12.学園内の揉め事2.
厄介なことになった、と頭が痛くなった。
なぜ、こうも頭に血が上っているのかわからないが、もともと猪突猛進なところがあるラウレンツが、激高しているのは困る。教室で怒りを爆発されたら大惨事になってしまう。
「場所を変えるぞ」
「おいっ、僕に触るな!」
クラス中の視線が集まる中、ラウレンツの腕を掴んで強引に移動する。
ジャレッドよりもラウレンツのほうが体格はいいが、単純な力比べなら負ける気がしない。抵抗するラウレンツを引きずって校舎の外まででることにした。
万が一、校舎内で魔術を使われたら堪ったものではない。
しばらく腕を掴んだまま歩くと、次第に抵抗を諦めたラウレンツと訓練所に移動した。
訓練所は文字通りの用途で使用される。騎士を目指すものは剣を、魔術師を目指すものは魔術の訓練をする実習授業があり、生徒たちの人気は高い。
訓練所は授業以外でも開放されていて、自主訓練ができる。
そして、生徒同士の揉め事で使われることも度々あるのだが、まさか自分が使うはめになるとは思ってもいなかった。
「いい加減に離せっ」
腕を振り払われてしまったが、訓練所の中に入ることができたので安堵の息をはく。訓練所は宮廷魔術師が幾重にも結界を張ってあるため、仮に生徒が本気で魔術をぶつけあったとしても校舎に影響はない。せいぜい大きな音が聞こえる程度だ。
制服のしわを気にするラウレンツの体から魔力が漏れているのを感じた。よほど感情が不安定なのだろう。
「お前、どれだけ俺が宮廷魔術師候補に選ばれたことが気に入らないんだよ?」
「黙れっ! お前のように、コネを使って宮廷魔術師候補になって恥ずかしくないのか?」
「ふざけるなよ。俺がそんなことするわけがないだろ!」
「ならばどうしてオリヴィエ・アルウェイと婚約したんだ! あの女と婚約したと噂が流れた翌日に、今度は宮廷魔術師候補に選ばれたと噂が流れているじゃないか!」
「たったそれだけで俺がオリヴィエさまを利用したと考えたのか? いい加減にしろ!」
してもいないことを糾弾されて怒りが募る。
冷静でいなければならないと頭では理解していただが、我慢できずにラウレンツの襟首を掴んで壁に叩きつけた。
「俺は卑怯なことなどしない!」
「信じられるものか!」
「マーフィーくん、やめて!」
遅れてやってきたクリスタが腕にしがみついてきたせいで、ラウレンツから手を離してしまった。
圧迫されていた首が開放されて咳き込むラウレンツに、取り巻きたちが駆け寄り声をかける。
「友よ、いつもの友らしくないではないか?」
「別に、ただの噂を真に受けた馬鹿に苛ついただけだ」
「なんだと!?」
「だいたい、怒りたいのはこっちの方だ。昨日から俺の知らないところで好き勝手に噂が流れるわ、噂を信じた馬鹿が突っかかってくるわ、いい加減にしろ!」
怒声を張り上げ、壁を殴りつけた。
拳に走る痛みが冷静さを少しだけ取り戻してくれる。
「いくら噂だと言っても、お前があの尻軽を婚約者にしたとたん宮廷魔術師候補になったのは事実だろ」
ラウレンツの取り巻きのひとりが、ジャレッドを睨む。だが、ジャレッドがそれ以上に怒りを込めた眼光で睨み返す。
「お前、今、誰をなんて言った?」
「な、なんだ、婚約者を尻軽と言われて怒ったのか? だが、尻軽は尻軽だ」
「よさないかドリュー! この場にいないとはいえ、オリヴィエさまに対して不敬だぞ!」
ドリューと呼ばれた少年は不愉快な表情を浮かべてラウレンツに反論する。
「ラウレンツさまだってマーフィーが不正したって言ったじゃないですか。だったらあの尻軽が婚約者の立場をいいものにしようと手を回したに決まっていますよ」
「僕が言っているのはそういうことじゃない。女性のことを蔑むような言葉を吐くなと、言っているんだ!」
たしなめられても堪えた様子がないドリューは舌打ちすると、ジャレッドから離れようとする。だが、させなかった。
訓練所の地面から無数の茨が伸びてくる。意志を持つようにドリューの足へ絡まり、続いて腰に巻きついていく。あっという間に、体中を茨に覆われたドリューは自分の身になにが起きたのか理解することもできず声すら上げられない。
「好き放題言ってすっきりしたなら、今度はこっちがすっきりする番だ」
「よせジャレッド!」
「黙っていろ、ラーズ。お前には関係ない。クリスタを連れてさがっているんだ、いいな!」
未だ腕にしがみついていたクリスタを離し、ラーズに預けると、茨に覆われたドリューに声をかける。
「恐怖で動けなくてよかったな。この茨は動くものは傷つけるが、動かなければ害がない。痛い思いをしたくなければじっとしていろ。お前はあとで暴言に対して相応の罰を受けてもらう」
「なにを、した……」
「この茨は俺の魔力で育てた茨だ。大地属性魔術師は植物も扱うんだよ。どうした、知らなかったのか?」
それだけ言うと、ジャレッドは警戒を露わにこちらを伺っているラウレンツに向き直る。
「どうする? お前たちもこいつのように、痛い目をみたいのか?」
「ドリューを離せ」
「断る」
「婚約者を悪く言われたお前の怒りは間違っていない。あいつにはちゃんと謝罪をさせる。僕からも謝る――」
「それ以前に、話し合うことがあるだろ?」
ラウレンツの言葉を遮ってジャレッドは静かに口を開く。
「まず誤解を解いておく。オリヴィエ・アルウェイは俺のために魔術師協会に手を回すことなんてしない。もちろん、アルウェイ公爵も同じだ。なによりも、公爵家の力で宮廷魔術師になることができるのなら、今ごろ宮廷魔術師は公爵家一族で固められているはずだ。空席が半分あるなどありえない」
魔術師協会は半独立した組織であり、王宮でさえ協会を言いなりにはできない。
魔術師協会はあくまで魔術師のための組織である。確かに優れた者は優遇するし、現にジャレッドも授業を免除される代わりに依頼を受け報酬まで貰っている。しかし、優れた者が優遇されることはどの社会でも珍しいことではない。
代わりに、優れた魔術師であれば身分にかかわらず魔術師協会の庇護を得ることができるのだ。魔術師として大成したいものなら必死に努力するはずだ。
魔術師とは限界を求め、限界を越えようとする生き物なのだ。知識を求め、技術を求め、戦いを求め続ける。
ゆえに、権力を使って宮廷魔術師になろうという『安易な近道』をしようとは思わない。もし、そのような考えを持つ者がいるのなら、それは魔術師ではない。魔術が使えるただの人間だ。
「ラウレンツ、お前は猪突猛進なところがあるが、馬鹿じゃない。魔術師としての誇りだってもっていることを俺は知っている。なのにどうして、放っておけばいい噂を安易に信じた?」
「それは……」
「俺が本当に宮廷魔術師になりたいがために、公爵の娘と結婚して、権力を手に入れようなんて考えていると思ったのか?」
ジャレッドは俯くラウレンツの顔を掴み、視線を合わせて断言する。
「俺には魔術しかないんだ。だから、絶対に魔術に関わることで恥ずべき行為はしない」
「だったら……なぜ、お前はなにも否定しなかった」
「なに?」
「お前はいつだってそうだ! 優れた魔術師でありながら、家督を継げないと馬鹿にされても平然としている。オリヴィエさまとの婚約の話だって悪く言われていることを知らないとは言わせないぞ! そして、今回の宮廷魔術師候補の話だって同じだ。違うなら違うと一言ちゃんと言ってくれればいいじゃないか!」
「俺は言っただろ?」
「それはさっき僕に言っただけだろ!」
ラウレンツの瞳から涙がこぼれ落ちる。
これにはジャレッドも驚いた。
「お前は悔しくないのか? 才能を持ち、才能に溺れず努力をして実力をつけたにもかかわらず、影で馬鹿にされているんだぞ! お前にとっては取るに足らないことなのかもしれないが、誰もが口を揃えて不正をしたと言っているんだぞ、否定するべきじゃないのか?」
「なんでお前が泣くんだよ。泣くのなら俺だろ?」
「僕の気持ちがわかってたまるか。昨日、僕がどんな思いで、家督を継げないからオリヴィエさまと婚約したと根も葉もない噂を否定して回ったか知らないだろ? 恩着せがましいことをいいたいわけじゃない。僕は、僕が憧れて追いかけているジャレッド・マーフィーを悪く言われたくなかったんだ!」
「ラウレンツ、お前……」
「なのに今日になったら今度は権力を使って宮廷魔術師候補になったと噂が学園中に流れている。信じたくなかったが、お前が誰にも否定しないせいで僕はもしかしたらと思ってしまったんだ」
ようやくラウレンツの行動に納得がいった。同時に、自分の知らないところで噂を否定してくれていたことに感謝の気持ちを抱く。
てっきり嫌われていると思っていた。ライバル視され、突っかかってくるのも自分のことが気に入らないからだとばかりだと。しかし、違った。勘違いしていたのはジャレッドの方だった。
涙を拭うラウレンツにジャレッドは頭を下げ、
「悪かった。そして、ありがとう」
感謝の気持ちを伝えた。
「確かに、俺は噂を無視していた。不愉快だけど、いちいち反応していたら面白がるだけだと思っていたから相手にしなかった。だけどまさか、ラウレンツが俺のために噂を否定してくれたんて知らなかったんだ」
誰もがおもしろがっていると思って放置していた。ラーズが噂に関わることはないし、クリスタもジャレッドがどうするのかわかっていたので否定したい気持ちがあっても、否定しなかった。
だが、ラウレンツが自分のために行動を起こしてくれていたと知っていればもっと違う対応ができたはずだ。
そのことがただ悔やまれる。
「僕だけじゃない、ベルタとクルトも手伝ってくれたんだ。だからこそ、不正をしたと聞いて僕たちは許せなかった」
「すまない。ベルタとクルトもすまなかった」
「勝手にやったことだ、謝らなくていい。だけど、お前の怒りを僕自身の目で見て違うとわかってよかった。お前は不正をするような魔術師じゃない」
「ああ、俺は不正をしたりしない。そんなことしなければ宮廷魔術師候補になれないなら、はじめからなろうと思わない」
仮に善意でオリヴィエやアルウェイ公爵が魔術師協会に口をきいてくれると言ってもジャレッドは間違いなく断っていただろう。それどころか、確実に距離を置いたはずだ。
魔術師として力不足だと言われているようなものなのだから。
力不足なら自分のせいなのだから構わない。しかし、それを理由に誰かになにかをしてもらいたいとは思わない。
戦闘で助けてもらうことや、自分に足りたい部分を補い協力してもらうこととまったく意味が違うのだから。
「なら、よかった。すまない、僕は確かに猪突猛進だ。教室であれだけ騒いでしまえばまた新たな噂が流れてしまうな……」
「俺は、俺の大切な人たちが真実を知ってくれるならそれだけでいいんだ。だから、お前たちに真実を知ってもらえたことが嬉しい。信じてもらえたのなら、もっと嬉しい。ありがとう」
ジャレッドは自分のために行動してくれた不器用な友人を強く抱きしめた。