ちび佐和子、猫を引き連れダンジョンへ
──記録庁断章より
T−108|分岐起点:灯の器、旅立つ
世界は、かつてもっと広かった。
けれど、今は“断章”がその輪郭を喰らっている。
ダンジョンは世界を囲むように出現し、その内壁は年ごとに狭くなっていく。
ボスは倒されても、灯がなければすぐ蘇る。
そして、今日もどこかで“寿命が削られて”いる。
灯の少女──その力こそが、断章に打ち克つ唯一の光。
世界は、彼女たちの旅にわずかな明日を懸けている。
宇宙から見下ろした大地には、まるで魔力の渦に削られたような、
巨大な円形ダンジョンの痕跡が広がっていた。
ちび佐和子は真空の中ゆっくりと重力に引かれ、
なるべく大地の中心に降臨できるよう進路を調整していく。
落下速度が増すにつれ、空気との摩擦が火花のように彼女の周囲を焦がす。
ちび佐和子は黒槍を前に突き出し、神力を一点に凝縮させた。
その時、地上のダンジョンから迸る108の光の奔流がちび佐和子を飲み込んだ。
地上に落ち、目を覚ました彼女の心には、空白だけが広がっていた。
名前以外の記憶は霧の中に消え、残されたのは黒槍と、女神の微かな声だけ。
それでも、ちび佐和子は歩き出すしかなかった。
手始めに、魔物に襲われた騎士団を助け、
瘴気に侵された神格位付きの猫を二匹ほど救済してみたのだが──
「ほんと、使えない……」
その二匹は、いま彼女の後ろをとことこ付いてきている。
「よお、ちびちゃん。いつもありがとうな。A級冒険者がこの町にいるだけで助かるぜ」
「ん、気にしない」
ちび佐和子がちらりと振り返ると、猫たちは一回転して──
銀髪猫耳メイドと金髪猫耳メイドの姿になった。
「これから冒険者をさせていただく、ミュリアと申します」
銀髪のメイドが丁寧に頭を下げる。
「おい、おっさん。道を開けろよ」金髪の方、セリアが言った。
「おっ、おう……」すれ違った男が素直に身を引く。
「その格好でダンジョンに潜る気かよ……」
もう一回転。二人はそれぞれ銀の甲冑、金の甲冑を纏う。
小柄なちび佐和子の前に、堂々とした騎士のような影が二つ並んだ。
「ちびちゃん、なんでもありだな……」
背後から、D級冒険者ザインの苦笑が聞こえた。
彼は魔物に襲われていたところを助けられて以来、ちび佐和子に懐いている。
そのまま三人でギルドの扉をくぐると──
「はいはい、順番に並んでください! 武器は振り回さないで!
そこの双子猫メイドさん、眼光で他の人を脅さない!」
エルフの受付嬢フェリアは濃紺の制服をきっちり着こなし、
黒縁眼鏡の奥から、測定器のように正確な視線を投げてくる。
「ええと、登録希望……って、あら?」
フェリアがちび佐和子を見て、微かに眉を上げる。
「──あなた、名前は?」
「ちび佐和子」
「……本名?」
「うん、私は登録済み」
眼鏡の奥で、フェリアのまつげが微かに揺れた。
思考を切り替える音が聞こえるようだった。
ぱらぱらと名簿を捲り、眉をひそめる。
「…ありました。ですが、ちび佐和子様は特例でA級昇格後、
ギルドには未訪問。カードの交付も未完了です。
そちらの……猫耳の方々も登録ですね?」
「ミュリアとセリアです」
「あなた方は申請ランクはFランクからになりますが、問題ないですか?」
「私がダンジョンで鍛え直す」
「……なるほど。では、健康診断、魔力量測、戦歴照会を──」
「いらない」
ちび佐和子が無表情で言うと、フェリアはピタリと口を閉じた。
数秒後、静かに書類を差し出す。
「……騎士団の推薦状。それも、サン=ヴォーラ王印……!」
フェリアは息を呑んだが、すぐに表情を整える。
「では、こちらにサインと、血印を」
「こわ。何かあったらすぐ逃げよ」セリアが小声で言う。
「ええ。まずは一ヶ月無事故報告を目指していきましょう」
受付嬢の笑顔はプロのものだった。静かに威圧を混ぜてくるタイプだ。
「それと、佐和子様には個別で王国騎士団から指名依頼が来ております」
「後回し。騎士団長は甘やかさないと決めている」
「そんなっ、王国騎士団の推薦状を持たれてたのにっ!」
「フェリア、いいんだ」
奥から成り行きをはらはらしながら見守っていた男が慌てて出て来る。
「佐和子様、気が向いた時でいいのでお願いします」
「――ちび佐和子でいい」
少女は頬をぷくっと膨らませながら言った。
サインを終えたちび佐和子たちは、メイド姿に戻り、受付を離れる。
**
町から30分ほど離れたところにあるF級ダンジョンに入ると、
やや透けた銀灰色の鼠型魔物が襲ってきた。
「まずそうな鼠だにゃ」
銀髪猫耳メイド。ミュリアの背中から蜘蛛の足形をした鋼鉄の触手が出現した。
「シア・ルイン!」
鋼鉄の触手が空を裂き、灼熱の光線が鼠型魔物を一掃する。
爆音と共に、床が焦げ、次の階層の扉まで熱が走った。
「どうだにゃ」
ちび佐和子はミュリアの頭を黒槍でごんごん叩いた。
「そんな極太の熱線いらないっ! ダンジョン壊れる!」
「にゃん……」
「神力に頼るな! 魔素をちゃんと使う! 魔力収縮と圧縮を極めれば、
毎月一本どころか、毎回十本発射も可能になるっ!」
「う、うにゃぁ……」
ミュリア、涙目で耳をぺたんと伏せている。
「どっ、どうして毎月一本てわかったにゃ?」
ちび佐和子は得意げに鼻を鳴らす。
「その触手、熱線を打つと色が変わって動かなくなる。
神力の供給スピードも遅い。あなたの場合、ひと月はかかる」
佐和子にいいところを見せたくて隠していた弱点を、
あっさりと見破られた。ミュリアは真っ赤になって視線を逸らす。
「背中の触手は自由に動かせる?」
「いけましゅ」ミュリアは背筋をぴんと伸ばした。
「じゃあ──ここに一撃入れてみて」
佐和子が黒槍を立てると、ミュリアは触手を振るったが、狙いを誤り、佐和子の頭に直撃。
しかし佐和子は苦も無くそれを弾いた。
「うん、セリアの三分の一くらいの威力。鍛えれば雑魚は一撃」
「佐和子様じゃなきゃ死んでたにゃ〜」
セリアがそれを見て笑った瞬間——ごんっ!
同じく黒槍で頭を叩かれた。こちらは少し強め。
「あなたはもっとミュリアの“位置”を確認しながら戦う!
さっきも射線に入りすぎ! ついでに、私の貴重な時間を奪いすぎっ!」
「いってぇ! え、なに、私!? 今のは笑っただけじゃん!」
「助けてくれたときは、もっと優しかったのに……」
「……あの時は猫ちゃんだと思った」
ダンジョンは簡単な構造で、ほぼ一本道が続く。
第二層は透明な羽を持った昆虫型魔物がちょこちょこと出没したが、
セリアがバトルアックスの一振りで次々と退治していく。
ミュリアはいいところが無く、焦っていた。
第三層──無機質な静けさの中、大扉の前で彼女たちは一瞬足を止めた。
「今日のボスはグレイウルフ。私は手を出さないから、二人でやってみて」
扉を開けると、人の背丈程ある巨大な狼が唸り声を上げて一直線に向かってくる。
「ヴァルミリオン・ルイン!」
ドガァァン!!
ミュリアの残った触手が一斉に発光し、中央に収束すると、
雷光にも似た凄まじい熱線が一瞬でグレイウルフを蒸発させる。
階層全体が地鳴りのように震え、天井から岩の破片がぱらぱらと降り注ぐ。
空気が一瞬、焦げたような匂いを帯びた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回から新連載『煩悩108の異世界で、踏襲少女は紅茶とともに世界を救う』をお届けします。
前作『崩壊しそうな世界で看護師天使になって救済します』では天使たちの物語を描きましたが、
今回はダンジョン探索をメインに、そして異世界の物語をお送りします。
第1話は物語の入口として、世界観と登場人物の空気をじっくりお伝えしました。
ここから先、少しずつその「奥」にあるものが明らかになっていきます。
毎日更新を予定しています。
ブックマークや感想が、この物語を最後まで紡ぐための大きな力になります。
ぜひ応援いただけると嬉しいです。
ちび佐和子 女神との別れ〈AIイラスト〉