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60億の島ボンハール

作者: 唐木田 賢

第一話

例の場所


自分の選んだ道を進め。それが、去年亡くなった父の口癖だった。と思う。ただ心に強く残っているだけかもしれないけど、とりあえずその言葉が鮮明に父の声と共に頭の中に蘇った。

 ちょうど、コーヒーメーカーからコップにコーヒーを注いだところだった。真っ白の椅子に腰掛け、インテリア雑誌を開き机に置いた。これが休日の朝である。気取ってるがいつも通りだ。

平均的な社会人であるが気取ったエリートビジネスマンの様な暮らしに憧れているのだ。なんとか20万円のヴィットマンの真っ白な椅子を貯金をはたき一括で先月買ったものの、まだエリートの暮らしには程遠い。あとは一万円で通販で購入したコーヒーメーカーぐらいである。そして愛読書であるインテリア雑誌アイビスが本棚にズラッと並ぶ。あ、本棚も一応スウェーデンのデザイナーの物。

 白の半透明をしたシャープなデザインが翼のない天使に見え、六本木のインテリア販売兼作品展で衝動買い。デザイナーもちょうど居合わせていて、作品に対する思いを熱く語られたのが決め手だった。正直、展示会の照明が本棚を輝かせていたが、この1LDKのただの蛍光灯では、翼がないどころか天使にはまるで見えない。そのせいかいつもデザイナーの作品であるという存在を忘れてしまう。

 ヴィットマンの椅子、スウェーデンデザイナーの本棚、一万円のコーヒーメーカー、この三つが今のところエリートビジネスマンライフ(気分)の三種の神器といったところであろう。

 これだけ好きならインテリア関係の仕事をしたっかったものの、なんせインテリア業界には安定の二文字はないであろうという思い込みで全く考えなかった。熱いコーヒーをすすり、雑誌アイビスのページをめくる。

「自分の選んだ道を進め。」

 また父の言葉が胸に響く。

 やりたいことをやったって不安定な生活ではやりたい事もやれなくなる。終いには自分の欲求を満たすためだけに時間を費やしお金も底をついてしまうのが落ちである。

 ガス代、電気代、水道代、家賃と払えなくなり、このマンションを追われ、元の仕事仲間からは馬鹿にされ、母親は息子の奇行によりうつ病になり入院。自分は周りの目を気にする余裕もなくなり、日々どう食いつないでいくか考えるので精一杯。あの頃の平凡でそれなりに安定した生活に戻りたいと願う毎日で、願うたびに髪と髭が伸びていく。いつの間にか冬を迎えて雪の中、鍋いっぱいのシチューを飲みたいと言って安らかに死んでいくのである。ネガティブすぎるかもしれないが、そうならない保障はない。常に最悪のケースを想定しなければ。世の中そんなに甘くない。そう、ネガティブというより慎重なのだ。石橋は入念に叩かなければ渡れないタイプだ。

 だから自分は世田谷区役所の建設関係の業務を行っている。簡単に言うと公務員。まさに安定の代名詞である。就職が決まった時の喜びは今でも思い出すだけで興奮して手汗びっしょりになる。たかが公務員と友達の竹岡は言っていたが、この不安定なな時代に安定を求めていた俺にとっては100満点である。いや、95点か。インテリア系の公務員があればあとの5%は埋まっただろう。そして竹岡とはそれぐらいの事しか話した記憶がない、友達といえる程の間柄ではないかもしれない。これから竹岡とは同窓会がないかぎり、会う事も話題に出る事もないだろう。

そう思うと、机に置いたマナーモードの携帯電話のバイブレーションがうめき出した。どうやら電話の様だ。電気のスイッチをつけたようにだらけた自分からよそよそしい自分へと切り替わった。着信の相手を見てみた。そこには中学からの親友である新谷からだった。彼は真の友達である。友達どころか兄弟の様なものだ。兄弟はいないからそれがどういう物かわからないが、いたらこういう感じなのではないかと思う。そしてよそよそしい自分はいなくなった。一息置いてから携帯を手に取った。

「もしもし。」受話器を耳に当てた。

「おお!マサ!今日仕事休みだろ。」

マサは俺のあだ名である。本名は中山正毅。そして新谷はいつも通り活発的な調子である。新谷の声には沈んだときでも何か血圧を上げさせてくれる効用がある。

「まぁね、一応休みだけども。」

「一応っていうのはまた、古い家具屋でも一人で行くのか?」

「ちがう。代官山の新しいインテリアショップだよ。」

 「同じだよ!」

威勢ばかり良い若手芸人のツッコミの様な言い方だ。

「暇そうだからちょっと付き合えよ。」

暇そうだと言われるのは嫌いだ。それに代官山のインテリアショップに行くことが暇を持て余しているというのか。あそこのインテリアショップがどれだけ今話題になってるのか知らないのか。テレビや雑誌は勿論の事。多くの若者が原宿の109のようにごったがえしているくらいだ。言い過ぎたかもしれないが代官山にあれだけ人で溢れているのは珍しいと思う。色んな思いが募り体が熱くなってきたのを感じた。さっきまでは兄弟と思っていた事を取り消そう。そして少し冷静になろうと理性が働いた。

「付き合えって、また例の所か?」嫌気がさしたように言い少しばかり反抗してやった。我ながら小さい男である。「そうだけど、、。」なぜわかったのか今にも聞いて来そうな困惑した返答だ。小さい男の小さい八つ当たりがけっこう効いたようだ。「そうだけど、今日は俺の奢りでいいからさ。」かなり傷は深かったのか、新谷が自分から奢るなんて言うのは中学時代から数えて3回あるかないかである。一つ目は高校生になったばかりの時だった。高校生になってすぐにコンビ二でアルバイトをして、まだ誰も給料といものを知らない中で、新谷は初給料で焼肉を奢ってくれた。まるで、一流企業に就職したかのような振る舞いにまだ幼かった僕らには大人のように見えて、一歩上をいっているかのようだった。二つ目は、20代前半の時、六本木のクラブに行き、馴染みのない異国の音楽と躁状態の環境に畏縮した自分を見兼ねてテキーラを一杯飲ませてくれた。三つ目は、思い浮かなかったのでどうやら自分の記憶上では二回だけの様だ。「何か良い事でもあったのか?」そう聞くと、「どうやら神はいるんだね。」穏やかな声で新谷は言った。「人生諦めず頑張って、良い行いをしていればきっと報われるんだ。」どうやら可笑しな方へいきそうだったのでたまらず話を遮るように言った。「いつ俺が教えをこいたんだ?新谷が説教するなんてよほど良いことでもあったのか。それともどっかの殉教者とでも話したのか?」後半は半分冗談だが、半分本気である。新谷ほどの素直で純粋な奴はめったにお目にかかれない。そのため、その純粋さに漬け込まれ詐欺にあったことも度々ある程だ。よく純粋な人間になりたい。とか言う人もいるが、あまりいいものじゃない。お金で言うとわかりやすいと思うので新谷の被害総額を言うと200万前後である。これで純粋になりたいという言葉を聞くことはないだろう。

「それがさ、単刀直入に言うとさ。」なぜか新谷は嬉しそうな子供のように落ち着かない。「もったいぶらずに早く言えよな。」そう返したと同時に「宝くじだよ!」一瞬時が止まったかの様に沈黙したが、身震いした。体が反応してから頭が理解した。まさか宝くじがあたったのではないかと。「宝くじがついに当たったんだよ!」やっぱりだ。新谷の声でさらに興奮してきた。本当に新谷には色んな事で血圧を上げさせられる。「いくらだ、一千万か?三千万か?まさか、、億か?」「そうだと良かったんだが、人生はそんなに甘くないはない、100万円だ。」期待しすぎた自分が馬鹿だった。新谷に乗せられて子供のように興奮してしまったせいだ。一瞬夢を見てすぐ現実に戻された。俺の感情を読み取ったかのように「100万円だぞ。十分じゃないか。」と新谷は言った。確かにそうだが、新谷の被害総額の半分に過ぎない。もし神がいるとしたら被害総額+αにするだろう。やはり神なんてのはちょっとやそっとでは証明できないし、信じられない。神がいなければおかしいと思えるぐらいのドラマティックな展開がないかぎり。それも身の回りで。

「それで、来るのか来ないのかどっちなんだ?」

「いくよ!奢りなら話は別さ。」冷めた新谷の声に驚いて思わず承諾してしまった。新谷からすれば100万円もの大金を当てたのに祝福どころか、がっかりされてはいいものじゃないだろう。

「例の場所で7時頃な。」

「わかった。じゃあ例の場所で。」

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