もし江戸にライブ配信があったら~静かに翻訳したい蘭学者、源内に配信を荒らされる~
この世界では、一両=約四万円、一匁=約六百円換算でアイテム価格を設定しています
その日、江戸にあるとある藩邸の一部屋――といっても、身元がバレぬよう、主家や自家の名前や家紋に書き損じた紙を貼り付けた部屋である――から、JUNANなる人物が、蘭書の医学書翻訳配信を物静かに行っていた。
「皆さん、この単語はもう覚えましたか?」
端末のに、墨痕鮮やかな蘭語が大写しになる。
「ターヘル・アナトミアにも幾度も出てきましたね」
配信を見ている視聴者が、次々と返信する。
―なんだって? たー……?
―ターヘル・アナトミア。腑分けの指南本じゃなかったか?
―どうでもいいが眠い
―中川先生、続きをおはやく
―おいおい、ここではJUNANさんだ
―誰だよ身バレするなよ
―こめ連投で流しとこうか
―いよっ!
―あっぱれ!
―それじゃ間に合わねぇ
※太兵衛があいてむ団子を使いました
※太兵衛があいてむ団子を使いました
※太兵衛があいてむ団子を使いました
※太兵衛があいてむ筆を使いました
※太兵衛があいてむ筆を使いました
※太兵衛があいてむ筆を使いました
「おや、太兵衛さん、ありがとうございます」
JUNANが律儀に頭を下げたとき、ぽこん、と、通知音とともに、画面に朱色の枠が出てきた。配信を管理している、しすてむからの通知である。
「おや、新しい課金あいてむがたくさん増えたようですね……どれどれ……見てみましょうか」
視聴者も、新しいあいてむを見たらしく、おお!とどよめく。
「高価格帯では、一両の大花火、十五匁の中花火の間に、四十五匁の花魁道中と三十五匁に馬車が入りましたね
※嘉助があいてむ花魁道中を使いました
―うおおお…美しい
―若葉太夫かな?
―いやいや、早乙女太夫かも
―三十五匁のこれなんだ? ばしゃって読むのかな?
―むまぐるま、じゃねぇのか?
―ばしゃってなんだ?
―牛車の間違いでは?
視聴者の返信を丁寧に読み上げたJUNANはひとつ頷く。
「馬車というのはですね、異国の乗り物です。馬の背に乗るのではなく、牛車と同じで馬がひいている箱に乗ります」
これですね、と、傍らの書物を手に取り、その1ページを開いてみせる。そこには、馬車が墨絵で描かれていて、簡易的な説明も書かれている。
―馬車! 初めて見た
―牛車より速そうだ
―乗ってみたいな
パラパラと、あいてむの筆が流れていく。
「貴重な一匁、ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げたJUNANだが、ふいにギョッとした顔で画面の奥を見た。
すぱん! と襖が勢いよく開かれる音がしたのだ。
それと同時に、ドカドカと賑やかな足音がする。
「淳庵、ちょっと匿ってくれ」
「あっ! そこは出入口ではないと何度も……今は困る、ちと、待って……」
慌てて不審な侍を画面の外に連れ出すが、JUNANが音声を消し忘れたために、声が丸木声である。
―なになに?
―誰か来た?
―蘭学者とか?
「今度はどうしたのです」
「いやあ、ちょっと版元怒らせちまってさ」
「またですか」
なんだこれ、と、楽しげな声とともに、懐手の武家が大写しになった。
「おお、これか、昨今はやりの配信てやつは」
「……ご存知でしたか」
「あったりめぇよ。いやあ俺もやってみたいと思ってたのよ……どれどれ……」
―だ、誰だ?
―JUNANさん、苦虫噛み潰した顔になってる
―お友達かな?
―配信に乱入か!?
「ほうほう、一両もこれに使う阿呆なお大尽がそうそういるとはおもえないけどねぇ」
「阿呆とはなんですか、阿呆とは……」
「だって一両あれば、吉原で冷やかしたり芝居見に行ったりできるぜ」
確かにそうですけどね、とJUNANは頷く。
「んで? 十五匁は中花火、花魁(単身)、歌舞伎役者(単身)……くあー高いねぇ。それから……五匁は御重、酒、浮世絵、手拭い、桜吹雪、もみじ、雪景色。なるほどそれっぽいな。でー? 最安値は一匁か。ほう、小花火、団子、たまやー、寿司、駕篭、筆。ほほーなるほどなるほど……」
ちらり、と乱入者がJUNANを見る。
「な、なんですか」
「いやあ? お前さんの配信は……一匁だらけだな、と思ってさ」
言いながら、乱入者はどっかりとその場に座る。
「一匁って、そりゃ皆さんには大変ですよ。一匁あれば、蕎麦が何枚も食べられるし、串団子なんて何本も買える」
―中川先生は……庶民の暮らしにもお詳しい……
―草鞋の修理もそんくらいか?
―俺の給金半日分ってとこだな
だから無理して投げ銭する必要はありません、とJUNANは言う。
「……で? 貴殿は今回、何をしたのですか」
追い出すことを諦めたのか、枠主のJUNANも元の場に座り乱入者にお茶と煎餅をすすめる。
「それがさ、悲しい恋の話を書いてくれって言われたんだけどさ、そんな気分じゃなかったから、ちょっとばかし……その、お上を風刺した原稿を渡したわけさ。そしたら怒っちゃってさ……。真面目に書けって版元に追いかけ回されてるってわけよ」
そんなところだと思いました、と、JUNANはため息をつく。そして同時に、ちっとも翻訳作業が進まない、と胸の内で嘆く。
「貴殿とは長い付き合いですが……いつも誰かに追われているような気がします」
「へっ、何でもいいのさ。楽しけりゃ」
「そんなわけないと思います」
この頃になると、懐から怪しげな薬草や、見たことの無い絡繰りを取り出して眺めはじめた乱入者の正体に気付いた視聴者もいて、呆れるやら笑うやら。
「そういやこれ、画面の向こうに今も人がいるんだよな?」
「はい」
「誰か、この馬車ってやつ使ってみてくんない?」
「あ! これ、源内殿!」
「俺、馬車見てみたいなー」
―あらら、源内って言っちゃたよ
―源内って、あのエレキテルの?
―効かなかったぞー
―うちは隠居が、バチバチと離れで毎日楽しんでおります
―源内さん、煽るなよ
―爆笑
―源内、JUNANさん困らせてないでさっさと新作書けよー
「で? どうすんの? 投げるの? 投げないの? 馬車」
―よりによって馬車か
―お大尽、誰か馬車投げたれや!
―男気見せろ
返信を読み上げながら、JUNANが慌てた表情になる。沈着冷静なJUNANにしては珍しい。
「え、まさか、誰も使えない? そっか、淳庵の視聴者、みんな貧乏なんだねぇ」
「源内殿! なんということを! 申し訳ございません」
「あーあ、淳庵かわいそー」
―貧乏だぁ?
―おいおい、源内に煽られんなよ……
―しゃらくせえ! これでも喰らえ!
※嘉助があいてむ中花火を使いました
「かっかっか! やっぱりその程度なんじゃねぇか」
―んだと? 源内!
※太兵衛があいてむ手ぬぐいを使いました
※錦三があいてむ馬車を使いました
※市の丈があいてむ歌舞伎役者を使いました
※隼人があいてむ桜吹雪を使いました
※太兵衛があいてむ中花火を使いました
※太兵衛があいてむ小花火を使いました
※おはつが桜吹雪を使いました
※右近があいてむたまやーを2個使いました
※熊八があいてむ筆を5個使いました
※五郎蔵があいてむお重を使いました
※源次郎があいてむ酒を使いました
「皆さんありがとうございます……もうそのへんで……」
しかし、源内に煽られ、馬車や歌舞伎役者をはじめとしたあいてむが画面を飛び交う。画面が派手に光り、あいてむ演出が止むことがない。すっかりお祭り騒ぎになり、視聴者もつぎつぎと発言する。
日頃は静かな学問配信をしているJUNAN枠では、異例の珍事と言っていい。
どうしてこうなった……と、JUNANは頭を抱えるが、すっかり喜んだ源内は画面の前にどっかり胡座をかき、煙管を咥えて視聴者と丁々発止を繰り広げている。
「やれやれ……源内殿が天性の煽り配信者だったとは……」
どうにかして、源内の好奇心をそらさねばならない。目新しいものは無いか、新しい蘭書はどうだろうかと思案していると、本日二度目の乱入者があった。
「いたいた! 源内先生!」
「だ、誰……げええ、蔦重!」
「もー! 皆さんが、さがしてますよ。はい、戻ります……」
「ちっ……ここで捕まるわけにはいかないんでね……」
源内は、手元の煙管でポカリと蔦重の頭を打ったあと、手当り次第に文鎮や手文庫、筆おきなどを投げつける。
「いてーえ! おーい皆の衆、源内先生が逃げたぞ!」
「鱗形屋も一緒かい! ちっ、これにて御免!」
画面に向かい片手拝みに拝んだ源内は、室内のものを蔦重に向かって投げつけながら、来た時と同じように出ていく。
「あっ、源内殿! 書物を返せ、それは阿蘭陀より取り寄せたばかりの貴重なる書……ま、ま、まて、ま……」
―おーい……
―JUNAN先生大変だ……
―誰もいなくなっちまったな……
―で? 翻訳は……?
しばらくは無人となった文机が映されていたが、ほどなくして、ぶつん、と途切れる配信であった。
【了】




