20.ジャレッド・マーフィーとルザーの出会い5.
施設に収容されてから二週間が、自由に行動できるようになり一週間が経った。
結局誰の下にもつかなかったジャレッドは毎日のように誰かから暴力を受けた。ときには反撃もしたが、相手の怒りを誘うだけだと思い知ると、抵抗もやめた。
食事と部屋で読書をしている時間以外は、理不尽な暴力に遭い続けることとなる。
部屋からでたくなかったが、食事は食堂というルールがあり、食事も三食食べなければいけないため嫌でも部屋の外へでなければならない。その度に、誰かに捕まり暴力を受け続けたのだ。
いい加減、暴力を受けることになにも感じなくなった。痛みはあるが、その痛みもどこか鈍く思える。
大人の中で唯一まともなトムでさえ、毎日怪我になるジャレッドの手当てをしながら「誰かの下につけ」と言うだけで、なにもしてくれない。いや、できないらしい。
誰にも頼りたくはなく、必ずここからでて復讐すると誓ったものの、なすすべがない現状にジャレッドの心は再び折れようとしていた。
そんな時だった。
「よう、ジャレッド。ずいぶんとやられるな」
部屋に戻って、声を押し殺して泣いているジャレッドの前に、ルザーが現れ声をかけたのだ。
泣いているところを見られたことから、慌てて涙を拭い睨みつける。
「俺はてっきり、お前は屈すると思っていたんだぜ? だけど、違った。弱いけど根性あるよ、ジャレッド」
ここ数日でルザーのことはよく知っていた。
助けられたことはもちろん、会話こそ一度しかなかったが、彼は強かった。
施設で一番の問題児であると同時に、十六歳であるも大人びており、腕っぷしも強く、グループも関わろうとはしない。ときにはルザーに突っかかる者もいたが、全員が平等に殴り倒されていた。
止めにかかった大人でさえ殴り飛ばし、動けなくなるまで徹底的に痛めつける様は憧れるべく姿だった。
「ずっとお前のことは見ていた。殴られ蹴られ、泣くときは必ずひとりで泣く。何度、理不尽な暴力を受けても泣きはしても屈しない姿に強さを感じた。俺にはとてもじゃないが真似できそうにない」
だが、ルザーはジャレッドと違い、暴力を受けてもやり返すことができる。泣くことも、屈することもする必要はない。
「だから提案があるんだよ、ジャレッド」
「提案?」
「そうだ。なあ――俺と組まないか?」
「組む?」
彼の言葉の意味が理解できず、困惑するジャレッドに「そう難しく考えなくていい」とルザーが落ち着かせる言葉を伝える。
「回りくどいことを言うつもりはないから、はっきりと言う。俺はこの施設をでたいんだ。だから、ジャレッド――俺と一緒にここから逃げよう」
逃げる。施設内で一番強いと思われる少年から発せられた単語に、ジャレッドは自然と頷いていた。
願ってもいない誘いだった。こんな場所から逃げだすこと、毎日夢見ていたのだ。
「お前なら断らないと思っていたぜ。よろしくな、『兄弟』」
ルザーから差しだされた手をジャレッドは強く握りしめた。
その日から、仮初めの兄弟となったジャレッドとルザーは、すぐに脱走をすることはしなかった。まずはジャレッドが最低限戦えるようにしなければすぐに捕まってしまう。そうなれば計画もなにもあったものではない。
抵抗するすべを学んだ。殴られ続けけるだけではなく、拳をにぎりしっかりと殴り返せと、身をもって教わった。
初めて抵抗らしい抵抗をして相手の顔を殴ったときには、酷く間抜けな顔をしており、それが心底おもしろくて笑いながら相手の意識を奪うまで殴り続けた。以来、暴力には暴力で応えることにしたのだ。
原始的だが、別のことを考えなくていい。なにより単純だった。
だが、それ以上に暴力を振るい、振るわれている間は――生きていると実感できたのだ。
抵抗を始めてから一ヶ月が経ち、もともと祖父から剣術の基礎や体術を学んでいたジャレッドは、ルザーの実践的な訓練と受けるとすぐに戦うというすべを吸収していった。
ジャレッドは魔力をもっていることをルザーに伝えるも、いざ頼れるのは自分の体だと言われて納得した。
そのころには、手出しされることが少なくなり、二ヶ月が経つと誰もがジャレッドとルザーと目を合わせることをやめた。子供たちを監視しているはずの大人でさえ、何度も抵抗され痛めつけられた二人には事務的な用事以外では近づいてこない。
唯一、例外がジャレッドを気にかけてくれていたトムだけだった。彼だけは、一度も抵抗されることがなかったのだ。
そして、ジャレッドたちは計画を本格的に練った。職員が減る時間帯、施設の見取り図を手に入れた。残念ながら、この施設がどこにあるのかだけはわからずじまいなため、職員を脅して聞きだす必要があったが、それは脱出の瞬間でいい。
普段は問題児としてふるまいながら、着実に脱出するために二人はより絆を深めていった。
「なあ兄弟。お前はここからでたらなにをしたい?」
「父親を殺したい」
「おいおい物騒だな」
脱出計画も決行を待つだけになったある日の夜。脱出後の目的を聞かれ答えたジャレッドにルザーが笑った。
「こんな場所に入れられて酷い目に遭えばしかたがないな。お前の親父にはしっかり償ってもらわないとな」
「ルザーはなにがしたい?」
「俺は母さんを助けたい」
「お母さん?」
「ああ、俺の母親だ。なんていうか、こんなところにいるけど俺は子爵の息子なんだよ。と言っても、側室の子なんだけどな。おかげで立場は悪いし、子供のいない正室から親子そろって罵られるわ、嫌がらせは受けるわで大変だったのさ」
初めて聞くルザーの過去に驚く。
施設の子供の大半が貴族だと聞いている。中には、力を持つ商人の子供もいるらしい。なのでルザーもまた同じような経歴だとは思っていた。
「もしかして、お母さんになにかあったの?」
「屋敷を追い出されたのはせいせいしたんだが、母さんが病気になっちまったんだ。金もないし、満足に飯も食わしてやれない。それでもどうにかして細々と生きていたんだが、俺がこのザマだ。早くここから逃げて母さんにちゃんとした治療を受けさせてやりたいんだ」
「母親思いなんだな」
「ジャレッドこそどうなんだよ?」
「俺の母親は幼いころに死んだんだ。殺されたって聞いているけど、はっきりとしたことはわかってないんだ」
「……悪い」
気まずそうに表情を変えたルザー。
「平気だよ。母親の思い出は少ないから、悲しい寂しくもあるけど、言うほどじゃないんだ」
「そう思うのが一番寂しいと思うけどな」
「そんなものかな? わからないよ。それに、家族とはうまくいっていないし、父親は俺をこんなところに入れたんだ。憎い以外のなにものも思えない。でも、慕ってくれる従妹とよくしてくれる祖父母にはもう一度会いたいかもしれない」
「会えるさ。必ず会える。俺もお前も、会いたい人たちに必ず会うんだ」
まるで自分自身に言い聞かせるようなルザーの声に、ジャレッドはただ頷いた。
少しだけ、ルザーの弱さを見ることができた気がして、それが信頼の証だと思える。二ヶ月以上の月日を一緒に過ごしたジャレッドとルザーは仮初めの兄弟から、実の兄弟のようにお互いを信頼しあっていた。
「なあ兄弟、俺と約束しないか?」
「いいよ、しよう」
「脱出は必ず成功してみせる。だけど、万が一ってこともある。そのときのことを決めておこう」
「――不安なんだね?」
「ああ、不安さ。不安で仕方がない。母さんのためにはここから逃げたい。だけど、失敗したら母さんはどうなる? そう考えだすと、震えが止まらないんだ」
「だから万が一のことを考えて約束をするんだね?」
「そうだ。まず、どちらかが逃げられなくても助けない。助ける暇があったらとにかく逃げろ」
「うん」
できることなら片方だけが逃げられないという未来は訪れないでほしい。
「その代わりに目的を果たそう。お前が逃げられなかったら、俺が代わりにお前の親父に復讐してやる。だから、俺が逃げられなかったら、母さんを探し出して助けてくれ。頼む」
「もちろんだよ――兄弟」
ジャレッドは笑顔とともにルザーに手をさしだす。
彼がいなければ、きっと今ごろ自分はまだなにもできずに泣いてばかりの弱い子供だったはずだ。
その恩を返すためにも、なによりも兄同然のルザーの願いを聞いてやりたかった。
ルザーはジャレッドの手を強く握りしめると、
「ありがとう、兄弟。お前と会えてよかった」
感謝の気持ちを弟に伝えた。
そして、ジャレッドとルザーは――脱出を決行したのだった。




