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記録係ではなく、支える者として

静かに揺れる心の記録。

誰にも見られない選択と、忘却に抗う者の祈り。

ミュリアの手帳に刻まれたのは、

戦いではなく、支えるという意志でした。


王宮を出た瞬間、風が頬を撫でた。

 長い会談を終えたあとの空気は、

どこか疲れていて、それでも張り詰めていた。


今日は、彼女の記録に「戦い」はなかった。

けれど――心を守る戦場は、確かにここにある。


 門の前まで来たところで、

ミュリアが静かに声をかける。

「この後――プラム侯爵、

ミドレア伯爵よりそれぞれ面会依頼が入っております。

 また、巫女ピルシア様からは、

個人的にご相談があるとの書簡が届いております」

 佐和子は足を止めずに、即答した。


「……帰る」  

その言葉に、ミュリアはほんの一瞬だけ瞼を伏せ

――すぐに頷いた。

「かしこまりました。面会依頼は私の方でお断りいたします。

 王印・国印付きの親書、お預かりいたします。

……霊道卿へは、こちらから正式に」


 歩みを止めないその姿は、変わらず静かで丁寧。  

だが、佐和子はふと、自分が「先に帰る」と言ったことに気づいて、

わずかに顔を曇らせた。  

言葉にはしなかったが、

その横顔には少しだけ申し訳なさが滲んでいた。


「……セリア、帰りは任せました」  

それだけ言って、振り向かずに歩き出す。

 黒魔鎧を纏い、青く発光する冥斧を背負う騎士

 ――セリアが静かに後ろに続き、

その影は二人分に延びていった。  

ミュリアは、しばしその背中を見送り――そして踵を返した。


「では、仕事に戻ります」  

誰に言うでもなく、独りごちたその声は、

まるで機械のように整っていた。  

けれど、風に揺れる銀髪の奥に、

ふと何かが揺らいだようにも見えた。


  ◇


 大広間から続く石造りの廊下。

 

ミュリアは面会依頼の断りと公的連絡を、

無駄なく処理していた。

「プラム侯爵殿には“本日公爵の面会でお疲れだ”と、

ミドレア伯爵には“別日に代理面会可”の旨を」


ミュリアは淡々と指先で印を押していく。

無駄のない所作。まさに、精密機械のような動きだった。

――感情を切り離すほどに、彼女は“支える者”になっていく。

 

 そのまま次の扉を開けようとしたときだった。


「――ミュリア様」  

囁くような声が、背後から届いた。  

振り返ると、そこには白装束の巫女が立っていた。  

長い白髪、冷えた青の瞳。

ティルク連邦の巫女ピルシアである。


「失礼します。ピルシア殿。  

佐和子様は本日、私的な事情により面会は控えさせております。  

ご相談があるとのことでしたが、日を改めてはいかがでしょうか」

 ミュリアは機械的に頭を下げた。


だが、ピルシアは一歩も退かなかった。

「――では、あなたに話します」

「……私に?」

「そう。マーレはただの人型兵器ではない」  

その言葉に、ミュリアの指が止まる。


「れっきとした人間です。

どうか、人として扱ってあげて欲しい」  

ミュリアは静かに視線を上げた。  


否定の言葉を探すべきだった。

けれど、口から出てきたのは、意外にも別の問いだった。


「……それを、襲われた私達に言うのですか?」

言葉の奥で、冷えた怒りが微かに滲む。

それでも、声は乱れなかった。


ピルシアは頷いた。

「私はマーレが貴族令嬢時代遊んだことがあるのです。

とても明るくて、貴族らしくない

――悪く言えば普通の少女でした」

 ミュリアは目を伏せた。  

反論はなかった。


「……ならば、どうしろと。

 大人しく切られるまで待っていろと?」  

感情のない声で、問いだけが滑り出た。  

ピルシアは、優しく微笑んだ。


「あなたが、後悔しないように。

これからも、“選ぶこと”だけは

 ――どうか、やめないでください」


 その言葉が、ミュリアの中のどこかに、ゆっくりと落ちていった。  

風が廊下を吹き抜ける。

やがてミュリアは、軽く頭を下げると、再び歩き出した。

「助言、感謝します。

 ……マーレはどこか私に似ている気がしていたので」

 それは、彼女なりの誓いだった。  

その背に、ピルシアは手を合わせ、小さく祈りを捧げた。


  ◇


 夕暮れの執務室。窓の外では、遠く鐘の音が響いていた。  

ミュリアは一人、机に向かっていた。  


紙でも魔導板でもなく、小さな手帳。古びた皮の表紙に、

癖のない文字がずらりと並んでいる。


「苦い薬草茶は飲めるが、甘酒は苦手」


「……今日は、朝に黒パンを三人で食べる。

 さっちゃんは半分残しました。

 昼はセリアと口喧嘩」


紅茶をよく飲まれる。

「ミュリアが入れてくれるから」→好意傾向アリ


 書かれているのは、

佐和子の癖、傾向、過去の言葉、感情の揺れ――  

そして、本人が絶対に“自分では覚えていない”

であろうことばかりだった。


(日常を記憶することが苦手でいらっしゃる)

呟きながら、ミュリアはページの余白にペンを走らせた。  

魔物の分析や迷宮構造は瞬時に見抜くのに

朝ごはんの内容も記憶できていない。


その手つきは、習慣と化していた。

「だから私が“保存”する。

忘れても、壊れても、私が引き戻せるように」


 それは記憶決結晶とは全く別の話。

 命令でも、役目でもなかった。

任されてもいない、評価もされない。  

けれど、ミュリアはそう在るべきだと思った。  


誰も求めなくても

 ――自分がそうしていたいと思ったから。

 ひときわ目立つページの一角に、赤い文字があった。


「“本物の女神佐和子”と比較されると嫌がられる」  


受付嬢フェリアが漏らした何気ない言葉が、

佐和子の心に小さな傷を残していた。  

それを聞いたとき、

 ミュリアは“ただの使い魔”としての線を、ひとつ超えた。

 記録係ではなく、支える者としての選択だった。

 

ページを閉じ、その言葉を胸に、

 ミュリアは手帳を静かに閉じた。  

そして、丁寧に引き出しに仕舞い込む。


――たとえ明日、すべてを失っても。  

忘れない限り、在り続けるものがあると信じて。

 彼女はまた、

 佐和子に「何かを忘れさせても構わない日」のために、


あの人の“明日”を支えたいと思う限り。

手帳の上に落ちた灯の影が、そっと震えた。


記録すること、忘れさせても構わない日を待つこと――

それもまた、灯を守る者の戦いなのだと思います。


次回10/14更新です。

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