煩悩断章 第44灯『怠惰』合同攻略
B級ダンジョン『夢見の花園』第44灯「怠惰」に挑む一行。
歩みを止めれば終わりという回廊で、ミュリアは完成したばかりの符を試すが
――怠惰の夢は彼女たちを深く沈めようとする。
完成したばかりの呪符
──朱に染められた雷火顕現符が、文机の上で微かに脈動していた。
式神紙の表面には、彼女自身が書き加えた陣の補助線が複雑に走っている。
ミュリアの触手が符を持ち上げ、試験用の陣へと運ぶ。
「起動」
彼女の目元がわずかに見開かれる。
符の中心から紫電が走り、試験陣の内壁を焦がし始めた。
「式封じ、再起動──急げ……!」
触手がもう一本飛び出し、応急遮断の式札を打ち込む。
ばしゅ、と小さく破裂する音がして、符は力尽きたように光を失った。
煙がほのかに立ちのぼる。
「……ふぅ、こちらはまだ、式神には出来ませんか…」
本人にそのつもりはないのだろうが、言葉の端には確かな熱があった。
「出来た雷火顕現符は2枚
…始めてのB級ダンジョンでどこまで通じるか、後は私次第か」
息を吐き、煙を仰ぎながら、ミュリアはでぼそりと呟いた。
翌日
『夢見の花園』煩悩断章:第44灯「怠惰」
入口広間「怠惰の回廊」
使い古された家具が散乱する回廊で、モンスターは直接見せない。
湿った青光が漂い、壁や床から「影手」がのそのそと伸びては妨害する。
歩くだけで鉛のように足が重くなり、息を吐くたびに眠気が胸に広がる。
合同攻略の隊列は乱れがちだった。
「レイジーハンドだ。触れただけで倦怠が増してくる」
アントニオが注意を促す。
「警戒を強化します」ミュリアが式符を振ると
佐和子の顔の脇に巨大な目玉が出現した。
「気持ち悪いっ!」佐和子は目玉を蹴り飛ばすと、
壁面ぶつかり、一枚の札に戻る。
「すいませんっ。”眼”の式神だったのでが。
私の記憶したい欲望が強すぎました。ユリハを出します」
ミュリアの背後に水精が浮かぶと、聖騎士は物珍しげに近寄ってくる。
「これは水精の式神か!始めて見たぞ!」
ユリハがミュリアの背後に隠れる。
「私達みたいにガサツな奴らが嫌いなんだとさ」
「ほう、自分で言うのか?」
「あっ、今のは無し!忘れてくれ」
セリアは真っ赤になって手を振った。
アントニオは大剣を片手に歩きつつ、
伸びてきた影手を片腕で払い落とす。
だが、その一撃は露骨に浅い。
わざと仕留めず、影が再び這い出すのを黙認する。
その態度にセリアが目を吊り上げた。
「おい、手抜いてんだろ! これじゃ足止めが増えるだけだ!」
「……そう見えるか? なら、君たちがやればいい」
アントニオはあくまで涼しい顔で歩を進める。
「私が協力しよう」トロンの人差し指を立てると指輪から風の刃が走り、
影を両断する。
「その指輪、ひとつひとつに特性があるみたいだね」
佐和子が構造解析をしようと覗き込む。
「その通り、エラフ公国を出るには戦う力を身に着ける必要があったからね」
若王は露骨な詮索の仕草に眉をひそめたが、笑顔で応じた。
「レイジーハンドの出現ポイント8ヵ所ーユリハにマーキングさせます」
「これはありがたいな」
トロンは微笑みを絶やさず、レイジーハンドを一掃した。
探索の続け、地底宮殿の入口に立ったセリアは、あくびを一つかみ殺した。
目の前には、崩れ落ちた寝台や椅子が無数に散乱し、
湿り気を帯びた空気が肺にまとわりつき、相変わらず身体が重い。
「……ずっとこんな感じなの?」
佐和子が肩を竦めると、隣の勇者ライザックが鼻を鳴らした。
「油断するな。ここは“怠惰”の領域、精神を食われたら終わりだ」
佐和子はぷいっと横を向いた。
「てめっ」
「まあまあ」
トロン王子が前へ進み、聖騎士アントニオが巨盾を構える。
「進もう。我らが歩を止めた瞬間、迷宮は牙を剥く」
宮殿に足を踏み入れると、花弁が震え、白い粉が舞い散った。
前を歩いていたトロンが崩れ落ちる。
「おい! 寝るなよ!」 セリアが咄嗟に背中を支える。
ユリハが水弾を放ち、粉を洗い流すと、
トロンは大きく咳き込んで目を覚ました。
「……危ない。ほんの数秒で意識を持っていかれる」
石床に足を踏み入れると、再び壁から黒い影手がずるりと伸びた。
「来やがったな!」セリアが斧を振り抜き、影手を薙ぐ。
しかし切り裂いたはずの腕は地に溶け、再び足元から伸び上がってくる。
「武器を掴んでる、離すな!」アントニオが叫ぶ。
ミュリアは即座に光弾を放ち、影の根を焼き払う。
「核があるはずです……影の中心を狙って!」
佐和子の黒槍が壁の裂け目に突き刺さり、
影手は悲鳴のような音を上げて消滅した。
「……なるほど、立ち止まれば際限なく絡まれる仕組みか」
先頭を進んでいたライザックが顎を撫でる。
「つまり、進み続けろってことだな」セリアが笑う。
だが、宮殿は歩いても歩いても終わりが見えない。
「おかしい……さっきから同じ場所を歩いている気がする」トロンが振り返る。
佐和子は冷静に壁を叩いた。
「……この回廊、立ち止まるたびに“伸びて”るんだ」
後方から影手が再び迫る。セリアも振り返るが、
ライザックが叫ぶ。
「止まるな! 走り抜けろ!」
勇者の剣が前方を切り開き、パーティ全員が息を切らしながら疾走する。
後ろから影のざわめきが潮のように押し寄せる
その時、息を切らしたミュリアの足がわずかに止まった。
瞬間、回廊の先が遠のき、出口が霞んだ。
「……ごめんなさい」彼女は悔しげに呟く。
「大丈夫、誰でも疲れる。最初からやり直せばいい」
佐和子が手を引き、一同は再び走り出す。
ようやく石扉が現れ、全員は同時に駆け込んだ。
怠惰の回廊を抜けると、大きな宮殿が現れる。
闇に浮かぶのは、おもちゃを無造作にくっつけたような異形の人形だった。
雑に人型にまとめられた姿からはある種の悲哀が感じられる。
「ようこそ――僕の舞台へ」
ぬいぐるみの一つが口を開く。
頭上から木造のベッドがばらばらになって降り注ぐ。
次の瞬間、それらは武器の形を取り、真下のパーティーへ襲いかかった。
「くっ……!」
剣で弾き返すたび、空間が奇妙に歪む。音が遅れて聞こえ、
景色が反転し、まるで夢の中に囚われていくかのようだった。
「セリア、目を逸らしちゃだめ!身体強化を高めて!」
ミュリアは水精の制御を失わないよう、必死に意識を繋ぎとめている。
人形は笑った。
複数あったぬいぐるみの口元が、一斉に裂けていく。
「とっておきの夢を用意しているよ……抗うほど、深く沈む」
ドリームパペットの体が分裂し、仲間の武器ごと絡め取ろうとする。
「くっ……切りがない!」セリアの斧も、
アントニオの大剣も、溢れ出るおもちゃに間合いを奪われていく。
その瞬間、ミュリアの触手が懐から一枚の札を取り出した。
朱に染まった符――完成したばかりの雷火顕現符。
「……試すなら、今です」
今回は“怠惰”の回廊編です。
符術師ミュリアが作り出した雷火符の初実戦、そして夢と影に絡め取られる仕掛け。
次回はさらにボスとの激戦を書いていきます。