21.ジャレッド・マーフィーとルザーの出会い6.
決行日は週に二度の買い出しがある日だった。子供を監視する大人たちは、週に二度買い出しをしながら、少し離れた場所にある町で遊ぶらしい。時間は夕方から翌朝まで。その時間帯だけが、もっとも施設が手薄になるのだ。
まず適当に捕まえた少年を二人がかりで叩きのめすと、連鎖するように騒ぎが起きた。監視していた大人たちが集まってくるが、騒ぎを煽ることで収拾がつかなくすることに成功すると、背後から大人たちを叩き伏せた。
ひとり、またひとり、確実に大人の意識を奪い、ときには情報を聞きだすことに成功した。
在中する監視は十人。ジャレッドを気にかけてくれていたトムがいない日に決行したのは、彼へ恩義を感じていたからだ。
施設内の大人をすべて倒したジャレッドとルザーは施設を脱出することに成功する。
外は雪に覆われており、肌を刺すような冷気が二人を襲ったが、薄着にも関わらず走りだす。
「これで自由だ!」
ルザーが歓喜の声をあげた刹那――彼の肩から鮮血が吹きだし、前のめりに雪の上に倒れた。
「ルザー!」
ジャレッドが駆け寄り抱き起すと、彼の肩は鋭利な刃物で切られたような傷があった。
いつ、どこから、誰が、こんなことを可能にしたのか理解できないジャレッドの腕を、振るえるルザーの手がつかむ。
「魔術だ、気をつけろ」
「ちくしょう!」
まさか魔術師が施設内にいたとは思わず、見通しが甘かったことに怒りが沸き上がる。ジャレッドはルザーに肩をかして少しでも早く施設から離れようと進む。
二人を狙い、魔術が放たれる。
視認できないなにかが飛んできては周囲の雪を爆ぜさせ、木々を切り裂いていくことから風属性の魔術だとわかった。だが、わかったところで対策がない。
ジャレッドにできることはとにかく距離を稼ぐことだけだった。
息を切らせながらジャレッドとルザーは走り続ける。すでに、寒さなど感じない。汗をかき暑いくらいだった。
どれくらい走ったのかもうわからなくなった。すでに施設は見えない。せめて近くの町にたどり着くことができれば誰かに助けを求めることもできるのだが、その町もどの方角にあるのかわからない。
襲いくる魔術と、雪と木々だけの風景がジャレッドたちの方向感覚を完全に狂わせてしまたったのだ。
「マーフィぃいいいいいい!」
誰かが名を呼ぶ声が響いた。
とっさに木の影へ身を隠すと、雪を踏む音が近づいてくる。
足音は三つ。追手が少ないことに勝機があるかもしれないと思うが、魔術師がいる以上不安は大きい。
静かに追手を伺うと、剣を握った大人がふたり、施設でジャレッドに暴力を振るった過去をもつ小太りの少年の――計三人が、厚手の服を着こんで追いかけてきていた。
「まさか、あいつが魔術師なのか?」
武器を持っていない少年が魔術師だと判断するも、今まで彼が魔術を使ったことなど見たことはない。最初こそ暴力を受けていたが、今では立場が逆転し、ジャレッドに怯えていたのだ。もし魔術が使えれば反撃もできていたし、怯えることもなかったはずだ。
「噂は本当だったんだな」
「噂って?」
「あの施設はなんらかの呪いがされているらしい。そのせいで建物の中では魔術はいっさい使えないと聞いたことがある。そんなことがあるわけがないと信じてなかったが、もしも本当にあの野郎が魔術師なら納得できる」
頭の中にある知識にも魔力封じというものがある。しかし、それは現代よりも古く魔術が日常的に使われていた時代にあったものだ。現代では誰も再現できていない。ならばなぜ、と疑問が浮かぶが今はその疑問を考えている時間が惜しい。
「とにかく逃げよう」
「駄目だ」
「ルザー?」
逃げに徹しようとしたジャレッドをルザーが止めた。
「逃げるのは賛成だ。魔術師に拳だけで勝てるわけがない。だけどな、二人そろって逃げたらいずれ捕まる」
「だけど――」
それでは傷を負って青い顔をしているルザーが逃げきれない可能性がある。
ジャレッドには彼を見捨てる選択肢はない。
「約束しただろ、どちらかが逃げられなくても、どちらかが代わりに目的を果たすって」
「それでも、俺はルザーを見捨てられない」
「馬鹿言うな。誰も見捨てろなんて言ってないだろ。それに、俺だって諦めたわけじゃない。よく考えろ、相手は三人でこっちは二人だ。このままだと追手が増える可能性だってある。なら、ここで二手に分かれて確実に逃げるんだ」
ルザーの瞳に諦める色はない。そのことに安堵したジャレッドは力強く頷いた。
「俺は右に、ジャレッドは左に別れるぞ。いいな?」
「わかった。気をつけて」
「お前もな。いつかどこかで会おうぜ、兄弟」
「約束だよ、兄弟」
二人はお互いの体を強く抱きしめると、ともに進むべき道へ走った。
「こっちだっ! こいよ!」
「見つけたぞ、マーフィいいいいいいい!」
小太りの少年が、歓喜の声をあげて魔術を放ってくる。大人二人はルザーを追いかけていってしまった。子供とはいえ魔術師をひとり相手にすることと、武装した大人二人を相手にするのではどちらがよいかわからない。
ジャレッドは、左右に走りながらとにかく魔術だけは食らわないように気をつけ走り続けた。
しかし、追う側と追われる側では体力の消耗と神経の消費も違う。自覚なく蓄積されていた疲労が少しずつジャレッドの動きを遅く、鈍くしていった。
そして――ついにジャレッドの足に不可視の刃がかすめ、鮮血を舞った。
「あっ、っがあああああっ」
勢いあまって雪の上に倒れるジャレッドに追い打ちをかけるように魔術が当たる。手足を切られ、流れ出た血が雪を赤く染めていく。
傷そのものは深くない。だが、魔術の作用なのか絶叫をあげたくなるほどの痛みが襲いかかる。
動けなくなったジャレッドに、息を切らせて追いついてきた小太りの少年が嬉しそうに笑うと足蹴にした。
一度だけでは飽き足らず、何度も繰り返しジャレッドはけられ続けた。
口から血が流れ、咳き込んでも執拗に蹴られ続けた。
「はぁはぁはぁ……やりすぎた。殺すなって言われたのを忘れたぜ」
「殺して、やる」
「まだそんな減らず口が叩けるなら問題ないな。ったく、脱走なんてしやがって。あそこがどんな場所か知らないだろ?」
「どんな、場所? 知るか、そんな、こと」
血を吐き捨て、立ち上がろうとするも、腹部を思いきりけられて転がってしまう。
「施設にきたときはまだかわいげがあったのに、今じゃルザーのせいで変わっちまったな。おかげでこっちはお前なんかにビビらなきゃならなかったんだ――俺がどれだけ屈辱だったかわかるか!?」
さらに蹴り飛ばされ、雪の上で血の混じった胃液を嘔吐した。
このままではまずい。捕まれば終わりだ。おそらく、連れ戻されれば二度と外へでられない気がした。
それ以上に、ルザーが心配だった。すでに怪我を負っている彼が大人相手にどこまで逃げることができるのか。できれば追いかけたいが、満身創痍となったジャレッドでは難しい。
自らを不甲斐ないと嘆くしかできない、自身に反吐を吐きだしたくなる。
「さんざんに好き勝手にやったんだ。手足の一本くらいは覚悟しろよ」
嗜虐的な笑みを浮かべ、集中した少年から立ち上る魔力が見えた。
彼の周りには数が少ないが精霊たちがいて、魔力を糧にしているのがわかった。
「――え?」
ジャレッドは驚く。少年から立ち上る淡い光が急に見えたと思えば、それが魔力であることがなぜか理解できたのだ。
突然現れた光り輝く光の玉が精霊たちだと、なぜかわかったのだ。
同時に、自分の中にある魔力にも気づくことができた。どうして今までこれほどの力に気づくことができなかったのかと不思議に思えるほど、強く躍動している力が間違いなくジャレッドの中にあった。
精霊たちが語りかけてくる。
――力を貸すよ?
――魔力ちょうだい?
子供の声で、少女の声で、老人の声で、ジャレッドに語りかけ、求めてくる。
自然と体が動いた。少年が魔術を放つよりも早く、ジャレッドが精霊たちに従い魔力を捧げると、力強いなにかが体内を駆け巡る。
そのなにかは、変化した。
ジャレッドの攻撃がしたいという意思に従い、石の槍が雪の下の地面から生え少年を襲う。
これが魔術だと理解した刹那――石の槍が複数本少年に向かって殺到する。
まさか魔術を使ってくるとは思っていなかったのか、少年が驚き目を見開くも魔術を放って抵抗する。
彼の使った魔術が風属性魔術であるとはっきり理解でき、それだけでは飽き足らず不可視であったはずの刃まで視認できた。
見えれば恐れるに足りない。精霊に願い、防御をとるべく石壁を作ると他愛なく放たれた風の刃が壁に阻まれた。
「なぜだ、なぜ、お前が魔術を使えるんだ!」
少年の問いに返答する義務はない。なによりもジャレッド自身がどうして魔術を使えるのか知りたいくらいだ。
二度魔術を使っただけで、疲労感が襲いかかってきた。あと何度魔術を使うことができるかわからにため、次で決着をつけたい。
眼前にある石壁を消すと、睨みつけている少年と目が合った。
ジャレッドは立ち上がると、再び精霊たちに魔力を捧げ力を得ていく。
「命令なんて知るか! お前はここで殺してやる!」
「死ぬのはお前だ」
放たれた石の槍が少年に向かい襲う。同時に、少年からも風の刃が放たれた。
石の槍が風の刃とぶつかり相殺されていくも、唯一一本が少年の顔面を捕らえた。
「ぎゃぁあああああああっ!」
絶叫が響き、鮮血が舞う。少年は顔を抑え、雪の上を血をまき散らしながらのたうち回る。
ジャレッドは少年にとどめを刺すことはせず、背を向けて歩き出した。
体が痛む。切り裂かれた手足もそうだが、肩から胸にかけて深く切り裂かれた傷から血が流れ止まる気配がない。
ジャレッドの攻撃が当たったように、少年の攻撃もまたジャレッドに届いていたのだ。
痛がるのも意識を失うのもあとでできる。とにかく今は、ルザーを助けにいかないといけない。
魔術が使える今なら力になれると信じてジャレッドは歩き続けた。
だが、ルザーの居場所がわからない。出血のせいで意識はもうろうとし、気を抜けば気絶しそうだった。
どこに向かって歩いているのかもわからず、体力と気力の限界が訪れたと同時にジャレッドはついに倒れてしまった。
薄れゆく意識の中、ルザーの無事をただ祈り続ける。
「あら、精霊たちが騒がしいと思っていたら、こんなところで子供が怪我をしているわ。不思議ね、精霊が人間を心配することなんてめったにないのだけど……まあ、すごい魔力ね。もしかして、精霊と干渉する能力もあるのかしら?」
鈴を転がすような声がジャレッドの耳に届くが、もう視界になにも映らない。
「決めたわ。あなたのこと気に入ったから、わたしのものにしてあげる」
*
「やあルザー・フィッシャーくん。こうして会うのははじめてだね。私が、この施設を仕切らせてもらっているドルフ・エインという。君には以前から目をつけていたんだが、まさか脱走をしてしまうとは――実を言うと君が初めてだよ」
「だったらなんだ……」
肩の傷と出血のせいで大人二人を相手にして、ひとりは殺したものの捕まってしまったルザーは施設に連れ戻され鎖に繋がれ吊るされていた。
逃げ出したことはもちろん、監視役を殴り倒したこともあり、鬱憤を晴らそうとした大人たちにこれでもかと痛めつけられたが、ルザーは不敵に笑い続ける。
彼の視界の中には、包帯を巻かれ左目部分が真っ赤に染まっている小太りの少年がいた。ジャレッドが無事に逃げたのだとわかり、笑みが深まる。
そこへドルフ・エインが現れたのだ。ひとりの少女を連れて。
「もうひとりは逃がしてしまったが、酷く傷を負っているようだ。なによりも人里とは別の方向に向かったらしいので、今ごろ失血死か凍死しているだろうね」
表情にはださなかったが、ジャレッドが死んだと言われ信じたくないが、可能性としてはありえると考えてしまう。
「まあ、死んでしまった人間のことはどうでもいい。問題は君だ。私は駒を集めているんだが、きっと君は私のいうことは聞いてくれないんだろうね?」
「当たり前だ」
「だからこちらで勝手に駒にさせてもらうことにしたよ。この少女を使ってね。君は少しだけ痛い思いをしたあと、生まれ変わる。君の大切な友達を憎み、憎悪し、私に従うだけの人形にね」
「やめろ!」
「そう言われてやめるはずがないだろう。馬鹿かね、君は?」
あきれたドルフを睨みつけるルザー。だが、ドルフは気にも留めていない。周囲に命令を短くだしていくと、楽しそうに告げた。
「さあ、ルザー・フィッシャーくん。生まれ変わる時間だ」
「やめろぉおおおおおおおおおっ!」
これにて過去編は終わりとなります。どうもありがとうございました。