水精の羽衣と夢クラゲ
「……あれを倒さないと取れないわね」
佐和子は無造作に槍を構える。
「注意をこちらに向けるから、
ミュリアはユリハを苔まで走らせて」
「それには及びません」
ミュリアは二コリと水精に微笑みかけた。
「ユリハ、鎌になって」
呼びかけると、ユリハは小さく頷いた。
次の瞬間、その輪郭がゆらりと揺らぎ、
柄まで透き通る水の鎌を形作っていく。
ミュリアがその柄を握り、そっと魔力を流し込むと
──鎌の先端が紫色に脈打つように発光した。
「……水精の刃」
ミュリアが低く呟き、鎌を大きく振り抜く。
空気を裂く鋭い音とともに、水の刃が奔流のように走り、魔物の群れを一掃した。
武器への形態変化、魔力循環、
オリジナル魔法の生成まで
──教えてもいないことを、
ミュリアとユリハはやってのけた。
ぽかんと口を開けた佐和子は、やがて
「おお、すごい!」とぱちぱち手を叩いた。
少し、弛緩した雰囲気の中で
「……気をつけろ。水面、何か動いてる」
セリアが斧を構える。
次の瞬間、緑の苔と粘液に覆われた
蛇が滑るように飛び出した。
三メートルの巨体――ヌメグサラ。
「わっ、速っ!」
セリアが受け止めるが、
その体に絡みつくように巻き付かれた。
「ぐっ……締め付けが……!」
「はい、お口開けてー」
佐和子は迷うことなく蛇の口腔部へ
黒槍を突き立てる。
ヌメグサラが痙攣して離れると、
セリアは泥に膝をついた。
「……食われるかと思ったぜ」
「そんな可愛い猫娘じゃないでしょ
ーーただのE級魔物だし」
佐和子は淡々と蛇の皮を剥ぎ取り、
バッグへ放り込む。
佐和子が後方で魔獣素材を取っている間、
ユリハは水面を滑るように走り、
石台の上へ跳び乗った。
小さな口で“聖泉の苔”をひとかけら噛み取ると、
全身が淡く光を帯び始める。
波紋が幾重にも広がると、
ユリハの体が一回り大きくなり、
羽衣のような水の触手が出てきた。
触手が頭部に髪のように納まり、
これまでの雫から小さな人型を取るようになった。
「……可愛い」
ミュリアは駆け寄り、掌を差し出す。
ユリハは嬉しそうにその中へ戻り、
しっとりとした温もりを残した。
魔獣を片付けた佐和子が顎でユリハを指す。
「喜んでたね」
「はい」
ユリハは髪の毛のような触手をふわりと揺らし、
水面にもう一つ波紋を広げた。
「こいつ、自分の食える素材を探知しただけだぜ」
セリアべたべたになった顔の粘液を
ユリハに擦り付けようとする。
それを見た佐和子も素材を解体して
べとべとになった手をユリハに向けてくる。
「「べたべたー」」
「二人ともやめなさいっ」
ミュリアが慌てて間に入った。
ユリハが二人の間を通って浄化をしていく。
「あっ、綺麗になった」
「「ユリハ、ありがとー」」二人の声が重なった。
「灯はなかったね」
「多分、複合ダンジョンになった時に
ボス部屋に統一されたのでしょう」
第三層 潮藻の沼地 ― シズミワラ
足元に漂う藁のようなもの。
セリアが無造作に踏み込もうとした瞬間――。
「動かないで!」
ミュリアの霊府が藁を裂いた。そこから現れたのは、
腐草のように見えていた魔物――シズミワラ。
「危な……あれ、掴まれてたら引きずり込まれてたよな」
「そうね。沈むのは嫌でしょ?」
「捕縛」ミュリアは冷ややかに笑い、
霊府でシズミワラを絡め取る。
セリアが斧で叩き割り、
泥の中に藁霊芯が沈んで光った。
ドロップした素材をユリハが素早く吸収する。
「C級魔物の素材まで育成に使うのか?」
「……今のはたまたまユリハの前に
落ちてしまっただけでしょう」
第四層 水面 ― アワフクラゲ
霧が濃くなる中、突如、
水面に無数の泡が噴き出した。
「っ、視界が!」
セリアが咳き込み、斧を振り回す。
泡の中から、半透明の触手がスルリと現れる。
――アワフクラゲの奇襲。
「やめなさいって」
佐和子が片腕を伸ばす。
泡で視界が無くなりながらも、
まるで何も気にせず黒槍を振るう。
触手が切り落とされ、クラゲは水中に沈んだ。
「……佐和子様、ずいぶん積極的に出て来られましたね」
ミュリアには佐和子が少し焦っているように感じた。
「こんなの、ただの水遊びでしょ?」
彼女が笑うと、槍に付いた小さな泡が
シャボン玉のように洞窟に浮いた。
ドロップした光の玉をユリハが素早く吸収する。
「また、やりやがった!」
「ユリハは指示した素材以外は食べません」
「いや、今の見てただろ?金食い虫だぞ、こいつ」
ユリハは出来たばかりの”舌”でセリアにべーをすると、
ミュリアの後ろに隠れた。
「ミュリア、どけ。女同士の大事な話がある」
「どきません。また、次の魔物を狩ればいいだけしょ」
洞窟の奥で、
泥を跳ね上げながら巨大な影が後退していく。
――グラエビトラ。
苔むした甲殻を持つ巨大なエビ虎が、
ハサミを鳴らした。
「後退しながら泥を撒くなんて、いやらしい戦法ね」
ミュリアが障壁を展開し、泥を防ぐ。
「だったら押し切るまでだ!」
セリアが泥に足を取られながらも突撃し、
巨大なハサミを斧で受け止める。
その隙に、佐和子が背後へ回り込んだ。
「……甲殻、ここが薄い」
黒槍が甲殻の隙間に突き刺さり、
黒い液が飛び散った。
グラエビトラが絶叫を上げ、
泥を撒き散らしながら崩れ落ちる。
「ーー泥染腺液はかなりの高値で売れる。
これだけでもかなりの収穫よ」
ミュリアは素材を丁寧に包みながら微笑む。
「私がいじめたみたいな雰囲気出すのやめろ」
セリアは素材を受け取りながら唸った。
【ボス部屋前岩礁地帯】
「下っていたかと思ったら、
いつの間にか岩礁の上に出ているぜ」
セリアが斧を肩に担ぐ。
「まだ、先に続いているからこのまま進みましょう」
「浸食の中心に向かっているのだと思う」
「魔物の姿が無くなったな」
「ボスが近いんだよ」
ミシミシと足元の岩礁が音を立て、細かく振動している。
ダンジョン全体が広く、
大地を飲み込む浸食を繰り返しているのだ。
「……複合ダンジョンだったけど、疲労は大丈夫?」
佐和子が口元に笑みを浮かべ二人に確認する。
「行けるだろっ!」
「お任せくださいっ!」
セリアとミュリアが同時に声を上げる。
海霧の中、三人の笑い声が潮騒に溶けて消えていった。
ミュリアの指が、
ユリハの淡い金色の輝きを追いながら進む。
岸壁の奥、暗い岩礁の広間に
──大クラゲが鎮座していた。
半透明の身体の内側には、
まるで“夢”のような映像が浮かんでは消える。
それは、誰かの記憶。
奢り高ぶった人間たちの“優越”が溶けた記憶。
「ミュリア、式神を戻して。
まだ断章ボスの戦闘には耐えられない」
「はいっ」ユリハを霊府に戻し、ポーチに仕舞う。
「セリアは魔鎧解放しておいて、あいつ、最初に大技狙ってるよ」