灯(ともしび)と寿命蠟──ちび佐和子、世界を一日延ばす
素材を集めていた佐和子も一旦手をとめて、
近づいていく。
「ここだ…」
そっと近づいて壁に手を当てると──
すり抜けた。
「わっ──!」
ふわりとバランスを崩し、佐和子はそのまま、
ごろりと小部屋に転がり込んだ。
ほこりと石くれの中、柔らかく瞬く粒子が、
視界に広がる。
──遺跡の裂け目。
その奥に、かすかに灯る、名もなき光。
まるで、誰かがとても昔に落とした言葉のように。
震えながらも、あたたかく、ただそこにある灯。
「……」
佐和子は、そっと槍を拾い上げ、
ぱんぱんと埃を払った。
そして、何事もなかったかのように、
光へと手を伸ばす。
──その瞬間。
光は彼女の掌でふわりと膨らみ、
**「灯」**のように、やさしく輝いた。
「……何か、ダンジョンの仕掛けが動くと
思ったのですが」
背後から、ミュリアの控えめな声が届く。
「ん……何もない」
佐和子はきょとんと振り返り、
もう一度、光を見つめる。
──それはただの光だった。
誰のものでもない。
けれど、確かに“ここにあった”という、
小さな証のように。
「帰ろっか」
そう言って、佐和子はそっと、
光の粒子を胸元に仕舞った。
◆ サン=ヴォーラ王国
若王エルディ・ヴォーラの元に、
巫女レン・ウィが駆け込んでくる。
「エルディ陛下。寿命蠟が一つ灯りました!」
「真か!祖父の代から消える一方だった寿命蠟が
ーー間違いないのか!」
「小さなものですが、間違いありません」
「おお、寿命蠟が残されたのは
人類への贖罪かと思われたが、
神は見捨ててはいなかった!」
この日、各国の分岐観測塔でも同じ現象が起こった。
すなわち、寿命蠟が灯り、
世界寿命が一日延長されたのだ。
世界寿命観測会議《緊急議題》:
ヴェルム・セグロ大公国・中立議事塔
「……本当に、灯ったのだな」
老公爵グレトス=セグロが震える手で資料を置いた。
書類には、《寿命蠟:灯火報告》
と赤い印が押されている。
「はい。各国の分岐観測塔から同一報告。
最初の灯火は《サン=ヴォーラ王国》にて確認。
規模は小さいが、確かに“1日”の延長が記録されました」
重苦しい空気の中、
ティレク連邦の代表たちが顔を見合わせる。
「……これで黒印煩使団も少しは大人しくなるか」
エラフ公国、リアステ帝国にも
それぞれ緊急の報告が入った。
宿屋《月影のほころび亭》の朝。
食後の食器を下げると、
ミュリアはひょいと自分の荷物袋をあさり始めた。
ギルドで金貨三枚を山分けして懐が温かくなったのだ。
「ふふ……特別な紅茶葉、ようやく買えた…」
銀毛の猫姿から、すっとメイドの少女へと姿を変えると、
小瓶を取り出し、その中に詰まった乾燥葉を
ひとつまみ香り立たせる。
「ラ・シャルレの夜摘み茶
……サン=ヴォーラの修道院で育てたって話にゃ」
湯沸かしポットに手をかざすと、
ミュリアの指先から淡い光が漏れる。
魔力でゆるやかに加熱されていく水が、
コポコポと音を立てた。
ほどなくして、小さな銀のティーポットに
香り高い紅茶が注がれ、
湯気とともにふんわり甘い香りが漂う。
ミュリアはそっとトレイにカップを載せ、テーブルへ。
「佐和子様、よろしければ
……お口直しに一杯どうぞ。少し、落ち着くと思います」
「ん……紅茶?」
ちび佐和子が椅子の上で脚をぶらつかせながら、
カップを覗き込んだ。
「わあ……いい香り。
こんなの、ギルドの食堂じゃ出てこないやつだ」
一口すすると、深くやわらかな渋みと、
微かな花の甘さが舌に広がる。
「……おいしい。ミュリアが入れてくれたからかな」
「……昨日、素材売った帰りに市場をちょっとだけ回って
……お安く譲ってくれるおばあさんがいたのです」
「ふーん……」
佐和子は静かにカップを傾けた。窓の外からは、
遠くで開く市場の喧騒。けれど、このひとときだけは、
どこか遠くの修道院にいるような静けさがあった。
そこに隣で寝ぼけたセリアがベッドから
転がり落ちてくる。
佐和子はお腹丸出しで寝ている
セリアを指で突っついた。
「また飲みたい。今度は、セリアのいないときに」
「了解しました」
二人だけの、静かなお茶会の朝だった。
ちび佐和子は自分が何を成し遂げたか、
今だ知るすべはない。
**
翌日、昼下がりのギルドは、妙に静かだった。
依頼票を貼り替える手も止まり、
視線は受付前に集まっている。
老人と若い騎士が向かい合い、
短く言葉を交わしていた。
鎧の金具がわずかに鳴り、重い空気が漂う。
佐和子に気づいた騎士が面を上げる。
「やあ、お初にお目にかかる。
騎士団長のバルティスだ」
彼は一歩、いや半歩だけ進み出た。
──瞬間、空気が鋭く張り詰める。
ミュリアは反射的にカウンターから飛び退いた。
ごく短い殺気。それに即応できる者は、そう多くない。
セリアは腰の武器に手を掛け、
佐和子は微動だにせず淡々と視線を返す。
(……ふむ、C級上位とB級下位。そして──)
バルティスの瞳が佐和子を射抜く。
(A級以上、間違いないな)
「私の父を救ってくれた礼を言いに来たのだ。
ありがとう」
深々と頭を下げる騎士団長。その礼儀正しさの奥に、目測する鋭さが隠れている。
「礼はもう騎士団長からされている」
「前騎士団長です。父は先日の傷が原因で引退しました」
「そう……後でお見舞いに行くわ」
「激しい戦闘が出来なくなっただけで、
日常生活には支障ありません。
今も王宮でぴんぴんしておりますよ」
笑みを浮かべながらも、
その視線は佐和子から一度も外れない。
「用はそれだけ?」
「はい。父の分までお礼を申し上げます。
いつでも王宮に遊びに来てください」
すれ違いざま、低い声が老人の耳元に落ちる。
「──佐和子殿には余計な介入をするな。
他国に情報を漏らすことも許さん」
さらに一拍置き、声を潜める。
「もう一つ。受付嬢のフェリア
……あれはエラフ公国のエルフだな」
「……承知しております」
「閑職に回せ。王国に不利益を招く芽は、
早めに摘むべきだ」
「しかし、即座の人事異動は目立ちます。しばし猶予を」
「……まあいい、だが監視は怠るな」
ギルド長は深く頭を垂れた。
バルバロッサの姿が扉の向こうに消え、
重い扉が静かに閉まる。
一瞬だけ、ギルド全体が深呼吸したように
静まり返った。
すぐにいつものざわめきが戻る
――受付カウンターには、
いつものようにフェリアが立っていた。