36.決戦6. ジャレッド・マーフィー対ルザー・フィッシャー1. 応援.
ジャレッドは度重なる攻防の果てに、地面に倒れていた。
戦闘衣が土に汚れ、腕や頬から血を流している。息は荒く、全身で呼吸を使って呼吸しなければ酸欠になってしまいそうだった。
対し、ジャレッドを見下ろすルザーは呼吸こそ荒いが余裕が見えた。
「どうした、ジャレッド?」
「なに、が?」
「なぜ魔術を使わない。お前のことは調べた。魔力の大半が封じられていることも、身を害するほどの魔力を抑えるために体内に精霊を宿していることも。だが、それを抜きにしてもお前は俺よりも大きくて強い魔力をもっている――なのになぜだ! なぜ、本気で戦おうとしない!」
剛力によって襟首を掴まれ持ち上げられる。
どこからこれほどの力が湧いてくるのかわからず、抵抗したくともできない。
何度蹴りを食らわせてもびくともせず、むしろこちらの足が痛むほどルザーの体は強固だ。まるで身体そのものが人間を超えている――そんなことを考えてしまう。
「俺はお前を殺すことだけを考えて戦っているんだぞ、なのにお前はあからさまに手加減をしている――馬鹿にするなよっ」
剛腕によって放り投げられてしまったジャレッドは、地面に叩きつけられて転がっていく。
「ジャレッド!」
公爵が駆け寄り抱き起してくれた。小さく謝罪するも、なぜ彼がノーランド伯爵家の中にいないのか疑問となって浮かぶ。
「公爵、どうして?」
「敵が多くてな。すまない。もっとも厄介な相手を引き受けてもらっておきながら、この体たらくだ」
公爵の言葉通り、敵はジャレッドたちの人数を超えていた。
ヴァールトイフェルが何人いるのかまで把握はできていないが、ざっと見渡す限り、人数では負けている。
ただし、ひとりひとりの質はこちらが勝っているようで状況は拮抗していた。
幹部と称されるヴァールトイフェルの元後継者をプファイルとローザが引き受けてくれたことが大きい。この場から火力をもつものがいなくなってことで、大きく戦況は変わらなかった。しかし、こちらも同等の戦力を二人減らしたのだから痛手はある。
まだ姿を見せていないが、幹部はあと二人いるのだ。そして、いつの間にかドルフ・エインが消えているのも気がかりだ。
「俺が道を作ります」
「……ジャレッド、それは難しいだろう。君の事情を理解しているので、あえて言わせてもらうが、たとえ洗脳され敵として現れていても友人である以上戦うことは難しい。心を鬼にして殺そうと決意しても、振るう刃は鈍るものだ」
肩を借り立ち上がったジャレッドは、魔力を高め集中する。
公爵の言う通りかもしれない。ジャレッドには戦意はあっても敵意がない。胸に宿る敵意や怒りはあるが、その矛先はコルネリア・アルウェイとドルフ・エインたちに向けられているのだ。
「わかっています。それでも、俺は戦います。勝って、ルザーを取り戻したいんです」
「……私にできることは?」
「一刻も早いコルネリア・アルウェイさまの捕縛を」
「わかった」
コルネリアさえ捕縛してしまえば憂いがひとつ減る。今は、ルザーだけを気にするわけにはできないのだ。
正直なところを言ってしまうと、ルザーだけに集中したい。しかし、ジャレッドには守りたい人たちがいる。その人のためにも、友情だけを選ぶことはできない。
わがままであることは自覚しているし、自分でも傲慢だと思う。だが、すべてを求めずにはいられない。
「もう茶番は終わったか?」
冷たい視線を向けてくるルザーの瞳には憎悪が込められている。ドルフによって憎しみを植えつけられたとはいえ、彼の瞳を見るたびに胸が痛む。
公爵と頷きあい、攻撃にでようとしたそのときだった。
「いつまでもその子にかかわっている暇はなくってよ?」
「さっさと殺してしまえ。そして、次の段階へ移るぞ」
新たに二人の人物が、ルザーのとなりに現れた。
戦闘衣を身に着けた男女。感じる魔力と身のこなしから見て、ルザーと同等の幹部だと判断する。つまり、姿を見せなかった幹部がこれで全員現れたことになる。
「私の用意した精鋭でも勝てるかどうかわからないな……ジャレッド、ここはひとまず――」
「逃げませんよ。俺は、今日ここですべてを終わらせるためにきたんです。オリヴィエさまとハンネローネさまがこれから笑顔で日々を過ごすためには、倒さなければならない奴がいて、捕まえなければならない奴がいるんです。退くことなんてできるはずがない!」
視界の隅で、ルザーとの戦いを見守っていたミアが顔を真っ青にして首を横に振っている。つまり、状況は言うまでもなくまずいのだろう。
それでも、ジャレッドは退けない。いや、違う。退きたくないのだ。
「あら、この子……魔力なんて高めているけど、まさか私たち三人を相手にするつもりなのかしら?」
「だとしたらそれは勇敢ではなく蛮勇だ。おろかな」
「ごたごたうるせぇっ、全員かかってきやがれ!」
愚か者でも見るような視線を受けてもなお、ジャレッドは声を張りあげる。
しかし、新たな幹部二人は、相手にすることなく消耗したジャレッドに向かい兵を放った。
「わざわざ私たちがお前の相手をしてやる必要はない。一国の宮廷魔術師に選ばれたことで強者になったつもりなのかもしれないが、宮廷魔術師になど恐れるに足らず」
「あら、それはどうかしら」
「今の言葉は聞き捨てておけないな」
男の言葉に反論したのは、ジャレッドではなく、別の誰かだった。刹那、暴風と水の竜がジャレッドと公爵に襲いかからんとした戦闘者たちを薙ぎ払う。
聞き覚えのある声の主を捜し、目を大きく見開いてしまった。
「……何者だ」
「おや、いろいろと事前調査をしているんじゃなかったのかな? それとも、僕だと君たちが調べるまでもないと判断されてしまったのかもしれないね――だけど、それには憤りを覚えるよ」
「アタシだって同じよ。この国でアタシたちを見て誰かと問える人間はそうそういないでしょうね。新鮮に思うけど――はっきり言ってムカつくわ」
ジャレッドの視線の先には、亜麻色の髪と風属性魔術師が好んで身に着ける緑色を基調とした戦闘衣を纏った青年――ウェザード王国宮廷魔術師第七席『風使い』トレス・ブラウエル。
そして、右目を隠したシルバーブロンドのショートカットが特徴的な、青い戦闘衣を纏った美女――ウェザード王国宮廷魔術師第八席『水鏡』アデリナ・ビショフがいた。
「どうして……」
「ふっ……オリヴィエさまから君の事情を教えてもらってね。こうも早く君に恩返しができるとは思っていなかったよ」
「今日のアタシたちは宮廷魔術師としてじゃなくて、ジャレッド・マーフィーに恩を返したい個人の魔術師としてここへきたのよ。それに、他にもいるわよ」
アデリナの言葉と同時に、地面が隆起し土壁が生まれる。意思をもっているかのごとく動く土壁が、ルザーたちに襲いかかった。
ルザーは大剣を振り土壁を斬り怖し、あとの二人は大きく跳躍することでかわした。
この魔術には見覚えがある。
まさかと思い、魔術が放たれた場所を見ると、再び驚くことになる。
「ラウレンツ」
「ジャレッド、水臭いな。困っていたら僕に一言くらいあってもいいだろう?」
学友であり、友人でもある地属性魔術師ラウレンツ・ヘリングが戦闘衣を身に着け、魔術を操作するために地面に膝をつき手を当てていた。
「三人とも、どうして?」
「まあ、アタシたちはラウレンツの師匠になったのよ。事情はわかるでしょう。そして、いつも通りに訓練をしていたら、オリヴィエさまからの使いが現れてちょうどいいから実践訓練を兼ねて連れてきたのよ。離反したとはいえ、ヴァールトイフェルの戦闘者と戦えるなんてそうそうない経験よ」
ラウレンツがアデリナとトレスに師事していることには驚いたが、納得もできる。ラウレンツの師はジャレッドと同じ宮廷魔術師候補だった。しかし、バルナバス・カイフの復讐劇に巻き込まれた被害者でもある。
被害者であり当事者でもあるアデリナとトレスが責任を感じ、ラウレンツの面倒を見ようとしたのだろう。
「宮廷魔術師とその弟子が増えたところで、なにが変わるというのかしら?」
「同感だ。我々とは経験も実力も違うことは明白!」
ルザーはなにも語らない。ぼうっとした目で無関心に見つめているだけ。
「ならば僕たちの実力を見せようじゃないか。そうまで言われて、戦わないという選択肢はないよ。いくらプライベートできたとはいえ、宮廷魔術師としての誇りはある。暗殺を生業とする人間に負けてたまるか!」
「ラウレンツは雑魚を片付けてアルウェイ公爵のお手伝いをしなさい。アタシたちはちょっと、この世間知らずの暗殺者たちに実力の差を教えなきゃならないから」
「わかりました、ご武運を」
ラウレンツが二人から距離を取り、こちらへくる。ジャレッドに目配せすると、安心させるように頷いた。
「アルウェイ公爵様、ここからは私がお供します」
「感謝する。だが、あの二人は……」
「あの方たちもジャレッドと同じく宮廷魔術師です。経験だけならば、ジャレッド以上です。だから信じてください」
ラウレンツの言葉に公爵が頷いた刹那、宮廷魔術師たちの魔力が高まり二人の暗殺者と激突した。