19.ジャレッド・マーフィーの過去2.
「俺が父親と関係が最悪なことは知っていますよね?」
「ええ、ごめんなさい」
言葉短く返事をしたオリヴィエの表情からはどこか気まずさを感じる。
事前に調べていることは聞いたが、もしかしたら罪悪感を抱いてしまっているのではないかと予想する。
「気にしないでください。以前にも言いましたけど、オリヴィエさまが俺のことを調べるのは当たり前です。それに、どこの貴族だって、いえ、一般家庭だって結婚相手は事前に調べますからね」
貴族以上に結婚相手の過去や家柄を気にするのは商家だ。商売もそうだが、野心を持つ商家はいずれ貴族にと考える節があるので、貴族の子女や家督を継げない人間を一族に迎えようと躍起になる。
しかし、条件が悪い相手はだめだ。金づかいが荒い場合、女癖や男癖が悪い場合は、例え貴族との縁談でも突っぱねる。それが商家だ。
「俺の父親は俺のことをまともに息子として扱ったことはありません。俺もまともに父親だと思ったことはないんです。どうせ屋敷にいても母はもうおらず、義母はとてもいい人でしたが、側室との関係は最悪だったので俺の面倒を見ようとしてくれたあの人に余計な負担はかけたくありませんでした。なので、祖父の屋敷に入り浸っていましたよ。イェニーと遊び、書物を漁り、あのころはなんだかんだと楽しくの平和でした」
だが、その時間に突然終わりが訪れることになる。
「いつものように祖父の屋敷に向かっていた俺を誰かが襲いました。頭を殴られ、意識を失った俺は――どこかの施設で目を覚ましました」
「どうして?」
「父親の仕業ですよ。剣の才能がなく、祖父に気に入られている俺を疎んだらしんいんです。まあ、本人に聞いたわけではないですけど、当時の俺は父親にも側室にも反抗的でしたから、その辺りも気に入らなかったんでしょうね。施設の名ばかりの職員から俺が更生するまで出られないことを聞かされて、ようやく父親が本気で自分のことを疎ましく思っていると改めて知りました」
施設というのは名ばかりで、貴族の子供たちの中でも手に負えない問題児ばかりを集めた――収容所だった。
屋敷にいれば問題を起こす可能性がある子供たちを厄介払いする、掃き溜めのような場所だった。
職員は監視員であるが本当に監視するだけ。預かっている子供が死ななければ放置するスタイルなので、施設内では子供がやりたいほうだい。
貴族だけではなく商家の子供も多く、中は派閥争いや権力争いを繰り返し、誰がお山の大将になるのかを競いあっていたのだ。
「子供同士のいざこざに興味のなかった俺は、誰とも関わらず部屋に閉じこもる日々を過ごしていました。ここから出て、必ず父親に復讐してやると夢見ながら。でも、それがいけなかった。誰とも接しなかった俺は、標的となり施設中の人間から暴力を振るわれ続けたんです」
オリヴィエが息を飲んだのがわかった。
酷いと思っているのか、それともかわいそうだと思ったのか。だが、ジャレッドは自分のことを不幸だとは思ったことはなかった。
殴られ、蹴られ続けているときもずっと父親に復讐することを夢見て耐え続けていたのだ。
「当時、まだ魔術の初歩も使えず、戦いの経験などない俺はあまりにも弱くやられっぱなしでした。そんな俺を助けてくれたのが――ルザーという三つ年上の少年だったんです」
同じように孤立しながら標的にされることなく施設の中でも強者だったルザーは、気まぐれか、それとも別の目的があったのか助けてくれた。
行動をともにするようになり、暴力は減ったがが、代わりにルザーを嫌う者たちからの悪意は増えた。
「俺は彼に人の殴り方を教わりました。どこを殴れば相手が痛がるのか、戦意を奪うことができるかを徹底的に身をもって教わりました。ルザーは俺にとってはじめての友達であり、師匠であり、兄のような人物でした」
彼に戦い方を教わり抵抗することを覚えた。ここにはいない父親ではなく、目の前にいる人間で鬱憤を晴らすことを学んだ。三ヶ月も経てば、ジャレッドとルザーはたった二人でひとつの派閥となっていた。
「俺たちには目的がありました。掃き溜めのような施設で生き残ること。そして、施設から逃げ出すこと。俺は父親に復讐するために、ルザーは病の母を助けるために」
たった三ヶ月とはいえ寝食をともにして、敵意を持つ人間の中で信頼できる関係となったルザーとジャレッドは兄弟同然となっていた。
仮に、目的を果たせず志半ばでどちらかが倒れれば、ジャレッドならルザーが代わりに父親に復讐し、ルザーならジャレッドが代わりに母を助けると約束を交わす。
そして、大きな争いを施設内で起こすことで、手薄となった警備を倒して脱出を叶えた。
しかし、そこからが苦難の連続だった。
あとで知ったのだが、ジャレッドが入れられていた施設は非合法施設であり、領主さえも知らない辺鄙な場所にあったのだ。竜王国との国境間際、寒く雪の降る土地は、まともな防寒着もなく外へ飛び出したジャレッドたちを容赦なく襲った。
同時に、問題児とはいえ貴族や名のある商家の息子を逃がすという大失態をするわけにはいかないと血眼になって職員が探しにくる。追っ手を躱し続けると、敵対していた子供たちまでが職員に協力し始めた。
たった二人だけが平穏を手に入れることを許せないと、容赦なく襲いかかってきた。
職員たちも、自分たちが貴族の子を殺すことはできなくても、貴族の子供が貴族の子供を殺すなら事故という形で処理できると考えたらしく、捕縛目的ではなく殺害目的でジャレッドとルザーは追われ続けた。
もっとも厄介だったのは、追っ手の子供の中に魔術を使える人間がいたことだ。ジャレッドたちは傷つき、血を流しながらも、とにかく逃げ続けた。しかし、二人が固まっていてはいずれ捕まってしまう。どちらかさえ生き延びることができれば、生き延びたほうが目的を果たせばいいと改めて誓いあい、再会の約束をして別れた。
傷のせいで大量の血を流し、死にかけていたジャレッドは施設からだいぶ離れた場所まで歩くと、意識を失ってしまう。そんな自分を救った人物こそ、後に師匠となるアルメイダだった。