雪
藤井節郎が齋藤康に言った。
降るような愛を注ぐ。と
2013年7月末、徳島大学医学部附属病院に、藤井節郎記念医科学センターが竣工した。地上5階建て、ガラス張りの造りで、南向きに建つその建物は、正午になると45度に陽射しが差し込む仕掛けになっている。
藤井節郎が逝去して約10年。
新たな種を育てよ。という彼の遺言書をもとに、彼のもつ医薬品の特許から得られたロイヤリティを全て財団法人化。後、寄付金運営として、医学生の奨学金、若手医員の研究資金などに使われてきたが、今回のこのセンター新営は、彼の最も望むところであったのではないかと思われる。
パソコンの画面をぼうっと見る。
エンターキーを二度叩いてから、エクセルデータとフォルダを閉じると、いつの間にかシャットダウンのボタンをクリックしていた。
夜が来るのが早くなったからだろうか。
壁の柱に掛かった時計。針は、くるりくるりと周回をして、ときどきまだ一周目なのか二週目なのか、と気を止める。
もうすぐ、7時になる。
7時というので、窓の外は、白い香りがした。息が白くなるような、あの記憶がよみがえるような懐かしさである。
空気はつながっている。
それは冬だったと思う。
新潟の雪は本当にふわふわしていて、服に落ちては無くなっていくものであった。
脂肪分解反応の研究に魅了され、新潟を発ち、徳島へと着いたとき、空港から出迎えてくれた徳島の雪は、本当に透明だったのである。透明なタンポポのように、その透ける向こうに、故郷が見えた。
それから久しく、タンポポは降らなかったが、毎年この季節になると、そのときの出会いが忘れられない。
ゆっくりと、もたれ掛かっていた椅子から起き上がり、ノスタルジアに吸い込まれるように、窓のほうへと誘いを受ける。
この窓を隔てて、ぼくは、時を超えることができないけれど、そのときは待っていたのかもしれない。
「今日で全てが終わるさ、今日で全てが変わる。今日で全てが報われる。今日で全てが始まるさ。」
春夏秋冬が、どこからともなく、耳の裏をよぎっては消えていった。
ぼくは机のほうへともどり、その配線の全てを取り外し、脂肪分解の臨床データが入った、無感情の記憶を両手で抱えた。
おもい。
そうして、ぼくは地上5階建ての最上階からパソコンを投げる。
ぽっかりと空いた穴から、徳島の夜空を眺めると、あなたのことを思うと、そこには、果てしなく澄んだ雪が、ぼくの心に降り注いだ。