36.復讐者バルナバス・カイフ3.
魔力を解放したバルナバスが大きく両腕を掲げる。
「逃げろ! バルナバスの魔術は、風の刃を馬鹿みたいな数を放って操作するのよ! 蹂躙される!」
「遅いっ!」
アデリナの助言が飛ぶも、ジャレッドが行動を起こすよりも早くバルナバスの両腕が勢いよく振り下ろされた。
風属性の魔術は視認できない怖さがある。だが、詠唱を耳にすることで魔術のよそくをたてるのだが、バルナバスは無詠唱で魔術を放った。これでは予測もなにもない。
振り下ろした腕がジャレッドに向いているが、それではただ一直線に向かってくることだけしか判断できない。
アデリナの言葉を信じれば、風の刃が襲いかかってきている。しかも、尋常ではない数だ。さらに彼は風の刃を操作できるとまで言う。
なんてでたらめな、と内心毒づきながら、精霊たちに干渉して障壁を生みだす。
「我が風のほうが早い!」
風属性魔術は攻撃として使われると属性魔術の中で最速を誇る。単純な力では火属性が一番と言われているが、攻撃が当たるまで魔術が放たれたことさえわからない場合もある風属性はもっとも怖い。
ジャレッドが得意とする地属性は、攻防に優れているが、風属性のような速さを持たない。だからこそ、属性魔術ではなくただの魔力を消費した障壁で防御しようとしたのだが――、
「っ――ああああああああっ!」
不可視の刃は障壁がジャレッドを守るよりも早く肉体に到達し、体中を切り刻んだ。
痛みに声をあげ、体中から裂傷による鮮血が噴きだす。
幸いなのは、致命傷にならなったことだ。
風属性魔術は、最速ではあるが威力はやはり劣る。詠唱を行い魔力を存分に込めれば、一撃必殺も可能だが、今のバルナバスのように無詠唱で放たれた風刃なら食らっても死ぬことはない。
だが、何度も食らえば危うい。
「とっさに張った割には硬い障壁だ。十二箇所しか傷を負わせられなかった。五十の刃を放ったのだが……若いからと侮れないな」
感心しているバルナバスからやはり狂気は感じ取れない。
魔術を使うと冷静を取り戻すことができるのか、と疑問に思う。だが、そんなことはどうでもいい。冷静になったバルナバスは相手にするには厄介だということが、たった一撃でわかった。
「この程度でミノタウロスを殺したなんて思えないね。それに、この程度の傷をつけたからって自慢されても困るんだけど。全然っ、痛くないし」
全身を痛みが襲っているが、両足に力を込めて踏ん張り、意地で笑って中指を立てる。
「ふっ。若いな。だが、その無謀さは嫌いではない」
笑みを浮かべたバルナバスの周囲から、風を切る音が聞こえてくる。
耳を傾けるまでもなく、彼が風刃を操作しているのだとわかった。
「……視認できる?」
「素晴らしい! 君には見えるのか、ジャレッド・マーフィー! 我が風の刃は魔力を高密度に凝縮したもののため、強い魔力を持つ者なら視認が可能なのだよ。もっとも、見られてしまうのは風属性特有の不可視がなくなってしまうことになるのだが、見えたところで速さに対応できまい」
その通りだが、見えるだけで違う。
反応できない速度であっても、まったく見えないわけではないならなんらかの対策は可能だ。
精霊に魔力を捧げ力を借りる。求めるのは地属性の精霊たちの力だ。
自分ともっとも相性がいい精霊たちに干渉し、砂塵を起こす。
「……ほう」
感心した声が届くが、今は反応している時間が惜しい。いつ放たれるのかわからない風刃に対抗するには、身を覆わない限り難しい。
「高密度の魔力を帯びた砂塵か……風刃を防ぐには判断としては悪くはない。しかし、魔力の密度なら私のほうが上だ!」
ひゅん、と風切り音を立てて風刃が放たれる。
目に追えない速度ではあるが、標的が自分である以上砂塵の密度を増して防御ができるはずだ。
そして、ジャレッドの考えは見事に的中した。
四方八方から襲いかかる風刃は砂塵の楯で防御ができた。死角から襲いかかってくる攻撃さえ、巻き上げる砂塵と精霊たちの補助によってすべて防ぎきる。
「器用な真似をする。だが、チェックメイトだ」
「なに?」
疑問の声を上げた刹那――ジャレッドは身を覆う砂塵ごと衝撃を受け、大きく吹き飛ばされてしまう。
アデリナ宅の壁に激突したと同時に、意識が飛びかける。
壁を崩し、瓦礫に埋もれたジャレッドは、なにが起きたのかすぐに理解した。
「……風刃を放っている間に、風の塊を撃ったな……」
「正解だ、ジャレッド・マーフィー。魔術師の戦いは実にシンプルだ。お互いに魔術を放つことで、どちらが上かを競う――実に紳士的だ。だが、私はこの七年で本当の実戦を学んだ。勝利するためならば汚いことでも、裏をかくことでもなんでもしよう。勝者こそすべてなのだから!」
「……同感だ」
瓦礫に埋もれたまま、ジャレッドは地面を軽く叩く。
ともに吹き飛ばされた精霊たちが仕返しだといわんばかりに、与えられた魔力を得て攻撃に転じた。
しかし、すべてバルナバスの風刃によって防がれてしまう。
「そういえば君も実戦に生きる魔術師だったな。魔術遊びではなく、命の奪いあいを知る君には説明の必要がなかったようだ。さて、まだするべきことが残っているので、君には死んでもら――あ?」
バルナバスの言葉が止まり、ジャレッドが唇を吊り上げた。
戦いを傍観していたラウレンツやアデリナたちが大きく目を見開く。
「いつ、のま、に……」
バルナバスの胸から黒曜石の槍が生えていた。
再び地面を叩くと、バルナバスの背後からさらに黒曜石の槍が放たれ足、腕、腹を射抜いていく。
「紳士的な魔術師じゃないもんでね。お前の力をずっと探っていた。そして、今の俺には真っ向勝負をしても勝てないとわかっていたんだよ」
ジャレッドにはミノタウロスを単身で撃破する実力はない。
しかし、他ならぬバルナバス自身のおかげで不意打ちが成功したのだ。
「お前はずっと俺を見下していた。理解はできる。ミノタウロスを殺したお前は、間違いなく俺よりも強い。だけど、お前は余裕を持ち過ぎだ、バルナバス。真正面から俺を倒して力を見せつけようとしたかったんだろうけど、そんな綺麗な戦いに付き合うつもりはない」
瓦礫をどかし立ち上がると、挑発するように笑みを浮かべる。
吐血し咳き込むバルナバスが、黒曜石の槍を風刃で斬り落とし、体から引き抜くと鬼のような形相でジャレッドを睨みつけた。
「……やってくれたな……やってくれたなっ、小僧がぁ!」
理性を吹き飛ばし、激昂したバルナバスにジャレッドは笑みを深くする。
まともに戦っては勝てそうもないのなら、まともに戦わなければいい。正直、理性を取り戻したバルナバスへの対抗手段は困ったが、もう一度正気を失わせることで少しでも勝機を見出そうとした。
そして成功した。
バルナバスに合わせて上品に魔術師らしく戦った甲斐があったというものだ。本人は、実戦を学んだと言っているが、彼の戦い方は綺麗すぎる。
風刃から風の塊を隠れて打つなど、少し実戦をかじっていれば誰でも思いつく。
もっとも、吹き飛ばされるまで砂塵の防御でなんとかなると思っていたのはジャレッドの判断ミスだったが、すべては背後から攻撃するためだ。
すべての魔力を防御に割くのではなく、精霊たちに与え背後から攻撃させたのだ。バルナバスが油断したタイミングで。
「危ないジャレッド! 避けろ!」
ラウレンツの声が響き、反射的に大きく横へ飛ぶ。
背後からなにかが襲いかかるのが視界の端に見えたと同時に、左腕に熱い痛みが走り、斬り裂かれたのだとわかった。ラウレンツの声がなければ背中を貫かれていただろう。
「貴様ごときにできることなど、私でも可能だっ」
体を貫かれているにも関わらず、痛みなど感じていないようにこちらに向かってくるバルナバスのそばには、今しがたジャレッドを襲ったナイフが浮いている。
風で浮かせて操っているのだ。
風属性魔術師の中でも一握りの者だけが、物体を風により自在に動かすことが許される。
想像ができないほどの集中力と、魔力が必要となるが、極めれば自らの体さえも風によって浮かせ、飛翔が可能となると聞く。
バルナバスは想像以上に優れた風属性魔術師だった。攻撃に特化しているわけでもなく、技術面でも精神面でも優れている。これで怒りに我を忘れているのだから、宮廷魔術師となり七年間正統に鍛えられていたのなら、どれほどの魔術師になっていたのだろうと悔やまずにはいられない。
「背後から襲うことをそんなに自慢されてもねえ……あれ?」
だが、所詮は攻撃は攻撃。後ろからだろうと、対処の方法はある。
ジャレッドが負けじと次なる攻撃を仕掛けようとしたそのとき、視界が揺れた。
魔力が高まらず、視界がぶれる。平衡感覚がなくなったのか、足に力が入らない。
近くにいる精霊たちが心配そうな声をあげるも、彼らを安心させる余裕すらなかった。
そして、ジャレッドは、己の意志に反して瓦礫の中に再び倒れたのだった。