第49灯《本能の檻》 ― 壊滅の跡を踏む者たち
壊滅した精鋭部隊の残骸。残された生存者の声が、
次なる挑戦者に残酷な警告を突き付けます。
山岳中腹で、
血に濡れたリィナはかろうじて息をしていた。
「あれ?一人出てきた」
まだ、子供のような幼い声が聞こえる。
「……バルグが……まだ……」
「まあ、ひとりぐらいいいか。
ずいぶん上位の魔道技師だったんだね
お姉さんは生かしてあげる」
一人の少年。
銀白の髪が風に揺れ、光の粒がこぼれ落ちる。
右目は深い青、左目は虚無の黒
「だれ?」
「これでティレク連邦誇る重装歩兵隊
《鉄蹄牙団》の副隊長バルグ
と実質A級冒険者パーティ『雄牛の角』は壊滅だ」
「ぐっ」
「もう、救助が来るよ」
小さな影は満足げに去っていった。
暫く後ー
救助の手に揺さぶられても、
彼女はかすれ声でただ一つだけ名を呼ぶ。
「バルグ……」
こうして、ティレク連邦が誇る重装歩兵隊精鋭と、
A級相当『雄牛の角』パーティは完全に壊滅した。
残されたのはひとりの生還者と、
断章ダンジョンがもたらす異常性を裏付ける
痛ましい証言だけ。
冒険者ギルド《牙折りの楼閣》
ギルド長のヴォルドから報告を聞いた佐和子たちは、
沈黙の中で互いの顔を見た。
力押しだけでは突破できない。
誇りを揺さぶり、群れを呑み込む異質な試練。
第49灯《本能の檻》は、ただの“攻略失敗”ではなく、
次なる挑戦者に突き付けられた
残酷な警告そのものだった。
「……あれは、獣人の居住区に隣接して
出現したダンジョンだったんだ」
ヴォルドの声は沈痛そのものだった。
鉄蹄牙団の重装兵として幾多の修羅場をくぐった男が、
覇気を無くし、視線を伏せている。
「表層に出てきた魔獣からは魔石も取れた。
だが……被害も大きかった。
断章破片を身に埋め込んで力を得たバルグが、
仲間を率いて攻略を買って出たんだ」
報告を受けた一同の胸に、重い沈黙が落ちた。
ミュリアが細く息を吐き、呟く。
「……すべて裏目に出たのね」
ヴォルドは彼女と佐和子たちを見やる。
その目には、戦場を知る者特有の警戒が宿っていた。
「あんたらも猫獣人だろう。
あのダンジョンは“本能”を刺激する。
理性が飛べば、魔鎧すら制御できなくなる恐れがある」
それに対して、
ミュリアは気休めともとれる微笑を浮かべた。
「ご心配なく。私たちは霊道卿の側近として、
魔力以上の力を授かっています。
……その程度で揺らぐことはありません」
楽観ではない。だが、
断言することで自分たちの立場を
強く示す必要があった。
佐和子は隣で黙って頷いていたが、
どこか別のことを考えているようでもあった。
ヴォルドは拳を握りしめ、声を低くした。
「今回の攻略失敗で、
俺は人員の減った《鉄蹄牙団》に戻らねばならん。
だが……バルグの仇を取ってくれ!」
その一言に、空気が揺れた。
佐和子が目を細める。
「山羊獣人リィナの話も、直接聞きたいところだけど」
ヴォルドは苦く首を振った。
「すまんが……まだ話せる状態じゃない。
とてもじゃないが、ダンジョンに同行できる様子
でもないんだ」
「……じゃあ、私たちだけで、ということね」
ミュリアが確認するように言うと、
ヴォルドは力強く頷いた。
「攻略してくれれば、
アストラ=リフトからの報酬に加え
ふたりのB級昇格を約束しよう。
貴族の推薦も必要だが
……霊道卿の名があれば不要だろうからな」
条件は破格だった。だがそれ以上に、
バルグが散らした誇りと失われた群れの影が、
次の挑戦者にのしかかっていた。
佐和子たちは顔を見合わせる。
言葉はなくとも、
彼女たちが受ける答えはもう決まっていた。
獣人居住区の外れに口を開けた《本能の檻》。
入口のアーチは血肉のような質感を持ち、
近づくだけで鼓動めいた音が響く。
佐和子は腕を組み、涼しい顔で見上げた。
「ミュリア、セリア周囲を索敵。私は少し時間がかかる」
佐和子は黒槍を洞窟に突き刺し、目を閉じる。
――何者かの手でダンジョンの
精神干渉波が極大化されている。
人の命を何とも思わないような
ある種の無邪気さも感じる。
佐和子はダンジョンの構造解析を進める。
「ふぅ」佐和子は小さくため息をついた。
ふたりの力が削がれるダンジョンで
私の力を見たいわけか。。
黒印煩使団の仕業かと思ったけど、
バルグほどの戦力を犠牲にするような
作戦は考えられない。
他国の介入で言えば、
サンヴォーラ王がこんな作戦は許可しないだろう。
エラフ公国はトロンと会ったばかりだが、
今回の件は初耳だった。
残るリステア帝国が本命だが、
疑われるのは帝国も重々わかっているはず。
まったく未知の勢力があるのかも…。
「…ちゃん」
「えっ」
「さっちゃん」
「ごめん。もう大丈夫だから先に進もう」
「二人とも、今回は神力開放までやらないと
厳しいかも知れない。
ただ、そのタイミングは私の方で指示するわ」
「「はいっ」」
先陣を切る彼女の足取りは迷いがない。
セリアはやや顔を引きつらせ、
ミュリアが後ろを固める。
中へ足を踏み入れると、壁は蠢く筋繊維で形作られ、
通路のあちこちから赤黒い液が滴り落ちる。
生理的嫌悪を呼び起こす光景だが、
同時に力を渇望させる魔力が満ちていた。
「……やだ、力がみなぎってくる」
セリアが拳を握りしめる。
筋肉の張りが異様なほど増していた。
「危ない。増幅が制御を壊す」
佐和子の警告と同時に、
セリアの拳が壁に叩きつけられ、
筋繊維が千切れて飛び散った。
本人は驚いたように手を見下ろしている。
「ほらね。もう始まってる」
佐和子はため息混じりに言う。
「治癒の札を貼っておきます」
ミュリアは慌てて手当を行った。
進むごとに錯覚が強まる。
通路の先に幻の獣群が現れ、
挑発するように咆哮を上げて消える。
耳に届くはずのない牛獣人達の怨嗟の怒号が響き、
バルグの戦歌の断片が頭の奥に流れ込んできた。
ミュリアの猫耳がぴくりと震える。
「これは……血の誇りを揺さぶってる。
仲間同士を争わせるための罠ね」
しかし佐和子は眉一つ動かさない。
「幻影だろうと何だろうと、
全部まとめて踏み潰せばいいのよ」
彼女が手をかざすと、淡い光の糸が通路に走り、
幻影を切り裂いた。
断ち切られた咆哮は悲鳴と共に消え、空気が一瞬澄む。
だが休む間もなく、
今度は地面から筋繊維が絡みつき、
三人の足を引きずり込もうとする。
セリアが斧で斬り払い、ミュリアが霊府で焼き払った。
「完全には復元されていない。
雄牛の角がどれほどの犠牲を払って
進行していたかがわかる」
ミュリアは血の匂いに手をあてる。
通路を抜けた先に広がっていたのは、
訓練場ほどの円形空洞。
天井は筋繊維で網のように張り巡らされ、
中央には祭壇が隆起していた。
そこに、夥しい血痕と折れた槍が散乱している。
《雄牛の角》冒険者達の残滓だった。
今回は《本能の檻》攻略の序幕でした。
壊滅の爪痕と幻影に挑む一行の姿を描きました。
次回9/30日はいよいよボス戦に突入します。
お楽しみに!