17.ジャレッド・マーフィーとルザーの出会い2.
アルメイダと久しぶりに訓練をしたジャレッドは、大きく息を切らせて地面に大の字となって倒れていた。初夏がすぐそこまで近づいているため、夜風が心地いい。このまま目を閉じたくなってしまう。
少しは強くなった自信はあったが、アルメイダには敵わないのは変わらないようで、少しだけ落ち込んでいる。しかし、我武者羅にうごくことができたので気持ちはすっきりしていた。
師匠であるアルメイダには、ルザーの一件は伝えてある。万が一のときには、オリヴィエたちを守ってほしかったからだ。
ジャレッドの願いを師は受け入れてくれた。だが、同時に案じられもした。恩人であり、兄と慕った相手と戦えるのか、と。
アルメイダが心配してくれることは嬉しいが、ジャレッドはルザーと戦うことを決めていた。復讐を望むルザーから理由を聞きだすためにも戦わなければならないとわかっている。
なによりも彼の母親を保護していることを伝えなければならない。少ない人員で徹底的に隠しているため、ルザーも知ることができていないのだろうが、それが裏目に出ていると思わずにはいられない。もし、そのせいでジャレッドが約束を守らず母を放置したと思われているなら、誤解さえとければなんとかなるのではないかと思う。
同時に不安もある。ルザーと離れ一年以上が経っている。その間、彼は地獄を見たと言っていた。
経験は人を変える。将来有望だったバルナバス・カイフが悪意ある意図的な挫折を味わったことで復讐の鬼に化したように、ジャレッドの知る彼らしくない一面をのぞかせたルザーもまた、ドルフ・エインたちのせいで変わってしまったのではないかとつい考えてしまう。
ならば取り返しのつかなくなる前に止めるのは弟分の役目だ。
「なんだかんだ言って、もう二年近くになるんだな……」
収容施設に入れられ、ルザーと出会ってからそのくらいの時間が経っていた。
目を閉じればつい昨日のことのように鮮明に浮かんでくる。
ジャレッドは疲労感に包まれながら、過去を思いだすように目を閉じたのだった。
*
十三歳のジャレッド・マーフィーは、体を動かすことよりも本を読み、勉強をすることのほうが好きだった。
父ヨハン・ダウムから剣の才能がないと落胆されたものの、特別自分から剣を振りたいとも思わないので、気にもしていない。一応、幼いころは父親を落胆させてしまったことへの罪悪感などもあったが、今ではそんな感情は微塵もなかった。
亡き母リズ・マーフィーの遺した書物を読み、魔術というものを知った。少なからず自分に魔力が流れていることは自覚していたが、母の書物に素人が単独で訓練をしてはいけないと書かれていたので知識を増やすことはしても、実践してみようとは思わなかった。
第三者が見ればかわいくない子供だと思うかもしれないが、他人の声を気にするような子供らしい一面は持ちあわせてない。
慕う祖父母と叔父夫婦、そして母が亡きあと側室から正室に繰り上がった義母カリーナ・ダウムと弟ロイク、従姉妹のイェニーがいればそれでいいと狭い世界で満足していた。
父親からは剣を握る必要はないと突き放されていたが、祖父は違うようで基礎を教えてくれた。才能があると言ってくれたのは、父親に冷たくされた孫への心づかいなのかもしれない。
実の子同然に愛情を注いでくれる義母のおかげで、学校にも通うことができ、勉強する喜びを知った。
弟のロイクも兄上と慕ってくれるため、かわいくてしかたがない。
一方で、他の家族とは正直家族と呼んでいいのか幼いジャレッドが疑問に思うほど関係は希薄だった。
父親はよくも悪くも放任主義だった。ロイクともうひとりの弟のレックスには剣術を定期的に教えているが、それ以外ではあまり父親らしいことをしているところが見たことがない。
ジャレッドと顔をあわせないように避けられてはいるものの、実害はなく、もう慣れてしまった。弟たちでさえ、あまり構ってもらっていないことを寂しく思っていると聞いたことがある。
すでにジャレッドは父親を父親として見ていない。家族ではあるかもしれないが、それだけだ。祖父や叔父のほうがよほど父親らしいことをしてくれている。
ロイクやレックスは祖父の屋敷にいかないこともあり、ジャレッドのように祖父や叔父との関係は薄い。側室であるアネットはそんなジャレッドを目の仇のように睨み、口を開けば口汚く罵ってくる。母親の影響で、レックスと彼の姉にあたるクレールはジャレッドを兄として見ようとはせず、剣の一族に生まれながら才能がなく、父親に見放され、長男でありながら家督が継げない落ちこぼれだと思われているのだから始末に悪い。
それ以上に、側室と姉弟にどう思われても気にも留めないジャレッドも、質が悪かった。
剣の才能がなくても、家督が継げなくても、平然としている姿はアネットからすると面白く映らなかったのだろう。
だが、剣の才能があり、家督を継げたとしてもきっとアネットはジャレッドを快く思わなかったはずだ。
アネットたちが鬱陶しいため、ジャレッドは時間さえあれば祖父の屋敷で過ごしていた。兄と慕ってくれるイェニーとただ遊ぶだけの日もあれば、勝ち気な態度をとるレナと口喧嘩することもあった。祖母とお茶をし、祖父から剣を学び、叔父の趣味である釣りに付きあったりもした。
母がおらず、記憶もあまりないため寂しく思うことがあったが、愛する人たちがいて愛してくれる人たちがいる現状を幸せだと思っていた。
しかし、その幸せも壊されることになる。
十四歳の誕生日が近づき、祖父から本格的に一緒に暮らさないかと言われるようになっていた。願ってもない申し出だったが、断るしかなかった。
気が弱い弟のロイクはひとつ年下のレックスに小馬鹿にされ、ときには剣の稽古だと言われ一方的に木刀で殴られることもあるため守ってやらなければならない。
義母カリーナは正室だが、心優しいため強い態度で行動できない人だ。側室であるアネットが好き勝手にやろうとするのだが、家人の多くはカリーナに味方である。その仕返しとばかりに息子を使い地味な嫌がらせをしているのだ。
父ヨハンが注意してもその場限りの返事しかしないため、いじめられる息子をカリーナが案じていることを知っている。
レックスもジャレッドがいるところではロイクに手出ししないため、カリーナから礼を言われることが多々あった。もうひとりの母として慕っているカリーナのためにも、ジャレッドは屋敷を出ることができなかったのだ。
実家と祖父の屋敷を往復する日々が続いたある日、護衛として一緒に行動してくれる家人がアネットに呼びだされてしまい、時間をくれと言われてしまう。
すぐ近くの屋敷に移動するのに護衛などいらないと子供ながらに思うも、仮にも男爵家の長男なので世間体があるらしい。護衛役は家人であり、父の部下でもある人物で気さくな人だった。
いつも彼はアネットにいいように使われていた。人がいいと言うべきか、頼みごとすると笑顔でなんでもやってくれる人柄なのだ。そんな彼でも普段ならジャレッドを優先してくれるが、この日だけは違った。
子供ながら無理難題を言われている彼を不憫に思い、ひとりで祖父の屋敷に向かう旨を伝えると、いつもなら絶対に是としない彼が珍しく承諾したのだ。
「すみません。坊ちゃん……本当に、すみません」
と、何度も頭を下げられて見送られたことに疑問を浮かべたが、屋敷をでるとその疑問も消えてしまった。
今日はイェニーに物語を読んであげる約束をしていたことを思いだし、待ちわびてくれているであろう従妹のために足を進めると――突然、背後から何者かに襲われた。
頭に激痛と熱が走り、殴られたのだとわかったときには、荷物のように馬車かなにかに放り投げられていた。
呻くことしかできないジャレッドは抵抗さえできず、どこかへ連れ去られてしまったのだった。