灯哭の残灰を越えて――記憶の水晶洞へ
ミュリアは黙って小さく祈りを捧げた後、
ポケットを探るようにして言った。
「あの、霊札がまた切れてしまいました……」
「問題ない」
佐和子はあっさり断言する。
「お金はギルドに払わせる」
「私の魔鎧は傷一つないぜ」
セリアが胸を張ると、
すぐに佐和子がさらりと返した。
「でもセリアのバトルアックス、刃こぼれしてる。これで切られた鎧がちょっと可哀そう」
「げっ……マジか!?」
セリアが慌てて斧を持ち上げ、刃の端を覗き込む。
「魔力を纏わせるだけじゃ……劣化するのかよ……!」
その横で、ミュリアがメモを取っていた。
「“魔鎧解放中に使用した魔具の負荷率上昇”。
新しい実験データですね」
「だから試す前に言えって……!」
そんなやり取りの中、佐和子は、
足を止めて霊廟の方を振り返った。
「でも……変わってたよね。
灯籠、昨日と違って全然反応しなかったし」
「はい。構成が再構築されている可能性が高いです。
異常の記録として提出しましょう」
霊廟の奥に何かを残すように、
一行は再び地上へと歩き出した。
**
【ギルド報告】
ボスの報告を終え、まとめた金貨の袋を受けると、
佐和子はにんまりと笑った。
「今日はクレープ祭りかなっ」
背後で、ギルドの受付フェリアが
神妙な顔でこちらを見ていた。
「おい、おちびちゃん」
ザインが声をひそめた。
「他国の騎士が嗅ぎまわっているぜ。
まだ男か女かも知られちゃいないが、
ダンジョンで異常な攻略をする
パーティを探しているらしい。
騎士だけじゃない。明らかに怪しい奴らも見かける」
「そう、ありがとう。
ーーとうとう旅立つときが来たようだね」
佐和子は二人に振り返る。
「最後に、騎士団長の指名依頼を受けよう」
その言葉に、受付に立つ
フェリアの血色が一気に良くなる。
「ただいまお持ちしますっ!」
彼女は勢いよく駆け出していった。
その背を見送りながら、
佐和子は小さく、確かに笑った。
「対象は“記憶の水晶洞”。登録上はC級、
ですが……サンヴォーラ王都から比較的近く、
煩悩の断章ボスも出現も確認できています」
「どうして煩悩型ボスがいるってわかるの?」
「煩悩型ボスがいるC級ダンジョンは
B級、A級と同様に辺りを侵食していくの!」
「フェリア、また余計なことを喋っているな。
一般冒険者がどこで聞き耳を立てているかわからん。
断章ボスのことは漏らすな」
「それはすぐバレることなのでは?」
「異常個体だと説明している。
サンヴォーラは灯を信仰している。
ダンジョンボスとの関係など知らぬ方がいいんだ」
「兵長クラスがまだいる……?」
ミュリアの目が僅かに揺れる。
佐和子の反応はいつものように淡い。
「ボスがどの程度強化されるのかはわからん。
世界に点在する108の断章型煩悩。
その中には、“世界の根源に”を繋がる
危険なものもあると知っておいてくれ」
三人は頷く。
「今回は……第9灯『優越』」
**
◆ 海辺のダンジョン:記憶の水晶洞
遺跡は、潮風の混じる湿地の奥。海霧が揺らめくその場所に、半ば沈むように口を開いていた。
中は冷え冷えとした水音が響き、天井から垂れる水晶の滴が鈍く光を反射している。
「この辺り一帯がすべてダンジョン化しています」
「100人くらい平気で入れそうだな」
セリアはきょろきょろ見回す。
「近くに存在したF級、E級ダンジョンをも飲み込んで複合ダンジョンになっているそうです」
「中も広そうだから、寄り道しないようにしよう」
そう言いつつ佐和子は一直線に進んでいく。
「ミュリア、今回は情報あるの?」
「はい、攻略には成功していませんが、
ボス部屋まで調査済みでした。
巻貝、トカゲ、水草の一部が魔物化しております。
ただ、複合ダンジョンだと特殊な生態を持つ魔物もいるかも知れません。
ダンジョンボスは大クラゲ。クラゲの魔物が増えてきたら要注意ですね」
「水辺だからユリハの育成もはかどりそうだね!」
ミュリアの傍らで水滴がぶるぶる震えた。
「通路が分かれたけど」
「多分、ここで本格的にF、E、C級ダンジョンに分かれるのではないでしょうか」
「じゃあ、正面からだ」
F級地下水道《滴る骨路》
「あの…佐和子様、恐らく、
このダンジョンには三つの灯があるはず。
すべてに光を灯すつもりであることはわかります」
ミュリアは霊府で地形を確認しながら言った。
「ですが、佐和子様がどうしてそこまで
灯を気に掛けるのかがわかりません。
一度、王都の聖宮で灯の由来や信仰の理由を
聞いてみてもいいのでは?」
「興味ない」
「ですよねーっ!」
ミュリアは泣き笑いのような顔になった。
「ユリハの反応が鋭くなってる。
何か素材を見つけられるはずよ」
佐和子がそう言って先導する。
「でも……ここ、匂いが……」
ミュリアは顔をしかめた。
地下水道特有の湿気と鉄臭さに、
ユリハもぷるんと揺れて不満を示す。
天井から一定間隔で水滴が落ち、
骨のような支柱が立ち並ぶ通路を進む。
やがて、奥の壁に淡く光る透明片が見えた。
「……あれは水精霊殻片?」
ミュリアが指差すと同時に――羽音。
頭上から下水棲のコウモリ型魔物が群れで
襲いかかってきた。
「上だよ、ミュリア!」
佐和子が短く叫ぶ。
ミュリアは慌てて霊府を展開し、
ユリハを壁際へ走らせる。
ユリハは殻片へ突進し、
それを吸い込むと内部から淡い光が灯った。
体表に波紋のような模様が現れ、
呼吸のように明滅を繰り返す。
戦闘を終えた佐和子が歩み寄る。
「暗い場所でも目印になるわね。探知も広がったはず」
「でも……光ると敵が寄ってきませんか?」
ミュリアが心配そうに言うと、
ユリハはぴしゃっと水飛沫を上げて否定した。
その光は、地下の闇をほんのりと照らしていた。
「どうも元はF級ダンジョンだったみたい」
「外れですね、佐和子様」
「ちょっと意地悪な迷宮なんだよ」
佐和子は腕を組んだ。
「せっかくだからユリハに探知させてみますか?」
ユリハはひらりと左手に進んでいく。
E級遺跡《沈みゆく祈泉》
遺跡の中は、ひんやりとした空気と
水音に包まれていた。
崩れた柱の間を、細い水路が縫うように流れている。
奥へ進むにつれ、白い霧が立ち込めてきた。
足元の水は膝まであり、石段は苔で滑りやすい。
「湿気が濃いですね……」
ミュリアは少し緊張を含んだ声を出す。
そのとき――ユリハが突如、前方に飛び出した。
「ちょ、待って! 危ないって!」
水飛沫の先、苔むした石の台座が見える。
そこに淡く光る緑――“聖泉の苔”だ。
だが、その周囲に黒い影が三つ。
全身を水で覆ったE級ボス《ウォータリング》が、
苔を守るように漂っていた。
この物語が、灯を絶やさずに進んでいけるように。
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