14.竜少女璃桜の事情4.
刹那、 ジャレッドは隠し持っていたナイフを抜き放つと少女に肉薄して首筋に刃を当てる。プファイルも同じように行動しており、彼らの背後ではオリヴィエたちを守らんとイェニーが剣を取り抜刀して構えた。
「三人とも合格よ。早い決断と行動力は戦士として見事ね。青髪の子の動きは素晴らしいわ。ただ、そのお嬢ちゃんはこの中で一番才能はあるけど、鍛錬不足よ」
ジャレッドたちの敵意など涼しい顔で受け流し、彼らの動きを評価して拍手さえし始める少女。
「それとね、ジャレッド――いつまで師匠の首にそんな物騒なものを当てているつもりなのかしら?」
「師匠だと、ふざけ――あ?」
ふざけるな、と言おうとしたジャレッドが微笑む少女を見ると、顔色を蒼白にした。
ナイフを首から放し、数歩後退する。
「おい、ジャレッド!」
プファイルがジャレッドの行動に声を荒らげるが、
「いや、その人は敵じゃない――たぶん。俺の師匠だ」
「なに?」
彼だけではない。オリヴィエたちもまた、ジャレッドに師匠と呼ばれた少女に視線を向けた。
「お初にお目にかかるわ。私はアルメイダ。このかわいい弟子ジャレッド・マーフィーの師匠よ」
「ご、ご無沙汰しています。アルメイダ」
その場に膝を着き挨拶をはじめるジャレッドは心なしか体を小刻みに震えさせていた。
誰もが言葉を発することなく成り行きを見守っている。
オリヴィエとイェニーは、自分たちが知らない空白の一年以上の時間を知る人物の登場にただただ驚き、プファイルはジャレッドを鍛え上げた人物に興味を抱いている。
璃桜は再び焼き菓子を頬張りはじめ、ハンネローネは当初から警戒心を抱くことなく微笑んでいた。
「本当にご無沙汰よ。もう一年以上経つわね。ジャレッドが私のもとから逃げ出してからね」
「逃げ出したというのはどういうことかしら?」
「……理由は知らないわ。どれだけお仕置きをしても理由を言わずに、結局いなくなってしまったもの。さて、ジャレッドに色々と話をしたいのだけど、そのまえにあなたのかわいらしい婚約者さんたちを紹介してくれないの?」
「す、すみません。こちらが俺の婚約者のオリヴィエ・アルウェイさまです。そして、お母上のハンネローネ・アルウェイさま。剣を構えているのが従姉妹のイェニー・ダウム。青髪の彼はプファイルです」
慌てて皆を紹介するジャレッドに、アルメイダは満足そうに頷き、皆によろしくと手を振る。
「よろしくね、アルメイダちゃん」
「アルメイダちゃん? そんなかわいらしい呼び方をされたのは久しぶりだわ」
ハンネローネがアルメイダに微笑むと、彼女は少し驚いたように目を丸くするが、すぐに笑顔に戻って楽しそうだ。
「改めまして、ジャレッドの師匠になる魔術師アルメイダよ。先ほどからお邪魔しているけど、よろしくね」
「先ほどって、いつからですか?」
「なにを言っておるのじゃ、ジャレッド・マーフィー。アルメイダなら、お前がオリヴィエの肩を借りてここに現れたときからずっといたではないか。気づいていおらなかったのか?」
璃桜の言葉にハンネローネを除くジャレッドたちが何度目かわからない驚きに染まる。
ずっとこの部屋にいたプファイルでさえ微塵も気づかなかったのだ。
いくら璃桜に警戒していたとはいえ、その場にいるにも関わらず気づけなかったというのはあまりにも大きな失態だった。
もしアルメイダに敵意があれば、今ごろ全員そろって死んでいただろう。
「……おのれ」
悔し気に呻いたのは言うまでもなくプファイルだった。
「みんな璃桜ちゃんばかりに集中していたから、隙だらけだったわ。でも……奥様だけは気づいていたようにも思えたけど、始終にこにこしているからよくわからないわ」
ジャレッドはハンネローネに視線を向けるも、彼女はなにも言わず微笑を浮かべたままだ。甲斐甲斐しく璃桜の口まわりを拭い、焼き菓子ばかり口に入れている少女にお茶を飲ませている。
魔力を視認することができる体質だと聞いているので、アルメイダの魔力を見たのかもしれない。
敵意がないと判断して放置したのか、また別の理由があるのかどうかわからないが、不思議な人だと心底思った。
「それにしても、私自ら教えを授けた愛弟子がまったく気づいてくれないなんて悲しいわね」
「……すみませんね。でも師匠が気配を消したら俺には見つけることなんてできませんよ」
「そうよね。それに、今のジャレッドは弱いもんね」
茶化すように笑ったアルメイダだが、反論はできない。
ジャレッドは自分が強者であるとは思っていない。竜の璃桜や晴嵐、そして師匠のアルメイダのように逆立ちしても勝てない相手がいることを知っているので、驕ることはない。
「とりあえず、そのことは置いておくとして――。璃桜ちゃん。ジャレッドを思いきり殴って気がすんだかしら?」
「うむ。すっきりした」
「なら、私と約束したわよね。ほら、言うことがあるでしょう?」
「う……」
菓子を皿に置き、バツの悪い表情を浮かべると、璃桜はジャレッドに向かい頭を下げた。
「おい、なんだよ?」
「すまなかったのじゃ。兄上が姉上になったのはお前のせいではないとわかっていたんじゃ。じゃが、それでも、きっかけじゃと思ってしまった以上、こうして怒りをぶつけなければいられんかった」
「いいよ。これからは俺じゃなくて晴嵐を殴ってくれ」
「もう元兄上は殴り飛ばしたんじゃが……」
「ならよし! 今度、俺の分も殴っておいてくれ」
「了解じゃ」
理不尽な理由で狙われたが、不思議と怒りはない。
竜は外見通りの年齢ではないが、精神面では外見通りとだということを思いだしたジャレッドは、璃桜が慕っていた兄が姉になってしまったことへの戸惑いと怒りをぶつける相手が欲しかったのだろうと察する。
無論、向けられたこっちはたまったものではないが、外見通りの精神なら十歳やそこらだ。
謝罪をしてくれた子供にもう文句はいいたくない。
「仲直りができてよかったわね。はい。じゃあ、これで璃桜ちゃんの一件はおしまい。竜王国に使い魔を送ってあるからその内迎えがくると思うのだけど、それまでどうしようかしら?」
「それなら屋敷に滞在してくださいな」
「ハンネローネさま!?」
外へ放り出すのは忍びないとは思うが、あっさりと滞在を許可したハンネローネの懐の深さに驚きを禁じ得ない。
だが今さらだ。今は当たり前のように屋敷で暮らしているプファイルでさえかつては命を狙った暗殺者なので、それに比べれば竜の少女を滞在させる方が気は楽なのかもしれない。
「ありがとうございます、奥様。あと、できましたら私もしばらく滞在させてくださいませんか?」
「ええ、もちろんです。ジャレッドくんの師匠であるなら、あなたの授けてくださった力で、わたくしたち家族は助けられたのですから。好きなだけ滞在なさってくださいね」
「感謝します。少し、長くなるかもしれませんが、その間――屋敷の安全は私が保証しましょう」
唯一、アルメイダの実力を知るジャレッドだけがこれで屋敷の中にいる限り、誰もハンネローネやオリヴィエたちに害を与えることができないとわかった。
もしも、未だ捕縛されていないコルネリアがなにかを企んでも、宮廷魔術師候補の殺人犯がジャレッドを狙ってこの屋敷に襲撃をかけても、アルメイダがいる限り家族の無事は間違いない。
「じゃったら、妾も守ってやろう。竜は恩を返すぞ。ハンネローネはたくさんお菓子をくれたし、ここにはいないトレーネも今焼き菓子を用意してくれておるしな。ジャレッドにも迷惑をかけたので、この家族を全力を持って守るぞ!」
「あらあら、これで我が家は安泰ね」
本当にその通りですね、いえ、戦力面だけみれば、過剰すぎます――とは口が裂けても言えなかった。
「ねえ、ジャレッド」
「どうしましたか、オリヴィエさま」
「あなたと出会ってから、屋敷がどんどん賑やかになっているわ。ついこの間まで、お母さまとトレーネと三人で静かに暮らしていたのが嘘のようよ」
「なんだか、すみません」
様子を見守っていたオリヴィエが呆れたように苦笑するので、ジャレッドもまたつられて苦笑してしまった。
ジャレッド自身も、こんな日々を送るとはオリヴィエに出会った当初は夢にも思っていなかったからだ。
「謝らなくていいのよ。あなたが怪我をするのは嫌だけど、それさえなければ、わたくし、この日常が楽しいわ」
「そう言ってもらえれば俺も嬉しいですよ」
こんな慌ただしい日々を楽しいと言ってくれるオリヴィエに、ジャレッドはただただ感謝するのだった。