30.束の間の二人.
「ジャレッド、お父さまから届いた手紙は読んだの?」
「はい、読みました。明日、コルネリア・アルウェイを捕縛します」
ミアと出会い、ルザーが洗脳されていることを知ったジャレッドは、憤りを覚えながらも誰かに言うこともできず、ただ隠し続けようとしていた。ルザーにとって洗脳されていた事実があれば、ドルフ・エインから解放したのちに色々と有利に働くと思っているが、誰かにそのことを話すことによって心配させるのもどうかと考え、結局口を噤んでいた。
しかし、さすがと言うべきかオリヴィエにはまたなにかひとりで抱え込んでいるのだと見抜かれてしまい、部屋に連れ込まれて吐かされてしまったのだ。
――なぜか膝枕をされながら。
この態勢にどのような意味があるのか理解できないが、彼女の体温が顔に伝わってくることがなぜか気恥ずかしい。おまけにオリヴィエが手櫛で髪をすくのだから、ジャレッドは借りてきた猫のようにおとなしくなってしまっている。
「そうなの。無理はしないでね」
「それはできない相談ですよ。うまくいけば、いえ、必ず明日ですべてを終わらせます。オリヴィエさまとハンネローネさま、そしてトレーネにもう心配しないで日常を送れるようになってもらいたいです」
「あなたばかりに負担を押しつけてしまってごめんなさい」
すでに公爵から手紙が届き、王宮から許可を得て明日コリネリアを捕縛することと決まった。当初は内戦扱いにならないようにするため様子見をするようにと指示があったのだが、ヴァールトイフェルからの離反者とコルネリアが組んだことまで包み隠さず伝えた結果――できるだけ早くコルネリア・アルウェイを捕縛し、ヴァールトイフェルの離反者たちをこの国から追い出すようにとアルウェイ公爵に国王直々に命令があったと聞く。
だが、条件は厳しい。宮廷魔術師の派遣はなく、騎士団も動かせない。あくまでも公爵家の問題として内々処理しろというものだった。
理解はできる。暗殺組織の離反者たちが新たな組織を作ろうと王都で活動しているのだ。それも、諜報を得意とする一族の情報網を潜り抜けて、この王都で。だからといって、宮廷魔術師や騎士団が動けば、民が不安となることは言うまでもない。まだ実害が出ていないだけに、動かしたくとも動かせないのだ。
それでなくとも、先日のバルナバス・カイフの一件があったというのに、立て続けにこうも事件が起きるのはよくない。あくまでも、公爵家の問題として内々に処理することが理想的なのだ。
公爵もそのことをわかっており、公爵家直属の騎士十数名とジャレッド・マーフィー、そしてヴァールトイフェルを秘密裏に動かすことの許可を求め、驚くほど簡単に許されたという。
ただし、ジャレッドには宮廷魔術師に任命する前に、国王夫妻と王子、王女とともに会談を求められると公爵からの手紙で伝えられた。はっきり言って、「なぜ?」と叫びたかった。いずれは国王にも会うだろうが、呼びだされるとは夢にも思っていなかったのだ。
「ところで……あの」
「なあに?」
「どうして俺はオリヴィエさまに膝枕をされているんでしょうか?」
「なによ、嫌なの?」
「嫌ではないんですが、その、俺も年ごろの少年なのであまりこういう接触てきなことはよろしくないんじゃないかな、と思ったり思わなかったり」
自分で口にして恥ずかしくなる。すでにオリヴィエとはキスもしているが、それだけだ。抱きしめたことだってあるが、精神面で必要だっただけであり肉体面で求めたわけではない。
このように彼女の体温に身をゆだねてしまうのも心地よく、ぬるま湯に浸かっているような快感もある。だが、なぜ急にという疑問もあるのだ。
もっと言えば、疑問に集中していないとよからぬことを考えてしまいそうだった。
「……今までそういう類のことに興味を示したところを見たことがなかったから、あまり興味がないのかと思っていたわ。でも、あるならほっとしたけど、そうすると恥ずかしくなってきたわ」
それでも膝枕と髪をすくことをやめようとはしない。
視線だけ動かしオリヴィエを見ると、心なしか頬が赤かった。余計なことを言ってしまったと失敗を悟るも、自分も男なので警戒心を抱いてほしいとも思う。
もちろん、警戒ばかりされてしまい離れられてしまっても寂しいものがあるがのだが。
ジャレッドは自分自身が自覚している以上に、オリヴィエを求めているのだと思い知った。
触れ合うことは嫌ではない。だが、触れ合うことで血にまみれた自分の手がオリヴィエを汚してしまうのではないかという不安もある。今まで多くの戦いを経験してきたが、決して誇れるようなことはしていない。命を奪われたくないから奪い、死にたくないと理由を作って敵を殺してきた。
そんな自分が、母を守るために強くあろうとし続けた、誇り高く優しい女性に触れていいのかと迷うことがある。
彼女は気にしないと言ってくれるだろう。実際に、以前言われたこともある。それでも、自分の心の中で折り合いをつけることができないのだ。
なによりも、ジャレッドはオリヴィエに対し、好意を抱いている。
出会ってから、その人柄に興味を覚え、抱えている過去と問題に向き合う姿勢をまぶしく思った。自然と、力になりたいと思うようになり、人として好きだと思えている。以前は、異性としてどうおもっているのかわからなかったが、今のジャレッドは――オリヴィエ・アルウェイを異性として好いている。
一度自覚してしまうと、想いは強くなっていくものだ。
思い返せば、これが初恋と言うのかもしれない。と、そんなことを思う。だからこそ、こう体が触れ合えば緊張し、気恥ずかしくもなる。
「ねえ、ジャレッド。あなたのお友達、無事に取り戻せるといいわね」
オリヴィエの声に、小さく返事をする。
「あなたが大切に思っている人なら、わたくしにとっても大切な人よ。あなたが色々と辛い経験をしてきたことは知っているけど、もう過去にこだわらずわたくしたちと一緒に未来を見つめてほしいと思うの」
「きっとルザーを取り戻したら、過去ではなく未来と向き合えると思います」
「そうなるようにわたくしも力を貸すわ。できることは少ないでしょうけど、これでもあなたの婚約者なのだから、迷惑をかけてほしいの。わたくしも、あなたのことを考えて、迷惑をかけられて、いっぱいいっぱになりたいって思っているのよ」
「オリヴィエさまは変わり者です。普通、婚約者だからといってそこまでしませんよ」
「あなただって人のことは言えないわ。婚約者のために、何度大けがを負って死にかけているのかしら」
「それを言われたらまったく反論ができません」
オリヴィエが頭をなでながら楽しそうにほほ笑む。
まるで姉のように、母のような慈愛が伝わってきて、心地がいい。
「いつも怪我ばかりするジャレッドにこれをあげるわ」
そう言って彼女がそっとジャレッドの手にペンダントを握らせる。大地を司る女神が彫られた単調な柄だが細かく描かれているため名のある職人が手掛けたのがわかる。なによりも純銀のものだ。銀は魔に対する抵抗力があると信じられているためお守りとして身に着けることが多い。おそらく、オリヴィエもお守りとしてもらったのだろう。
強い魔力を秘めていることは触れた瞬間にわかった。
「まだわたくしが幼くてかわいげがあったころ、誕生日にもらったものよ。魔術的な保護がしてあるから、万が一のときに役になってくれるかもしれないわ。もちろん、万が一なんてなければいいのだけど、いつなにがあるかわからないから肌身離さないようにね」
「いいんですか?」
「受け取ってほしいから渡しているのよ」
「感謝します。では、つけてもらっていいですか?」
「あら、嬉しいわ」
オリヴィエの手によってペンダントを首に通してもらう。今まで装飾品の類はつけたことがなかったので新鮮だ。なによりも、オリヴィエからもらったという事実がジャレッドの心を温かくしてくれた。
「本当はね、少しだけ文句を言おうと思っていたのよ」
「文句ですか?」
「ええ、だって、いくらわたくしたちのためとはいえ、あなたに危険な目に遭ってほしくないもの。でも、あなたはどこまでも一生懸命だから、本当に心からわたくしたちのことを案じてくれるから、もうなにも言えなくなってしまったわ」
「それだけオリヴィエさまのことが大事なんですよ」
無意識にジャレッドはオリヴィエだけの名を言った。普段、このような話をするときには、必ずと言っていいほど「オリヴィエさまたち」と言うのだが、今日のジャレッドは違った。
もちろん、ハンネローネとトレーネも大切なことはわかっているし、イェニーだってそうだ。しかし、今だけはジャレッドの気持ちを独占できた気がしてオリヴィエは嬉しさを噛みしめる。
すると、ジャレッドが寝息を立てていることに気づく。
オリヴィエはジャレッドが普段から周囲に警戒していることを知っていた。傷ついた動物のように警戒する姿は、過去を考えればよくわかる。いっそ痛ましいと思うほどだ。そんな彼が、自分の膝で気持ちよさそうに寝息を立てている姿を見ると、一緒に暮らすことで距離が縮まっただと自覚することができた。
彼に大切にされていることは痛いほどわかっている。それが愛情からかどうかまではわからないが、驚くほど不安はない。
もちろん、側室となることが決まったイェニーや、愛人になろうとしているトレーネもいるが気にしていない。二人はもう家族なのだから、どうなっても関係が壊れることはないだろう。
宮廷魔術師のアデリナ・ビショフや、竜少女の璃桜、そしてジャレッドの師匠アルメイダも怪しいが、負けたくはない。
「おやすみなさい、ジャレッド。せめて、明日までいい夢を見てね」
戦いが待っている婚約者が少しでも休めることを願い、そっと額に口づける。
自分でしておきながら気恥ずかしくなるも、周囲に第三者がいないことに安堵して、熱くなった顔を手で扇いで冷やす。
「――あ」
すると、わずかに空いた扉の隙間から向けられている視線と目が合った。
「……トレーネ」
長い付き合いの妹同然の名を呼ぶと、いつもは無表情の癖にわざとらしい笑顔を浮かべている彼女が音を立てずに部屋の中へと入ってくる。
いつから見られていたのだろうか、と考えながら、なんとかして母への報告をさせないために、女同士の静かな戦いが幕を開けるのだった。