中庭に止まった風
帰還後、ギルドに入ると、
騎士団長バルティスとギルド長が出迎え、
深々と頭を下げた。
「聖堂の分岐観測塔で“記憶の水晶洞”の寿命蝋が灯った。指名依頼完遂感謝する」
「最後の宿題だったから。遅くなってごめんなさい」
ちび佐和子はぺこりと頭を下げた。
「これは遅れていた二人のC級ギルドカードだ」
ギルド長が自ら冒険カードを手渡してくる。
「こっちからも渡すものがあるぞ」
セリアはごそごそと不明者の冒険者カードを
ギルド長に渡すと、
そのまま素材をカウンターに持っていく。
「かたじけない」ギルド長は佐和子に頭を下げる。
バルティスはギルド長が頭をあげるまで待って
話を続けた。
「最後と言わず、
サンヴォーラ王国に留まって欲しかったが、
事情は理解している。
出発前に王宮に寄っていただけないだろうか。
父の顔を見て欲しいのだ」
「ん、騎士団長の挨拶はしようと思っていた」
“現”騎士団長バルティスは間違いを訂正しなかった。
佐和子の性格を多少理解して――結果、あきらめたのだ。
「佐和子様、素材の鑑定が終わる迄、
中庭でお休みしましょう」
ミュリアがティーセットを用意しながら声をかけた。
その様子を見て、バルティスは一瞬眉をひそめた。
ミュリアが中庭に移動したことを見落としていたのだ。
「どうですかな、騎士団長殿。
今のミュリア殿と戦って勝てますか?」
ギルド長の何気ない問いかけに、
騎士団長バルティスは視線を落とす。
「ひと月前でしたら百戦百勝でしたが
……今は、やってみないと何とも」
渋い声に、長年の実戦経験からくる
正直な評価がにじむ。
「佐和子殿の強化訓練、
受けたいような、受けたくないような……」
ぎこちなく笑って、湯呑みに口をつける。
その時、佐和子がふいに言った。
「二人はもう一人前?」
バルティスは思わず吹き出した。
「一人前も何も世界最高峰リステア帝国の
冒険者ギルドでも引手数多でしょうよ。
元A級冒険者の私が保証いたします」
「そうかーー二人はもう十分冒険者としてやっていける。
……二人の訓練はここで終わりにして、お別れだね」
庭に、夏の風がふと止まった。
「──なっ、なっ、なっ、なっ」
ミュリアは口をぱくぱくさせた。
「なんなんなん?」
佐和子が口真似をする。
「何をおっしゃいますか!!」
ミュリアの手から、持っていたティーカップが落ちる。
乾いた音が、芝に吸い込まれていった。
カウンターにまで響いた大声に
セリアも血相変えて駆け寄ってくる。
「おいしいパン屋も、ギルドの依頼も
……わたしたちがいれば安心です!」
「ん、そういえば迷わなくなった」
佐和子がぽつりと頷く。
その小さな一言に、ミュリアの声が震えた。
「絶対にお役に立ちます!自信があります!」
佐和子の前にぐいぐいと身を乗り出す。
距離を詰めながら、
その瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。
「わたし、もう“ただの使い魔”じゃありません。
佐和子様の、世界の灯を守る一部だと
思っています……!」
そして、ぐっと拳を握った。
「たとえ、あなたが“忘れてしまう”としても
──わたしが、覚えていますから!」
庭にいた一同が息を呑んだ。
「……じゃあ、もうちょっと一緒にいる?」
ぽつりとつぶやいた佐和子の声に、
ミュリアは目を見開いた。
「……はいっ!」
嬉しそうに、でも泣きそうに笑ったその顔は──
いつものメイド姿より、ずっと誇らしげだった。
【サンヴォーラ王宮にて】
王宮に到着すると、
白い大理石の回廊に涼やかな風が抜け、
遠くから祭儀の鐘の音が響いていた。
グラスタン伯爵は少し痩せたものの、
深い緋色のマントを翻し、
整った白髪を陽光にきらめかせながら出迎える。
「佐和子殿、お久し振りですな。
……おや、後ろのお二人も随分と見違えましたな」
セリアとミュリアが顔を赤らめるが、
ミュリアはやがて視線を逸らし、
小さくため息をついた。
「あの……そのようなお話は、
今は控えていただけると助かります」
「それはまた…どうかされましたかな?」
伯爵が首を傾げたとき、
後ろにいたバルティスが口を開いた。
「実は……佐和子殿は、
お一人で行こうとなさったのです」
少し申し訳なさそうに、彼は続ける。
「私にも責任の一端があると思いまして、説明を……」
バルティスも、多少は佐和子の性格を
理解してきたつもりだった。
しかし――流石に、あの場面でパーティー解散宣言を
するとは思ってもいない。
想像の斜め上どころか、
雲の上を飛び越えた決断だった。
「なるほど」伯爵は頷き、柔らかな笑みを浮かべた。
「佐和子殿に干渉しないという命を破りました。
ご容赦を…」
バルティスは声を落として囁いた。
「……いや、現場で全てを理解した上で判断を変えるのは、容易なことではない」
グラスタン伯爵はしばし沈黙した後、
低く、しかし確かな声で言った。
「お前は正しい。よくやったな、バルティス」
その瞬間、伯爵の表情は一瞬だけ“父”ではなく
“騎士団長”のものに戻った。
戦場を知る者の、重みのある言葉だった。
バルティスは驚いたように目を瞬かせ、
そして小さく頷いた。
「……ありがとうございます、父上」
「王の謁見までには少し時間がございます。
控えの間にお通ししましょう」
控えの間に移ると、
伯爵は真剣な顔つきで佐和子を見つめた。
「さて……佐和子殿。
なぜ二人と別れようとなさったのか、
聞かせてもらえますかな?」
佐和子はしばし黙り込んだ後、ぽつりと答えた。
「一人で自由にダンジョンを探索できるだけの力を、
もう手に入れたから……。
この子たちは一人前。私の助けは要らない」
伯爵はゆっくりと首を振った。
「――私には違って見えました。
お二人は、佐和子殿と共に冒険したいと
心から願っていたはずです。
何とかしてあなたに追いつこうと、
必死に努力していた」
佐和子は言葉を失う。伯爵はさらに続けた。
「……そして、佐和子殿が別れを告げようとした
その時こそ
ーー二人が“横に並んでも恥ずかしくない”
と自信をつけた正にその時ではありませんかな?」
グラスタン伯爵はこの先を続けるべきか少し考え、
出された紅茶を口に含んだ。
「一人前になれば認めてもらえるはず
──そう信じていたのに、見捨てられるのかと……」
その言葉に、
ミュリアとセリアの目から大粒の涙が溢れた。
(二人には、もう自分なんて必要ないと
思っただけなのに……)
「……そんなこと、思ってたんだ」
「ずっと、ついていきたくて……」
佐和子は二人を見て、小さく頭を下げた。
「……悪いことをしたね。ごめんなさい」
伯爵は静かに頷く。
「お節介かもしれませんが
――この二人は、決して手放してはなりません。
これから各国を回るおつもりなのでしょう?
きっと、かけがえのない力になります」
「……わかった」
伯爵の表情が和らぐ。
「では、本題です。三人で王に謁見していただきたい。
先日のC級侵食ダンジョン攻略のお礼をしたい
とのことです」
「いいよ」
「ただ、その場で王からいくつかお話があるはずです。
どうか、最後までお聞きください」
伯爵は深々と頭を下げた。
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