0-1.Prologue1.
「いい加減にしろっ、コルネリア!」
コルネリア・アルウェイは、兄ライナス・ノーランドの怒鳴り声にうんざりと視線だけを向けた。
数日前、暗殺組織まで雇ってハンネローネ・アルウェイとオリヴィエ・アルウェイの命を狙うも、たったひとりの魔術師によってすべて計画が破壊されてしまった。
オリヴィエに対抗意識を燃やし計画に加担した娘は切り捨て実家に逃げ込むも、父以外の誰ひとりとして歓迎することなく、忌まわしいものでも見るような視線を向けられる日々。
そんな視線が嫌で、まるで自分が悪いことをしたのだと責められているようで我慢できず、自室に閉じこもって父以外には会わないようにしていたのだが、今日に限って兄が無理やり部屋に入ってきたためコルネリアの機嫌は一瞬にして最低となる。
「このまま籠城を続けて立場がよくなると思っているのか?」
「……お父様が夫と話をしているはずではないのですか?」
兄に背を向けたまま返事をすると、盛大なため息が返ってくる。
「もう父はいないと思え」
「なにを?」
疑問を覚えて振り返ると、呆れと怒りを同居させた表情を浮かべた兄が睨んでいた。
「もともと父上はお前に甘かったが、ハンネローネ様の命を狙ったお前を庇うなど信じられん。公爵家のそれも正室殿を娘ごと殺そうなどなにを考えているのだ!」
「お父様はどうなったというの!」
「父上はご病気だ。病が治るまで療養してもらう。当主は私が引き続く」
「そんな勝手なことが許されるわけが――」
「お前にだけは言われたくない! お前のしでかしたことで我がノーランド伯爵家がどれほど危険な立場になっているのか理解しているのか!」
兄の怒声にコルネリアの勢いが殺されてしまう。
思わず口を噤み、悔しげに唇を噛みしめる。
「お前の味方はもういない。だが、私も兄だ。お前を切り捨てることはしたくない。公爵様に頭を下げ、お前を説得する猶予をいただいた」
「はっ。私は説得などされないわ」
「公爵家に残してきた子供たちはどうする!」
「トビアスはアルウェイ公爵家の長男よ! 家督を継ぐべき息子が悪くされるはずがないでしょう!」
貴族はよほど愚かであったり、病弱であったりしない場合は長男が家督を継ぐのが当たり前だ。
しかし、夫はトビアスを後継者候補としても、後継者と断言したことはない。それもコルネリアを凶行に走らせた理由だ。
だが、もとを正せばコルネリアが次期公爵の母として相応しくないからトビアスが後継者として指名されなかった最大の理由となっていることを、彼女は知る由もない。
彼女にとって悪いのはすべて夫とハンネローネだった。
「お前がいつまでもそんな態度であれば強硬策を取られるぞ」
「やれるものならやってみればいいわ。内戦を起こす度胸はあの人にあるはずがないもの。いくら公爵家とはいえノーランド家の私設兵をぶつければ」
「そんなことはさせん」
「なぜよ!」
「公爵家と戦うという選択肢など最初からない。お前のわがままで我が一族に仕えてくれている兵を失うわけにはいかないのだ」
「私よりも兵を取るというの!」
「誰だって同じことをする。罪人であるお前を庇って戦っても、お前の罪は消えない。なによりも、公爵家と戦いになれば我らは手も足もでないだろう」
兄の体が震える。
なににそうまで恐怖しているのかコルネリアは理解できない。
いくら公爵家の抱える兵力が強いとはいえ、手も足も出ないということはありえない。仮にそれほどの戦力を公爵家が集めようとしても、国がそれを認めるはずがない。
「お兄さまはなにを恐れているの?」
「……そうか。お前は知らなかったな。オリヴィエの婚約者を知っているだろ?」
「ええ、嫌なほどに」
コルネリアの計画を邪魔した憎き男――ジャレッド・マーフィー。彼さえいなければ、今ごろハンネローネもオリヴィエも死んでいたはずだった。
忌々しい顔も知らない少年のことを思い唇を噛みしめる。
「彼が宮廷魔術師になることが決まった」
「なんですって?」
一瞬、兄が冗談を言っているのだと思った。しかし、ライナスの表情はこれでもかというほど真剣であり、四十も後半になるが若々しい容姿だった兄が老いて見えた。
「よく聞け。先日、彼を除く宮廷魔術師候補が殺害され、宮廷魔術師トレス・ブラウエル様が襲われる事件があった。その犯人を倒し、事件を終結させたのがオリヴィエの婚約者であるジャレッド・マーフィーだ」
「うそ、よ」
オリヴィエの婚約者が優れた魔術師であり宮廷魔術師候補であることは知っていた。だからこそエミーリアが望んだとき迷わず娘の婚約者にしようともした。
身分は男爵家の長男と低いが、宮廷魔術師候補である時点で将来は安泰だ。貴族でなくなっても魔術師であれば食うに困ることはない。最悪、一族のお抱えとして取り込めばいいのだから。
「あの男は確かに私の邪魔をしたけど、本当に宮廷魔術師になるだけの実力があったというの? 私は公爵家の力を使って候補になったと思っていたの……」
「誰もがお前のようではない。昔からお前は気に入らないことがあれば父上の力を使い、金で解決してきた。幼なじみであるアルウェイ公爵の側室になるときでさえ、ハンネローネ様がご協力してくれたからこそ話がうまく進んだというのに、なぜ命を狙うなどと馬鹿なことをしたのだ!」
「あの女さえいなければ、私が正室だったのよ!」
「……やはりお前は馬鹿だコルネリア。昔と変わらず見たいものしか見ず、聞きたいことしか聞かないな。ハンネローネ様と公爵は昔から相思相愛だった。誰でも知っている。それに、あの方がいなくとも別の誰かが正室になっていただろう。お前では無理だ」
兄の言葉に怒りが込みあげ椅子を蹴倒して立ち上がる。
欲しいものを手に入れるためにするべきことをした妹に対して、すべてが無駄だと言わんばかりの発言は許せなかった。
頬を叩こうと腕を振るも、容易く腕を掴まれてしまう。
「愚かな妹よ、よく覚えておけ。我がノーランド家はアルウェイ公爵に逆らわない。戦えば、たったひとりの宮廷魔術師によって一族は滅ぼされる」
「そんな馬鹿なことができるわけがないわ」
「ならばそう思っていればいい。ジャレッド・マーフィーがその気になれば、お前を屋敷から引きずり出すことも、殺すことさえも簡単だということを」
「なら私を守ってよ! 家族でしょう!」
「自分勝手なことしかせず一族を危険に晒すような者を家族などと思わん! だが、私も兄として妹にしてやれることがあると思っている。だからこそ、いただいた猶予の間に心を改め罪を認めてハンネローネ様と公爵様に謝罪し償え」
「そんなことできるわけがないでしょう! どうして私がハンネローネに謝罪しないといけないのよ!」
あまりにも身勝手なコルネリアの言葉にライナスは深く嘆息し、諦めた表情を浮かべた。
「ならば私はお前のためになにもできない。公爵家から最後通告があれば、容赦なくお前を突きだす。覚悟しておけ」
突き放す兄は言葉とともに、腕を離す。
その場にしりもちをついたコルネリアに一瞥することなく部屋から出ていくと、外から鍵をかけた音が聞こえた。
「どうして、どうしてっ、どうしてなのよっ!」
すべてがうまくいかない。
最初は命を奪うつもりはなかった。危機感を煽り、別宅へ追いやることができたと思えば、夫の関心はよりハンネローネとオリヴィエに向かった。
冒険者を差し向け、危害を加えようとしてもたったひとりのメイドによって阻まれてしまう。手加減しているのが悪いと考え、殺せと命じても結果はかわらなかった。
長年胸の内で燻った感情はもはや気づかぬところで殺意にまで成長していた。コルネリアはハンネローネさえいなければ、すべてがうまくいくという幻想を信じて行動を続ける。
ヴァールトイフェルを雇い亡き者にしようとしても、またしても邪魔が入った。
厄介者のオリヴィエのために忠臣の孫を婚約者にしたとは聞いていたが、まさか宮廷魔術師になるほどの人物だとは思わなかった。
夫の行動ひとつでどれだけハンネローネとオリヴィエが愛されているのかわかる。
思い返せば、ハンネローネがいなくなりコルネリアが仕切るようになった屋敷でも、常に夫の心はハンネローネに向いていた。
「――憎い」
ようやくコルネリアは胸に救う感情を受け入れた。
それは殺意であり、憎しみであり、妬みだ。
幼いころから一途に慕っていた最愛の人を奪ったハンネローネに対しての負の感情だった。
「認めるわ。ハンネローネ、お前が憎い。オリヴィエが憎い。お前たちを守ったジャレッド・マーフィーもすべてが憎いっ!」
「ならば、その憎しみを果たしませんか?」
「誰っ!」
彼女以外に誰もいないはずの自室の中で、男の声が響いた。
驚きに声をあげると、閉じられているはずの扉の前で神経質そうな眼鏡をかけた痩せた男が、蛇のような笑みを浮かべている。
「はじめまして、コルネリア・アルウェイさま。私はドルフ・エイン。とある組織を運営する者です。あなたのお手伝いをするために参りました」