祈りは演算に宿り、猫耳は揺れる
ギルドの前では金髪猫耳のメイド姿で
セリアが腕を組んでいた。
「おい、夕食までには戻ってこないと、
ミュリアが心配しているぞ」
「ちょっと、待って。すぐ済むから」
佐和子はすたすた中庭の訓練場まで歩いていく。
夕刻の光が訓練場の地面を赤く染めるなか、
佐和子は静かに黒槍を掲げた。
「ファイヤーボール」
淡く共鳴音を響かせながら、彼女の周囲に赤い魔法陣が、多重に重なりながら空間を囲み始めた。
そして次の瞬間、十を超える火球が空中に出現した。
ギルドの訓練場にいた見物人たちがざわめく。
「呪文の、同時詠唱……?」
「制御できるのか!? あれだけの数を一気に……!」
だが火球は暴発することもなく、
美しく整列して空へと放たれていく。
熱風だけが周囲を撫で、
火の尾を引いて飛び散るそれらは、
見物人を畏怖と感嘆で黙らせた。
「……霊府を使ったわけじゃない」
フェリアがぽつりと漏らす。
彼女は訓練場の端から佐和子を見つめていた。
「そう。この世界の人々はこれを“同時詠唱”だと呼ぶ。
-でも、あなたは違うと気づいてるでしょう?」
佐和子の視線はフェリアへと向けられ、
まっすぐに刺さる。
「……術式演算の改ざん、構造変化。呪文の根本を、
別の形に再定義している。通常の詠唱式を一度分解して……再配置して……」
フェリアの声は、半ば息を呑んでいた。
「うん。並列記憶領域を展開し、
詠唱制御そのものを組み替えた。
たぶん、それが“当たり前”だった世界から来たから」
佐和子の声は平坦だが、
背後に残る霊式記号が淡く脈動する。
「例えるなら……本を一字一句読むんじゃなくて、
全部のページを同時に開いて、
必要な文章だけを一瞬で並べ替える。
魔法じゃなくて、演算。そして、祈り」
炎の残光が風に溶ける中、誰も言葉を継げなかった。
やがて、訓練場を包んでいた熱気も少しずつ引き、
赤く染まった空が群青に変わっていく。
佐和子は黒槍でとん、と地面をつき、肩の力を抜いた。
「おもしろかった?」
見物客は忘れていた呼吸を思い出す。
「ええ、とっても勉強になりましたわ」
フェリアは丁寧にお辞儀をし、
静かに立ち去っていった。
――日が完全に落ちたころ、
宿屋《月影のほころび亭》
の灯りが街角にぽつりと浮かんでいた。
間食したにもかかわらず、
佐和子は夕食を綺麗に平らげた。
温かな野菜スープにとろけるチーズをのせたパン、
そして香草の効いた白身魚のグリル。
どれも素朴で優しい味だが、
心と胃袋にしっかりと沁み渡る。
「私も見たかったです」
ミュリアはスプーンを置き、うらやましそうに言った。
訓練場での魔術実演の話を、
セリアから聞かされたのだろう。
「……ミュリアは、今は見ない方がいい」
佐和子はそう答えると、
食後の温かいミルクをちびちびと飲んだ。
彼女の口調は柔らかかったが、どこか芯があった。
「えっ、なぜです?」
ミュリアがきょとんとする。
「余計な知識は、信仰や精神の軸を乱す。
……ミュリアは“神格位”だから」
佐和子は静かに告げた。
ミュリアの表情がほんの少しだけ揺れる。
だが、すぐに微笑みに戻った。
「……はい。では、今は記録と観察に集中します」
その応えは、自らの役割を理解した者のものだった。
食堂の隅では、セリアがパンのかけらをもぐもぐと頬張っていた。
背もたれに大きく寄りかかりながら、くすりと笑う。
「それにしてもフェリアさん、やっぱり変わってたな。
エルフの長命ってやつ、あれたぶん病むよ」
「……失礼ですよ、セリア」
「でも本音じゃん?」
(エルフって頭いいって聞いてたけど、馬鹿なんだよね)
佐和子にしては珍しく心の中で毒づく。
「私は明日世界が滅びてもダンジョンに潜る」
ちび佐和子は鼻を鳴らすと、ミルクをもう一口すすった。
外では、夜の気配と共に冷たい風が街路を抜けていく。
滅びを免れない未来に、
それでも誰かが希望を繋ごうとしている
――そんな、ささやかな祈りの時間だった。
「このギルドの冒険者は低ランクばっかり」
Eランク素材回収の札を目の前でかっさらわれ、
佐和子はふくれっ面のままカウンターから離れた。
ミュリアは周囲を見回しながら、淡々と説明する。
「北のリステア帝国では、
A級ダンジョンの浸食を完全に抑え込んでいるそうです。
だから、上位冒険者はそちらに集中しているのかも知れません」
視線をギルドの壁に貼られた依頼表へ移し、彼女は続けた。
「このサンヴォーラ王国は、見たところC級ダンジョンの浸食を抑えるので精一杯。
Bランクに昇格した冒険者は、
ほとんど騎士団に召集されてしまいます。
事実上、ギルドの最高ランクはCランク、
ということになりますね」
「へぇ、ミュリアはよく勉強して偉い」
佐和子が軽く笑うと、
ミュリアは猫耳の先まで赤くなった。
「まぁ……」
その隣で、セリアが小声でぼやく。
「ちぇ、あたしの方が魔物倒してるのに、
防具もミュリアばっかりに……」
しょんぼりと猫耳がぺたんと萎れ、
尻尾も力なく垂れた。
「そこまで国力に差があるなら、
サンヴォーラ王国なんて、
いつ滅んでもおかしくないってことだろ」
セリアが、依頼掲示板から目を離さずにつぶやく。
ミュリアは首を横に振った。
「そう単純ではありません。
リアステ帝国はティレク連邦とも隣接しています。
もしサンヴォーラ王国が併合されれば、帝国と連邦の国力差が覆せなくなりますので
……結果的に、今は互いに手を出せず、にらみ合いが続いているのです」
セリアが眉をひそめる。
「それって、戦争前夜ってことじゃねぇの?」
「むしろ、この緊張状態が平和をもたらしているのかも知れません」
ミュリアの真面目な説明に、佐和子がぽつりと言葉を落とす。
「あやういな」
ミュリアが振り返った。
「えっ、何ですか?」
佐和子は小さく首を振った。
「ううん……もっと仲良くできたらいいのにって、
思ったの」
「はい。おっしゃる通りですわん」
ミュリアの猫耳が、ほんのり柔らかく揺れた。
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