12.竜少女璃桜の事情2.
オリヴィエの肩を借りて食堂にたどり着いたジャレッドを迎えたのは、イェニー・ダウムとプファイルの安堵の表情だった。
「お兄さまっ!」
美味しそうに焼き菓子を頬張る赤毛を左右に結った、幼い少女璃桜に今にも斬りかからんと睨んでいたイェニーがジャレッドに気づき駆け寄ってくる。
彼女の腕にはプファイルと戦ったときにジャレッドが使った剣が握られていた。オリヴィエからの口頭ではなく、自らの目で従姉妹の本気を目にしたジャレッドは心配をかけてしまったことに申し訳なく思う。同時に、イェニーの自分への想いの強さが、想像していたよりも上であったことに気づかされた。
「お身体はよろしいのですか?」
「大丈夫、大丈夫。心配かけてごめんな」
「ですが……オリヴィエお姉さまに肩を借りなければ動けないなんて――やっぱりあの竜を退治します」
「待て待て待って! そういうことしなくていいから。はい、ほら、剣を渡して」
「ああっ、待ってください! 今なら油断しているのでサクッと……」
「しなくていいからね。はい」
物騒なことを言いだすイェニーに内心冷や汗を流しながら、剣を奪う。いくら彼女が天才的な剣技を持っているとしても、訓練は最低限しか行っていないのだ。竜を相手に勝てるはずがない。
自分のようにナイフを衣類の下に隠していないか不安になるが、さすがに少女の体をこんなところで調べることはできない。
「イェニー、わたくしは戦うなと言ったわよね」
「……はい」
「なら、約束を守りなさい。少なくとも、竜の少女は守っているわ。なのにあなたが武装するのはおかしいでしょう」
「申し訳ございません」
「わかったのなら座っておとなしくしていなさい。あなたがジャレッドを大切に想っていることはよくわかっているから。でも、今は我慢なさいね」
ただ叱るだけではなく、一言だが優しい言葉もかけたオリヴィエにイェニーはおとなしく従い、椅子に腰を降ろした。
こちらを見ていたプファイルに軽く手をあげると、彼が頷く。どことなく、大変だな、と視線が言っている気がしたが見ていないことにした。
一度は殺し合い、二度目は共闘し、そして今は身を案じてくれている大陸最強と謳われる暗殺組織ヴァールトイフェルの後継者候補プファイルとは複雑だがおもしろい関係だと思う。
今回は借りができてしまったと、いずれどこかで返すことを決める。
「さてと……この子は俺のことなんて眼中にないとばかりに菓子に夢中だね」
両手に焼き菓子を持ち、隣に座るハンネローネに口まわりをハンカチで拭かれながら、笑顔を浮かべて口を動かし続ける璃桜に苦笑する。
先ほどは感じた敵意が今はまるでない。
たった一撃で気絶したジャレッドに、敵意を向けるに値しない人物だと判断したのか。
それ以上に、敵意剥きだしだった璃桜を前に、よくプファイルが自分を担いで逃げることができたものだと思わずにはいられない。だが、璃桜がこうしてついてきている以上、逃げたという表現もいささか間違っている気もした。
なにが起きたのか聞きたいが、それ以上に、璃桜に襲撃理由を尋ねなければならない。
どう声をかけようか迷っていると、ちらり、と口を動かしながら視線が向いた。
「んくん。ぷはっ。美味しかったぞ。ほう、起きたかジャレッド・マーフィー……意外と頑丈じゃな」
「そりゃどうも」
最初の出会いが嘘のように、人懐こい笑顔を向けられて少々肩透かしを食らう。この場で戦いたいわけではないが、まさか笑顔を向けられるとは思わなかったのだ。
「菓子を食べているときに悪いけど、どうして俺を襲ったのかちゃんと説明してくれないか?」
「……やはり心当たりがないとほざくのじゃな?」
「残念だけど、心当たりはない。竜に知り合いがいないわけじゃないけど、恨まれているとは思わない」
「そうか」
焼き菓子を皿に置くと、手を払って少女が笑顔を消した。
敵意はない。威圧感もないが、警戒心が高まる。いつ襲いかかられるかわからないと同時に、彼女が本気になったら手も足も出ないまま敗北するだろう。
自分だけならいざしらず、この場にいる無関係な人たちは巻き込みたくない。
最悪の場合は、自らを犠牲にしてでもこの場から璃桜を遠ざけなければいけないと覚悟する。
「なぜ襲われたのかわからないと言うのなら、教えてやろう。我が兄を殺した貴様に敵討ちするためにわざわざ人間の国にまでやってきたのじゃ!」
ジャレッドに視線が集中する。とくにプファイルは絶句していた。
「ジャレッド……お前、竜殺しなのか?」
「いやいやいや! 竜殺しなんてしたことがないって!」
思いきり否定するジャレッドは頭が痛くなった。
竜殺しなどしてしまえば、今ごろ宮廷魔術師になっている。成人した竜が一体いれば、小国など容易く滅びると言われる力を持つ地上最強種族が竜なのだ。
いくらジャレッドが膨大な魔力を持ち、複数の魔術属性を使えるからといっても竜殺しは不可能だし、そもそも竜と戦うのなんてごめんだ。あんなものと戦うことを考えると、背筋に冷たいものが流れてしまう。
宮廷魔術師でさえ竜殺しはいない。竜たちが住まう竜王国とこのウェザード王国は同盟関係にあるため、竜を殺せば人間でいう殺人罪に問われる。殺せれば、のは話だが。
竜たちも人間を理由なく殺せば、竜王国の法に従って裁かれることになっている。
しかし、例外もある。
はぐれ、と呼ばれる竜がいるのだ。竜王国に属さず、もしくは竜王国から離反した竜を指すのが、はぐれ、という言葉だ。
はぐれなら仮に殺すことができたとしても罪に問われることはない。ここ何年もないが、人里を襲い討伐対象になる竜はだいたいがはぐれだ。
そして、言うまでもなくジャレッドには竜を殺したことはないのだ。
「まだしらばっくれるのじゃな! それとも、本当に忘れているというのかっ!」
璃桜の中ではジャレッドが彼女の兄を殺したことになっているが、本当に記憶にないのだ。
偶発的に、間接的に、璃桜の兄を死に追いやってしまったのかもしれないが、竜がそんな簡単に命を落とすはずがない。
視線が集まる中、必死に記憶を探るジャレッドに痺れを切らした璃桜が声を荒らげた。
「いい加減に思いだすのじゃ! 一年前、竜王国とこの国の国境でひとりの男と戦ったはずだ! その男の名は晴嵐。我が兄上じゃ!」
「晴嵐? て、おいおい……一年前……国境……って、あああああああっ!」
ようやく合点がいったジャレッドが大きな声をあげると、璃桜がやっとかと呆れたような顔をする。
いや、呆れた顔はジャレッド意外なみんなそうだった。
「だけど、待った。思いだしたけど、待って。俺は晴嵐を殺していない。戦ったけど、死んでないぞ。ぴんぴんして帰っていくところを見送ったんだから、間違いない!」
「そうじゃ。確かに兄上はそのときは元気じゃったのかもしれぬ。じゃが、ジャレッド・マーフィー! 貴様と戦い、いくら本性を明かさずとも敗北したことで自らを恥じて、兄上は男であることをやめてしまったのじゃ!」
「――うん?」
璃桜の言葉の意味が理解できずジャレッドは首を傾げた。
自分を見るプファイルとイェニー、そしてハンネローネすら同じように首を傾げていた。
「あっ……わたくし、わかってしまったかも。あまりわかりたくなかったけれど」
「どういう意味ですか?」
肩を貸してくれているオリヴィエが璃桜の言葉の意味がわかったようだが、なんとも言えない表情をしているのはなぜだろうか。
「あのね……」
「いや、妾が自分で言おう。よく聞け、ジャレッド・マーフィー! 我が兄晴嵐は、戦いに敗北したことから男をやめたんじゃ。つまり、兄上は姉上になってしまったんじゃっ!」