第49灯:本能の檻――獣人戦士バルグ、誇りを裂かれて
肉の祭壇が脈動し、幻影が仲間を引き裂く。
獣人バルグ率いる《雄牛の角》は、
断章王グロウル=ヴァルガの
檻へと追い詰められていく。
彼が選んだ最後の叫びとは――。
※精神的に過酷な描写があります。
嫌いな方は読み飛ばしてください。
第二層《肉の祭壇》
肉の祭壇は、生きた筋繊維で編まれた通路だった。
触れるたびに筋が脈動し、
通る者の血肉に魔力を注ぎ込む。
力は増し、動きは鋭くなる。
だが増幅は制御を蝕む
――拳が滑り、意図せぬ一撃が味方を襲う。
そこへ這い出してきたのは、
血縄猿。
全身が縄のような筋で覆われ、
仲間の四肢に絡みつき、
強制的に力を引き出させる魔獣だ。
引き絞られた筋肉は暴発し、骨が悲鳴を上げる。
さらに奥からは、
筋殻巨蟷螂が現れた。
筋繊維を甲殻化させた巨大な前脚を振りかざし、
増幅された力をも嘲笑うかのように壁を叩き割る。
「押せ! 俺の背に続け!」
バルグは踏み込み、魔力を集中。
焦燥衝動が燃え上がり、
肉体と反応速度を限界のさらに先へと押し上げる。
その背が仲間にとって道標となり、
群れは必死に食らいついた。
しかし《祭壇》の煩悩波は、
ただ力を欲するだけでは終わらなかった。
幻影の仲間が泣き叫び、怒号を上げ、
誇りと誓いを叩きつけてくる。
「裏切るな」「俺を置いていくのか」
「お前が隊長なら守れ」
――幻影は血のように濃い声で責め立てる。
山羊獣人リィナは魔道装置を必死に調整し、
増幅を抑えようとしたが、
暴走する魔力が制御盤を伝い
直接リィナに流れ込んでくる。
「そんなっ、想定の五倍以上の精神波よ」
許容範囲を超えた魔力は
彼女の理性を針で突くように蝕んだ。
バルグの膂力が群れを前へ押し出すたび、
胸の奥で誇りが軋む。
断章の力は仲間に幻覚耐性を与えていたが、
同時に焦燥は彼自身を追い詰めていく。
一瞬、心が折れかけた――。
A級戦力と呼ばれる彼ですら抗えない精神干渉が、
ここにはあったのだ。
ひとしきりの混乱ののち、
強制的に魔力を使い果たした隊員が血を吐き倒れる。
誇りは砕け、肉体の増幅が群れの絆を裂いていく。
第三層《誇りの檻》
広間に足を踏み入れた瞬間、世界は裏返った。
壁も床も天井も、すべてが水鏡のように反転し、
進むたびに己の影が何十層にも重なって迫ってくる。
光も音も捻じれ、
呼吸すら自分のものでないように思える。
最奥に鎮座するのは、
巨大な断章の王《グロウル=ヴァルガ》。
その姿は、獣人の肉体を幾つも
無理やり貼り合わせたような異形だった。
鹿の細い顔に虎の肩、熊の胸郭、鴉の翼。
どの部分も強者の証でありながら、
不協和音のように重なり合い、
見ているだけで心の奥にざらついた
嫌悪と畏怖を植え付けてくる。
皮膚に刻まれた紋様は淡く光り、
見つめる者の記憶を呼び覚ます。
その目は幾つもあった。
横顔にも、背にも、翼の下にも。
だが、どの瞳も虚ろで、ただ「群れ」という
抽象の概念を映しているだけだった。
グロウルの口が開く。
「誇りとは……群れを逸脱すること。孤高の王よ……」
声は反響し、幾千の囁きとなって広間を満たす。
その瞬間、仲間の影が蠢き、幻影となって現れる。
亡き父の声、失った戦友の笑み、
忘れかけていた幼い日の祭礼の音。
幻影は一人ひとりの心に合わせて姿を変え、
まるで群れの記憶そのものを再生している
かのようだった。
若い隊員の一人が膝を折った。
「……父さん?」
震える声で呟き、涙を流しながら幻影に縋る。
その顔はやがて曖昧になり、
笑ったまま淡い靄へと溶けていく。
リィナが魔力逆流に震える手で魔道装置を構え、
せめて干渉の流れを逸らそうとしたが、
針のような精神波は脳を直接刺激してくる。
「だめ……視界が……!」
彼女の手が震え、目から流れ出る血が制御板に滴った。
続けざまに煩悩波が広間を震わせた。
筋肉は勝手に膨れ、
牙は鋭く伸び、理性は薄紙のように剥がれ落ちていく。
拳が仲間に叩きつけられ、
牙が無意識に同胞へと突き立つ。
命令を待つことなく、咆哮が広間を満たした。
バルグは仲間を制止しようと叫ぶ。
「俺を見ろ! 幻影に呑まれるな!」
その声もまた反響に飲まれ、
別の幻影の声と混じってしまう。
やがて、空気そのものが震えるような音が轟いた。
グロウルの咆哮――《誇りの咆哮》が放たれたのだ。
それは音でありながら、
心臓の奥を鷲掴みにする衝撃だった。
自分は誰か。誇りとは何か。
問いが脳裏に噴き出し、答えが出た瞬間、
隊員はそのまま孤高を目指し灰色の靄に還っていく。
バルグは斧を握り、幻影を切り裂き続けた。
「俺が……守る……!」
だが、仲間の叫びは次第に幻影と混ざり、
何が真実か判別できなくなる。
振るった刃は、
いつの間にか実在する同胞の肉を裂いていた。
血の臭いが広間に満ちる。
彼の腕は裂け、皮膚は燃えるように赤く腫れ上がり、
牙は肉と骨を噛み砕く。
誇りを叫ぶ声は、獣の咆哮と渾然一体となり、
もはや区別がつかない。
やがて残った仲間達も、
バルグ自身の斧と牙に呑み込まれていった。
気づいた時、
彼は広間の中央に一人立ち尽くしていた。
血に濡れた斧を握り、荒い呼吸を繰り返しながら。
グロウルの目が無数に瞬いた。
「見よ。群れは個を拒む。誇りとは個そのもの……」
その声に、敗北の苦味が胸を貫いた。
「──撤退!」バルグが叫んだ。
自らの咆哮が、かろうじて意識を持ち戻したのだ。
だが、そこにはリィナを除いて誰も残っていなかった。
角飾りが床に落ち、
片方の手に残ったのは砕けた符の欠片。
「俺が…やったのか?」
広間に残されたのは、喪失の静けさと、
まだ消えぬ低いうなりだった。
グロウル=ヴァルガはゆっくりと起き上がると、
群れの記憶を囁くように繰り返した。
――「群れは不要」。その思想が、
バルグの中で再び膨らんでいく。
バルグは振り向き、額を搔きむしった。
「ちきしょう!ミスったぜ。
本能が煩悩断章を暴走させるとはッ」
「バルグ!」両目から血を流し、視界を奪われた
リィナが悲痛な声を上げる。
「リィナお前だけでも逃げるんだ」
バルグは己の意思に関係なくリィナに振り上げられた斧を
自らの腕ごと切り落とした。
「いいか!!獣人バルグは誇り高く戦って死んだと!!
決して情けはかけるなと伝えてくれ!」
リィナは身体ごと放り投げられ壁に叩きつけられた。
砕けた岩の中に沈んでいく。
意識を手放す直前、彼女の瞳に映ったのは
「群れを屠り、なお立ち尽くすバルグ」の影だった。
バルグは自らの試作煩悩兵器と
アストラ=リフト製の最新魔道制御盤の
二重の備えを持って迷宮攻略にあたりました。
最悪の結果とはなりましたが、
群れを導くリーダーシップと己の武勇も見せました。
セリアのライバル枠でしたが、本当に残念です。
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次は9/28更新。いよいよ佐和子たちの挑戦が始まります。