祈りは演算に宿り、猫耳は揺れる
ギルドの前では金髪猫耳のメイド姿でセリアが腕を組んでいた。
「おい、夕食までには戻ってこないと、ミュリアが心配しているぞ」
「ちょっと、待って。すぐ済むから」
佐和子はすたすた中庭の訓練場まで歩いていく。
夕刻の光が訓練場の地面を赤く染めるなか、佐和子は静かに黒槍を掲げた。
「ファイヤーボール」
淡く共鳴音を響かせながら、彼女の周囲に赤い魔法陣が、
多重に重なりながら空間を囲み始めた。
そして次の瞬間、十を超える火球が空中に出現した。
ギルドの訓練場にいた見物人たちがざわめく。
「呪文の、同時詠唱……?」
「制御できるのか!? あれだけの数を一気に……!」
だが火球は暴発することもなく、美しく整列して空へと放たれていく。
熱風だけが周囲を撫で、火の尾を引いて飛び散るそれらは、
見物人を畏怖と感嘆で黙らせた。
「……霊府を使ったわけじゃない」フェリアがぽつりと漏らす。
彼女は訓練場の端から佐和子を見つめていた。
「そう。この世界の人々はこれを“同時詠唱”だと呼ぶ。
-でも、あなたは違うと気づいてるでしょう?」
佐和子の視線はフェリアへと向けられ、まっすぐに刺さる。
「……術式演算の改ざん、構造変化。呪文の根本を、
別の形に再定義している。通常の詠唱式を一度分解して……再配置して……」
フェリアの声は、半ば息を呑んでいた。
「うん。並列記憶領域を展開し、詠唱制御そのものを組み替えた。
たぶん、それが“当たり前”だった世界から来たから」
佐和子の声は平坦だが、背後に残る霊式記号が淡く脈動する。
「例えるなら……本を一字一句読むんじゃなくて、
全部のページを同時に開いて、必要な文章だけを一瞬で並べ替える。
魔法じゃなくて、演算。そして、祈り」
炎の残光が風に溶ける中、誰も言葉を継げなかった。
やがて、訓練場を包んでいた熱気も少しずつ引き、
赤く染まった空が群青に変わっていく。
佐和子は黒槍でとん、と地面をつき、肩の力を抜いた。
「おもしろかった?」
見物客は忘れていた呼吸を思い出す。
「ええ、とっても勉強になりましたわ」
フェリアは丁寧にお辞儀をし、静かに立ち去っていった。
**
――日が完全に落ちたころ、宿屋《月影のほころび亭》
の灯りが街角にぽつりと浮かんでいた。
間食したにもかかわらず、佐和子は夕食を綺麗に平らげた。
温かな野菜スープにとろけるチーズをのせたパン、そして香草の効いた白身魚のグリル。
どれも素朴で優しい味だが、心と胃袋にしっかりと沁み渡る。
「私も見たかったです」
ミュリアはスプーンを置き、うらやましそうに言った。
訓練場での魔術実演の話を、セリアから聞かされたのだろう。
「……ミュリアは、今は見ない方がいい」
佐和子はそう答えると、食後の温かいミルクをちびちびと飲んだ。
彼女の口調は柔らかかったが、どこか芯があった。
「えっ、なぜです?」
ミュリアがきょとんとする。
「余計な知識は、信仰や精神の軸を乱す。……ミュリアは“神格位”だから」
佐和子は静かに告げた。
ミュリアの表情がほんの少しだけ揺れる。だが、すぐに微笑みに戻った。
「……はい。では、今は記録と観察に集中します」
その応えは、自らの役割を理解した者のものだった。
食堂の隅では、セリアがパンのかけらをもぐもぐと頬張っていた。
背もたれに大きく寄りかかりながら、くすりと笑う。
「それにしてもフェリアさん、やっぱり変わってたな。
エルフの長命ってやつ、あれたぶん病むよ」
「……失礼ですよ、セリア」
「でも本音じゃん?」
(エルフって頭いいって聞いてたけど、馬鹿なんだよね)
佐和子にしては珍しく心の中で毒づく。
「私は明日世界が滅びてもダンジョンに潜る」
ちび佐和子は鼻を鳴らすと、ミルクをもう一口すすった。
外では、夜の気配と共に冷たい風が街路を抜けていく。
滅びを免れない未来に、それでも誰かが希望を繋ごうとしている
――そんな、ささやかな祈りの時間だった。
**
「このギルドの冒険者は低ランクばっかり」
Eランク素材回収の札を目の前でかっさらわれ、
佐和子はふくれっ面のままカウンターから離れた。
ミュリアは周囲を見回しながら、淡々と説明する。
「北のリステア帝国では、A級ダンジョンの浸食を完全に抑え込んでいるそうです。
だから、上位冒険者はそちらに集中しているのかも知れません」
視線をギルドの壁に貼られた依頼表へ移し、彼女は続けた。
「このサンヴォーラ王国は、見たところC級ダンジョンの浸食を抑えるので精一杯。
Bランクに昇格した冒険者は、ほとんど騎士団に召集されてしまいます。
事実上、ギルドの最高ランクはCランク、ということになりますね」
「へぇ、ミュリアはよく勉強して偉い」
佐和子が軽く笑うと、ミュリアは猫耳の先まで赤くなった。
「まぁ……」
その隣で、セリアが小声でぼやく。
「ちぇ、あたしの方が魔物倒してるのに、防具もミュリアばっかりに……」
しょんぼりと猫耳がぺたんと萎れ、尻尾も力なく垂れた。
「そこまで国力に差があるなら、サンヴォーラ王国なんて、
いつ滅んでもおかしくないってことだろ」
セリアが、依頼掲示板から目を離さずにつぶやく。
ミュリアは首を横に振った。
「そう単純ではありません。リアステ帝国はティレク連邦とも隣接しています。
もしサンヴォーラ王国が併合されれば、帝国と連邦の国力差が覆せなくなりますので
……結果的に、今は互いに手を出せず、にらみ合いが続いているのです」
セリアが眉をひそめる。
「それって、戦争前夜ってことじゃねぇの?」
「むしろ、この緊張状態が平和をもたらしているのかも知れません」
ミュリアの真面目な説明に、佐和子がぽつりと言葉を落とす。
「あやういな」
ミュリアが振り返った。
「えっ、何ですか?」
佐和子は小さく首を振った。
「ううん……もっと仲良くできたらいいのにって、思ったの」
「はい。おっしゃる通りですわん」
ミュリアの猫耳が、ほんのり柔らかく揺れた。
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