31.アデリナ・ビショフの事情1.
貴族地区を進んだジャレッドとベルタは、アデリナ・ビショフの屋敷の前でラウレンツとクルトを見つけた。
向こうもこちらに気づく。ラウレンツが気まずそうな表情を、クルトが安堵の表情を浮かべたのがわかった。
「ラウレンツ様、よかった。ご無事で……」
「ベルタ、どうしてジャレッドと一緒にこんなところに?」
「それはこっちの台詞だよ。ラウレンツ、お前さ、魔術師協会で情報を手に入れただろ?」
図星のようで口を閉ざしたラウレンツに、デニスの予想が当たっていたとわかる。
周囲を見渡し、魔力を探るも、大きな魔力は二つだけ。ラウレンツと、おそらく屋敷の中にいるアデリナのものだ。
まだバルナバスがいないことを確認すると、もしかしたらプファイルが今ごろ遭遇している可能性もあるため安心はできない。
「バルナバス・カイフがどれだけの実力者かわかっていて、ここにいるのか?」
「もちろんだ」
「なら、なおさらお前を連れて帰るぞ。自殺行為は見逃せない。おい、ベルタ。約束を果たせ」
「わかっている。さあ、ラウレンツ様、屋敷へ戻りましょう。クルト、手伝え」
ベルタがラウレンツの腕を掴み、強引に引っ張る。しかし、ラウレンツも少女の力で引っ張られるほど力がないわけではない。
「やめろ、ベルタ。僕はケヴィンさまの仇を取ると決めているんだ。邪魔をするならいくらお前でも――」
ラウレンツの言葉を最後まで言わさないようにジャレッドが殴りつけた。
壁に背を打ちつけ、むせ込むラウレンツの襟首を掴んで怒りを宿した声で問う。
「お前の師匠が殺されたことは不憫だと思う。だけど、危険だと承知でお前のことを心配してここまできたベルタや、ずっとそばにいたクルトをないがしろにしてまでしなければいけないのか?」
「それは!」
「俺だって心配したんだ。だから探しに、いや、連れ戻しにきたんだ。ラウレンツの怒りは正当なものだ。大切な人を殺されたなら犯人は絶対に許せない。だけど、今は屋敷に戻ってくれ、頼む」
「……なら、バルナバスは野放しなのか?」
悔しそうな声が響く。ラウレンツも、身を案じてくれる誰かがいることはわかっているのだ。それでも、犯人が野放しであることが許せないと思っているのだ。
慕っている師匠が殺された怒りはよくわかる。例え、敵わなかったとしても一矢報いたいとか投げているのも理解できる。しかし、それでは駄目だ。生きなければ駄目なのだ。
「もう魔術師協会に手配された。いくらバルナバスがミノタウロスを倒した実力者だとはいえ、もう逃げられない。元宮廷魔術師候補が起こした事件を、そのままにはしておけないはずだ」
現時点ではバルナバスの正確な動きが推測できないため宮廷魔術師が国の重要人物を護衛に当たっている。だが、バルナバスはそんなところへは現れない。魔術師協会も、王宮もわかっているはずだ。それでも万が一に備えているだけ。
奴の目的が、復讐だという明確な証拠を得て、万が一の可能性がなくなるまで宮廷魔術師は動けない。逆にいえば、宮廷魔術師さえ動けるようになれば、バルナバスはおしまいだ。
いくら奴が単体で強くとも、仮に宮廷魔術師よりも強かったとしても、王国でも十二人に与えられる魔術師としての称号を持つ者が複数いれば、敵うまい。
ミノタウロスも竜種も、宮廷魔術師がひとりでは倒すことができずとも、複数にいれば倒せる。犠牲は出るかもしれない。だが、可能なのだ。そして、バルナバスも同じことだ。
国には宮廷魔術師しかいないわけではない。彼らが戦場で指揮をとる魔術師団や、不仲であっても国を思うことは同じであるはずの騎士団もいる。
この全員を相手にしてもなおバルナバスが勝利できるのなら、この国は終わりだ。しかし、奴にそこまでの力が備わっていることはさすがないない。
ミノタウロスや竜種だろうと、国を亡ぼすことはできないのだ。
「だが、僕はこの手でケヴィン様の仇を取らなければ気が済まないんだ! 愚かだとはわかっている。ベルタとクルト、そしてジャレッドにも心配をかけてすまないと思っている。それでも、この怒りは収まらない!」
「なら、俺は力ずくでもお前を連れてかえる。こんなところで、くだらない権力争いの亡霊にお前が殺されることは見たくないんだ」
いつ本格的な抵抗をされてもいいように魔力を高め、精霊たちに干渉する。
「ジャレッド、落ち着いてくれ。ここでお前とラウレンツ様が争ってもしかたがないだろ!」
「そうだ、マーフィー。お前まで冷静さを失ってどうするんだ!」
双子の声を聞くことで冷静さを取り戻した。そうだ、ここで争ってもしかたがない。こうしている間にバルナバスがこの場にくる可能性だってある以上、一刻も早く離れなければならない。
遭遇すれば一切の容赦も手加減もなく敵として打ち倒そうと決めたが、友達を気にしながら戦えるほど器用ではない。
それでなくても、貴族の屋敷が建っている地域で派手な魔術戦などしたら、どのような被害がでるかわかったものではないのだ。
同じ意味で、貴族地区でバルナバスとアデリナも戦わせたくはない。だが、この二人に関して、顔を合わせれば戦わないという選択肢は存在していないと諦めている。会えば間違いなく戦いが始まるだろう。被害などなにも考えずに。少なくともバルナバスは気にしないはずだ。
できることならアデリナに勝利してもらいたいが、魔術師協会のデニスでさえアデリナに分が悪いと判断していたのだ――結果はもう決まっているのかもしれない。
「深呼吸しろ、ラウレンツ。お前がバルナバスに復讐をしたいならそれでいい。俺も手伝おう。だけど、今日は駄目だ。俺は魔力が不安定で、安定させる必要があるから戦えない。お前だって、休んでないだろ。そんな体と、怒りに支配された精神力じゃ、とてもじゃないけどバルナバスは勝てない」
「……そんなこと――」
「わかっているんだよな。でも、怒りが収まらない。痛いほどわかるよ。それでも、その怒りを今は飲み込んでくれ。頼む。友達として、頼む」
懇願するジャレッドの言葉を受けて、ラウレンツは諦めたように強張らせていた体から力を抜いていく。
「わかった。戻ろう」
「……よかった。ありがとう、ラウレンツ」
ジャレッドだけではなく、事の成り行きを見守っていたベルタとクルトも安堵の息を吐きだした。
少なくともこれで今日、ラウレンツがバルナバスと戦うことはなくなる。あとは、早くこの場から立ち去ればいい。
ラウレンツの気が変わらない内に、貴族地区から離れようとした、そのとき――。
「青春ごっこならよそでやってくれない?」
聞き覚えのない、どこか冷めた声がジャレッドたちに届いた。
声の主を探し、視線を移すと、屋敷の門の前にひとりの女性が腕を組み立っていた。
「これからアタシは、怒り狂った旧友を出迎えなければならないのよ。だから、アンタたち――邪魔」
シルバーブロンドの髪を短く揃え、右目を隠した前髪が印象的な美女が鬱陶しいと言わんばかりにこちらを見ていた。
彼女こそ屋敷の主であり、バルナバスが狙うであろう標的のひとり。
――宮廷魔術師第八席『水鏡』のアデリナ・ビショフだった。