《偽りの女神と、真名の灯》──忘却の祭殿、最深部にて
再び静かになった祭殿。
兵長の鎧はもうそこになく、
祈祷柱にだけ小さな青い灯が残っていた。
「……名を呼ぶ。それだけで、
解放される魂もあるんですね」
ミュリアがセリアに肩を借りながら立ち上がる。
「最後まで私のことを見なかった」
佐和子は背を向けて歩き出す。
「でも――救ったの、あなたですよ」
その言葉に、佐和子は少しだけ足を止めて、
何も言わずに歩き続けた。
【私は、貴方が思っていた佐和子じゃない】
兵長カラム・ユースベルクが光の粒となって消え、
霊廟に静寂が降りた。
騒がしく燃え盛っていた灯籠の魔力もすっかり消え、
天井の結晶灯が仄かに明るさを取り戻す。
戦いが終わった。
けれど、誰も声を出さなかった。
ミュリアは手を胸に当てて黙祷し、
セリアは警戒の姿勢を解いたまま斧を地面に突き立て、
息をついていた。
そして――
佐和子は、その場にただ立ち尽くしていた。
足元に、兵長の残した金属片のようなものが一つ、
ぱたりと落ちる。
それを拾い上げることもせず、
彼女はただ、虚空を見つめたまま。
風が、霊廟の奥へと吹き抜けていく。
あまりに静かなその瞬間、
佐和子はほんの小さく、唇を動かした。
「……浄化の先で、女神佐和子と会えるといいね」
誰にも届かないほどの、微かな声。
でも、それは確かに、そこに残った。
敬われた名前。
信じられていた姿。
彼の最期の瞬間に、自分は“本物”を装った。
それでも。
今、目の前で消えた魂に、嘘をついたままでも、
佐和子は言葉を続けなかった。
彼の想いを、否定するにはあまりにも優しすぎた。
**
灯哭の兵長が消えたあと、
祭殿の奥、黒曜石の壁がゆっくりと割れ、
**隠された間**が現れる。
中は狭く、空気が異質だった。
「……空気が違う。ここだけ、温かい」
ミュリアが囁くように言う。
部屋の中央には、
真鍮と蒼銀でできた巨大な燭台があり、
上部には、どこかの言語で
《刻の受け皿》と刻まれていた。
天井には穴があり、
天の星のような光がわずかに差し込む。
燭台の前に立つと、どこからともなく声が響く。
『汝、名も無き魂を鎮めし者。
残余の灯を受け入れ、世界の歩みを一歩分延ばすか』
「やっぱりあった」
佐和子はぼそりと呟いた。
「これまでと比較にならない大きな灯ですね」
ミュリアが目を見開く。
佐和子は手を伸ばす。
燭台の脇には、亡霊が遺したと思われる
灰色の蝋が置かれていた。
灯哭の兵長が最後に残した“想いの欠片”。
佐和子は蝋を持ち上げ、炎口に差し入れた。
火が灯ると、燭台全体が淡く発光する。
その光は一筋の光流となって天井へ昇り、
世界樹の枝のように広がっていく。
『寿命、184日分、継承完了。
魂の返礼を、受け取り給え』
小さな音と共に、1枚の薄く光る羽根が
佐和子の前に現れ、手のひらに落ちる。
「……一年に満たない寿命。
たったそれだけのために、兵長は苦しんでたの?」
「“たった”じゃない」
ミュリアがきっぱり言う。
「誰かにとっては……それは最後の1日だったかもしれない」
「……そういうものか」
佐和子は羽根をポーチに仕舞い、振り返る。
「行こう。D級ダンジョン攻略完了だ」
背後で燭台の炎は静かに灯り続けていた。
それは、世界という名の大きな命の、
ほんの一瞬の延命であり――
誰かが必要としていた奇跡だった。
**
「5階層ともなると日帰りは厳しいかもしれません」
ミュリアは日暮れの湿気交じりの風に
髪をなびかせながら言った。
「夜は冷えます。紅茶をいれましょうね」
「ん、ありがと」
佐和子は渡された紅茶を少し冷ましてから口を付けた。
「今後、泊りで行くならポータを雇いますが…」
「必要ない。ペースを上げればいいだけ」
「はぁ」ミュリアは苦笑いした。
「私も野宿は嫌だ。肉を喰いたいな」
セリアは星の出てきた空を眺めながら足をぶらぶらさせた。
「星がお肉に見えるみたですね」
「そうだよ、涎がーーって言わせんなよ」
**
ダンジョン帰りのギルド前。
野草束を手にしたザインが通りかかるのを見つけて、
佐和子がにっこりと声をかけた。
「ザインは草食べる。おいしい?」
「俺が食う訳じゃねーよっ!貰っておくけどな!」
いつもの軽口に、ミュリアが口元を隠して笑う。
ザインはわかりやすくムッとしながらも、
佐和子の前ではなんだかんだ怒鳴りきれない。
丁寧に野草束を移し替えていく。
冒険者ギルドの受付に、ちび佐和子一行が現れると、
昼下がりの喧噪がぴたりと止まった。
「ダンジョンボス、D級どころか
……下手すればA級でもおかしくなかった。
ギルドの設定ミスだと思う」
佐和子がきっぱり言い切る。
受付のフェリアが目を丸くして固まっている間に、
ミュリアが静かにポーチからドロップ品を並べた。
■報告品一覧:
• 《灯哭の残灰》 ×1(確定)
• 《幽鎧の破片》 ×3(希少)
• 《慟哭の声紋石》 ×1(レアドロップ)
「ボスドロップが……!D級以上のボスからは
一つしか出ないはずなのに、
五つも!いっぺんにっ!?」
フェリアの叫びに、奥から重い足音が響く。
現れたのは、ギルド幹部のグラント。
かつて高位冒険者として名を馳せた男だ。
「ダンジョンの異常を見抜けなかったのは、
こちらの不手際だ。申し訳なかった。
ドロップ品は倍額で買い取らせてもらう。
ギルド長への報告も済ませる」
「それだけ?」佐和子が首をかしげる。
「報告後だが、貢献ポイントを上乗せする。
特別報酬も用意しよう」
フェリアが慌てて書類を引っ掴み、
身を乗り出した。
「本来ならD級ダンジョンを五回以上攻略しないと
C級認定はされません。
でも、あなたたちはすでにA級ボス級の脅威を打破しました
……規定を満たしています!」
彼女は目を輝かせ、力いっぱい手を広げた。
「次はぜひ、騎士団からの
指名依頼を受けてみませんか?」
(フェリアの頭にはギルド長の言葉が頭をよぎったが、
口にせずにはいられなかった)
「あ、それはいいや」
佐和子は手をひらひら振り、あっさりと通り過ぎる。
「……絶対、面白がってますよね!」
目を潤ませるフェリアの背後から、
グラントが困ったように声をかけた。
「またか……まあ、気持ちはわかるがな」
「だって! これだけの実力があるのに、
指名依頼を受けないなんて……!」
「佐和子さんは、もう十分この街を救ってくれている。
頼みごとをする側が、分を弁えねばな」
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