋼のように固い。だからといって攻撃を諦める理由にはならない。固ければ固いなりに攻撃の通し方というものがある。
まず、何度も同じ場所に攻撃すればいい。
掌底を当てると同時に、ルザーの体内に向けて魔力を放つ。
魔術に変換されない魔力は、単なる衝撃として活用できる。ジャレッドようにあまりある魔力を保有しているからこそできるズルのようなものだ。
腕を痛めることない攻撃は、殴りつけるよりも強力だ。
二度、三度と繰り返せば、鋼のようなルザーの体にもダメージは伝わる。やっていることは地味だが、時間をかけてでも倒すことができれば構わない。
「そうそう食らってやれねえなぁ!」
懐に潜り込んだジャレッドに向かい、縦一閃に大剣が振り下ろされる。
風を切った一撃を避けることには成功したが、大剣は地面を大きくえぐるどころから、数メートルの斬撃を地面に走らせた。
当たっていれば今の一撃で死んでいただろう。
彼の振るう得物が邪魔だと判断し、ルザーの手首を狙う。魔力を練り、精霊たちの力を借り黒曜石のナイフを作りだし振るう。
刹那、稲妻がはじけ眼前にいたはずのルザーが消えた。
息づかいが背後から聞こえ、即座に振り返るともそれよりも早く殴りつけられた。
地面に顔面がぶつかるほどの勢いで殴られたジャレッドの意識が一瞬飛ぶも、奥歯を噛んで失神することだけは避ける。
歪む視界の中でルザーが大剣を振るった。もうこうなれば、最小限の被害で彼を倒すことは諦める。
心の中でルザーと彼を案じるミアに謝罪すると、精霊たちに魔力を捧げた。精霊たちは与えられた魔力に歓喜しジャレッドに力を与えようとやる気になる。
魔力を帯びた砂塵が舞うと、ジャレッドの体を守るようにまとわりつく。
ルザーの大剣が迫るも慌てる必要も防御の必要はない。すでに準備はできていた。ジャレッドなど容易く両断するはずの一撃は――砂塵が盾となり受け止めた。
「……それはずるいだろ」
呆れと感心を同居させた声とともに、ルザーの判断は早い。
精霊たちに砂塵の操作を任せたジャレッドが次なる一撃のために魔力を高めると同時に、稲妻を散らせて距離を取り、彼もまた魔力を高める。
「さあっ、ジャレッドっ、楽しい力比べだ!」
「おおおっ!」
二人は同時に魔術を放った。
地を這い襲いかかる石の大蛇と、一筋の雷光がぶつかる。
込められた魔力も、放たれた力もすべてが互角だ。石の大蛇が雷光によって焼かれ悲鳴をまき散らしながら、尾を振り回す。
尾はルザーの体を捕らえようとするが、彼の腕が難なく大蛇の一撃を受け止め、そして砕いた。
「嘘だろ?」
石蛇と雷光が相殺し消えると、唖然としたジャレッドとルザーが残る。
ルザーの腕は戦闘衣が破れ血が流れているがそれだけだ。体ごと薙ぐ勢いで振るわれた大蛇の尾が受け止められたことだけでも驚きであるのに、対して傷を負っていないルザーの身体にさらなる驚きを隠せない。
仮に受け止められたとしても、腕くらい折ることができなければやっていられない。あまりにも理不尽だった。
「俺と戦ってなにを感じる? 希少な雷属性か? それともこの理不尽なほどの身体能力か?」
「正直に言わせてもらえるならどちらもだ」
「だよな。俺もそう思う。だから、諦めて死ね」
再び稲妻が走り、ルザーの姿が消える。呼吸する間もなく眼前に現れた彼は、すでに拳を振りかぶっておりジャレッドには受ける以外の選択肢はない。
迫る拳に両手を構え、できるかぎり衝撃を最小限に抑えようとする。だが、拳に気を捕らわれて過ぎていたジャレッドは、一拍遅れて放たれたルザーの蹴りを防御のために纏っていた砂塵の上から左腹部に直撃させてしまう。
体と骨がきしむような悲鳴をあげ、ジャレッドの肺から酸素が抜ける。
わずかな抵抗とばかりに、砂塵をまとめて槍に変換すると、体を捕らえたルザーの右足に突き刺した。
彼の足から血が噴き出るのを確認すると同時に、ジャレッドの体は大きく吹き飛ばされ地面を転がっていく。
何度も地面を跳ね、体中に衝撃を受けながらせめて意識は飛ばすまいと必死に耐える。
勢いが死に、体の自由がきくと同時に立ち上がるも、すでに紫電を纏わせたルザーが眼前に構えている。
そこからは一方的な蹂躙だった。
殴られ蹴られ、倒れることさえ許されない乱打を四方八方から受け、意識を保っていることが不思議なほどジャレッドは痛めつけられた。
一撃で殺すこともできる剛力をもっていながら、そうしなかったのは植えつけられた恨みや憎しみが相当深かったからであろう。だが、そのおかげでジャレッドは死に体となっても生きている。
内臓にダメージを負ったのか吐血さえするも、ルザーからの攻撃は休まらない。蹴り飛ばされた瞬間から魔力が途切れ身を守る砂塵も消えた。このままでは待っているのは死だ。
脳裏にオリヴィエの笑顔が浮かぶ。このまま死ねば、彼女の笑みは曇るだろう。それは嫌だった。
続いてイェニーの笑顔が浮かんだ。兄と慕ってくれる彼女は、もしこのまま殺されれば洗脳されているとわかっていてもルザーに復讐するかもしれない。かわいい従妹にはそういう危うい一面があることを知っているので心配だった。
そして、ハンネローネもトレーネもやはり悲しむだろう。公爵もそうだ。優しい彼らはジャレッドを巻き込んでしまったと自分たちを責めること間違いない。
いつも気にかけてくれる祖父母も悲しませてしまう。
出会ったばかりなのに兄と慕ってくれるコンラートや、彼の母であるテレーゼも自分が死ねば悲しんでくれると思う。
父親や側室、そして兄弟たちはどうだろうか。義母とひとりの弟は悲しんでくれるだろうが、他はわからない。むしろせいせいしたと喜ばれるかもしれない。
それはそれで癪だ。少しだけ、このまま死ねるものかと思う。
敵と戦っているプファイルとローザが気になった。再戦を約束しているプファイルとは不思議な関係だが友人だと思っている。彼も自分が死ねば、悲しむだろうか。それとも、哀れと笑うのか。
応援に駆けつけてくれたトレスとアデリナ、そしてラウレンツには感謝してもしきれない。いつかどこかで恩返しをしなければならない。
多くの人たちの顔が浮かんでは消えていく。そして、最後にルザーと彼の母が浮かんだ。優しい兄は自分を殺してしまったら、いつか洗脳が解けたときに後悔するだろう。大切な兄に弟殺しをさせたくない。
血の繋がりこそないが、兄弟になろうと約束を交わしたあの日から、ジャレッド・マーフィーとルザー・フィッシャーは誰がなんと言おうと兄弟なのだ。
「ああ、駄目だ、やっぱりこんなところで死ねない」
「だが、お前は死ぬぞ、ジャレッド!」
さらなる一撃を受け、何度目になるのかわからない血の混じった胃液をこぼす。
視界は狭くなり、意識も朦朧している。反撃しようと拳を握りたくとも、感覚そのものがもうわからない。
力がほしい。
まだ体には魔力があまっているのに、その魔力を魔術に変換するだけの時間がない。
精霊に干渉することも、力を得るためのわずかの間も与えられず、少しでも魔力を使おうとすれば、衝撃と痛みによって中断されてしまう。
それだけルザーの一撃がひとつひとつ重いのだ。
しかし負けられない。魔術が使えなければ別のことをすればいい。
――魔力をどうすればいい?
単純な攻撃ではルザーに歯が立たない。
魔術に変換することも難しい。
精霊に捧げることもできない。
――ならば自分が使えばいい。魔術ではなく、魔力そのものを自分のものにすればいい。もともとは自分のものなのだから、取り入れることは可能だ。一度放出したものを体内に戻せばいい。しかし、ただ戻すだけでは駄目だ。それでは変わりはない。力だ。力がほしい。ルザーを倒すことができるだけの力がほしい。
それは無意識下の出来事だった。
ジャレッドには使いこなすことができない魔力が、体内から溢れでていた。自らの魔力であれば、再び取り込むことは難しいが不可能ではない。
だが、ただ取り込んでも魔力が回復するだけだ。役に立たない魔力を増やしてもそれでは勝機に繋がらない。ならば、力として取り入れようと思った。
魔力が、火、水、風、土、光、闇に変わるのであれば――単純な力にもなるはずだ。
そう確信していた。
ジャレッドは虚空を掴むように手を伸ばし、握りしめる。
ルザーの目には、殴られ続けておかしくなったかのように見えたかもしれない。だが、それは違う。
ジャレッドは掴んだ。間違いなく掴んだのだ。
ジャレッド・マーフィーの魔力を――そして、あらん限りの魔力を放出し、もう一度と取り込んだ。
刹那、爆発するような力が体内を駆け巡った。
――ジャレッドは知る由もないが、はるか昔、魔術が黄金時代を迎えていたころにもっとも多用されていた魔術の初歩――身体能力強化魔術だった。