40.復讐者バルナバス・カイフ7.
「うぁあああああああぁあああああああああっ!」
絶叫とともにジャレッドから魔力が閃光となって発せられた。
バルナバスは声を失っていた。
封印されている魔力を無理矢理こじ開け、魔力を自分のもとにしようと奪うはずだった。
しかし、蓋を開けてみればどうだ。
「……こんなことが……あってたまるものか……」
復讐を誓ったせいで正気を捨て、復讐するべき対象以外にも、憎き相手と同様の不正に手を染める者へ天誅をくだし続けた復讐者が正気を取り戻してしまうほど、信じがたい光景が目の前に広がっている。
魔量総量は生まれながらに決まっている。
成長につれて変化は起きるが、予期せぬ事態が起きない限り魔力総量が大きく変化することはない。
ときには、生まれ持っていた魔力が目覚めず、なにかをきっかけで才能とともに開花することがある。そう、死などに近づくことで、生きようとする意志が眠っていた本能を叩き起こすのだ。
だが、そうそうそんなことは起きない。起きても、魔力総量が人間という枠を超えることはない。
「お前は、本当に人間なのか……答えろ、ジャレッド・マーフィー!」
後輩に当たる現宮廷魔術師候補の少年の魔力総量はバルナバスと変わらなかった。少なくとも、バルナバスはそう思っていた。戦いに違和感を覚え、魔力に任せた戦い方がどこかで癖になっているまだまだ荒さが目立つ魔術師だが、かつての自分もそうだったように経験によって精練されていくものだ。
魔力の封印理由はバルナバスにはわからなかったが、封印を解いてもわずかな変化になるとしか考えていなかった。
しかし――、バルナバス・カイフは自分の考えが外れていたと知った。
ジャレッドから立ちのぼる魔力は、保有量の多いバルナバスを優に超えている。いや、そんなものではない。
すくなくとも倍。下手をすれば三倍以上の差がある。
――人間が持つことを許されない保有量だった。
封じている理由が理解できた。人間として生きるなら、これほどの魔力はいらない。魔術師として生きていくのであっても、ここまで大きすぎる魔力は体を蝕み、精神を犯す可能性がある。
だが、もう遅い。
バルナバスは封印を解いてしまった。
はっきりと視認できるほど高密度に集まり高まった魔力が天に昇っていく。
このままではジャレッドは死ぬはずだ。体が魔力に耐えられるはずがない。しかし、自らの魔力に食い殺されるまで十数分の時間はあるだろう。そして、その間に戦えば、勝機はない。
「こんなところで、負けてたまるかっ! 私はまだすべきことをやり遂げていないのだっ!」
魔力を高めるが、ジャレッドの魔力に比べれば実に頼りなく感じてしまう。
『風狂い』のバルナバスの名にふさわしい数多の風刃の乱舞を放ち、ジャレッドに殺到させるも――こちらを向いた少年にすべてかき消された。
*
これほど体が軽く、そして力に漲っていることは生まれて初めてだとジャレッドは思う。
幼少期は魔力こそあったが、魔術師としての才能があったかわからず近くに魔術を教えてくれるような師もいなかった。
収容所で思いだしたくもない辛い思いをして、ルザーと出会い強くなることを学んだ。彼と生き別れアルメイダと出会い、魔術師として鍛えてもらった。
それでも、これほど体と心を支配する高揚感にあふれたことはない。
魔力がどれだけ解放されたのかわからないが、本来持っていたものがどれだけ大きいのか直接理解することができた。
バルナバスによって無理やり封印を解かれた際は、死にたくなるような激痛に苦しんだが、今となっては彼に感謝の気持ちしかない。
もっと早く魔力の封印を解くべきだったと思えてならない。
今ならバルナバス程度の魔力量しかもたない魔術師など力押しで倒すことができる。技術と経験は向こうのほうが上であることは間違いないが、それがどうした。
十の魔力をどれだけ駆使しても百の魔力で叩き潰せばいい。今の自分にならできる。
慢心でも、驕りでもない。
ジャレッドの心はいつになく穏やかで冷静だ。
こうも心が落ち着いていたことが今までにあっただろうか、と振り返るが覚えがない。
魔力が体内の中で躍動する。使え、と叫んでいる。
魔力を捧げ、魔術に変え、敵を倒せと訴える。
そうしようと思う。
「こんなところで、負けてたまるかっ! 私はまだすべきことをやり遂げていないのだっ!」
絶叫をあげたバルナバスから数多の風刃が放たれた。数を変えることは不可能で、視界いっぱいに埋めつくす風刃は容赦なくジャレッドを殺そうとしている。
だが、恐怖は微塵もなかった。
魔力が滾る右腕を力の限り薙ぐと、魔術に変換していない魔力が単なる力として放たれる。
たったそれだけで数多の風刃が相殺され、音もなく砕け散った。
縦横無尽に乱舞する狂った風刃も、今のジャレッドに恐れるものではない。
絶句しているバルナバスを視界で捕らえ、軽く地面に魔力を流す。地属性の精霊たちが過剰に与えられた魔力に驚きながらも歓喜して力を分け与えてくれる。
「――地なる蛇よ、食い殺せ」
短い詠唱かつ命令を言い放つと、地面が隆起して五メートルほどの大蛇が生まれた。
地を暴れ狂いながら襲いかかった石の大蛇から逃れようとバルナバスが大きく跳ぶ。しかし、ジャレッドが軽く指を鳴らすと、それが合図だったかのようにもう一体の大蛇が現れバルナバスを襲った。
「おおおおおおっ!?」
風の壁を生みだし大蛇を受け止めるも、二体の大蛇が頭をぶつけ、尾をぶつけ、最後に長い体に力を込めて障壁にぶつけると、障壁とともに砕け散った。
「はっ、ははっ、この程度か、それだけの魔力を持ちながらこの程度なのかジャレッド・マーフィー!」
「この程度だよ」
再び指を鳴らすと、一体の大蛇がまた生まれた。
暴れるのではなく一直線にバルナバスに向かって咢を開き、喰いつかんとする。
「愚かな。二体で我が風壁と相殺されながら、一体しか生みださないとは呆れてものが言えん」
風壁で自らを守り、その障壁の中で詠唱を始めたバルナバス。石の大蛇が砕けた瞬間と同時に攻撃に転じよとしているのだ。だが、それは叶わない。
石蛇が咆哮をあげて風の壁に守られているバルナバスに襲いかかる。
咢が障壁を噛み砕き、そのままバルナバスの腕を食らった。
左腕を肩の付け根から失い鮮血をまき散らしながら倒れなかったことは称賛に値する。感心していたジャレッドの視界の中で、石蛇が地面に潜り、バルナバスが膝を着いた。
彼は無くなった腕を確認するように右腕で探り、なにもなく血が流れていることを認識すると、
「私の、私の腕がぁああああああああああああああ!?」
自覚することで襲いかかってきた激痛を受け、力の限り絶叫した。
「許さんっ、許さんぞっ、貴様――この私を誰だと思っている! 宮廷魔術師候補『風狂い』のバルナバスだぞ! 貴様程度の魔術師が、私を殺せるものか! 私は、私は――」
「もういい。黙ってくれ」
静かに、有無を言わさぬ声を放ち、魔力を高めていく。
今、持て余している魔力の内、制御できる半分ほどの魔力をすべて次の魔術へと変換する。
「ふざけるな! 私は被害者だ! 復讐する権利がある! 不正する愚かな魔術師を、貴族を裁く義務があるのだ!」
「お前は間違っていたんだ。復讐するだけならまだよかったのに、関係ない人たちを巻き込んで殺した。それだけは許せないお前の罪だ。もうお前は被害者じゃない」
「私の人生はどうなる? すべてを台無しにされ、奪われ、狂わされたのだぞ! この怒りは正当のものだ!」
「そうだな。怒りは正当のものだ。だから、お前に殺された宮廷魔術師候補たち、トレス・ブラウエルの家にいた人たちの家族もきっと同じことを思っている」
「私は特別だ! 不正をした愚かな人間や、魔力を持たない非魔術師などと同列に扱うなっ!」
高まった魔力を集めた両腕を組み、頭上へと高く掲げ構える。
かつてアルメイダが地属性魔術の最強と言える魔術を見よう見まねで真似る。今なら、今の魔力なら使える気がした。
「お前にはずっと言いたかったことがある」
「なんだ、なにを言う。貴様のような子供が私になにを言うというのだ!」
「子供でも知ってるぜ――不正よりも殺人のほうが罪は重いって」
ジャレッドの言葉に、痛みに苦しんでいたバルナバスが怒り一色になる。
「怒った顔するなよ。わかってやっていたんだろ。お前の行動のきっかけには正義があったのかもしれない。だけど、今のお前は復讐するためなら、自分の怒りを発散させるためならなにをしても許されると勝手に思い込んでいる哀れな人間だ」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れっ! 貴様になにがわかるっ! すべてを奪われ、未来を台無しにされたことがないから、そのような綺麗ごとが言えるのだ! ジャレッド・マーフィー! 貴様が宮廷魔術師候補の座を奪われ、宮廷魔術師になれなかったらどうする? 実力不足ではなく、悪意ある第三者の手によってその場を奪われたのなら許せないとは思わないのか!」
「許せないと思う。だけど、お前ほど宮廷魔術師には思い入れはない。母が宮廷魔術師だったからなりたかった。オリヴィエさまが婚約するにあたって出した条件が宮廷魔術師になることだったから候補になった。もちろん、俺も魔術師だ。国で十二人にしか与えられない称号が欲しくないと言えば嘘になる。だけどさ、そんなものよりももっと大切なものがあるだろ?」
大切な人がいる。守りたい人たちがいる。友人と家族だっている。
それだけで幸せだ。高望みはしたくない。
多くを望み過ぎて、近くにある大切なものを失うことだけは嫌だ。
「私を正気ではないと言ったが、貴様のほうが狂っているぞ、ジャレッド・マーフィー! それだけの魔力がありながら、宮廷魔術師をそんなものと言うのか! 万死に値する!」
「どうせ俺とお前の意見が合うことはないさ。なら決着をつけよう、バルナバス・カイフ」