6. 愛の巣
「──ここ、今日からワタシとヨダカの愛の巣だから。お子様は速やかに出ていって欲しい」
「えぇ、っとぉ……」
なにを言い出すんだこの女は。
私の顔から上体を離し、でもまだ腕は回してくっついたまま、アイサが周囲を見回します。
「ワンルームだけど広くて快適。巨大な鳥の巣のような寝床。ヨダカの羽毛でもふもふ。まさしく愛の巣と呼ぶに相応しい」
「がぎゃらりゅぅあ」
ただデカいだけの洞窟をワンルームっていうのやめなさい。
「お風呂とトイレがないのは困るけど……まあ仕方ない」
「ぎゅぅうらりゅぅりゅる」
仕方ないで済ませていいところじゃないでしょうがよ文明人。あと、ちょっと奥いったところに泉みたいなのあるから。どういう仕組みかずっと濁りも枯れもしないやつが。私、あれでちょいちょいカラダ洗ってっから。
「じゃあなおさら問題ない。ここで二人、静かに過ごそう。スローライフってやつ。モンスターは上で無限に湧いてくるし」
〈なんかすげぇこと言ってる〉
〈ここをキャンプ地とする!〉
〈キャンプどころか永住する気満々なんだよなぁ……〉
〈思い切りの良さがエグい〉
〈必死に逃げてきた女の子に欠片も同情してないのもエグい〉
視聴者たちも、そしてもちろんコヒナちゃんも困惑しきり。
そんな小さな女の子へと、アイサはもう一度視線を向けました。すんごい冷めたやつを。
「この死体どもは『鴉』なんでしょ? しばらくはもう、大した追っ手もこないんじゃない? 」
「そう、かもしれません。けど……」
「けどなに」
「わたしとしては、その、庇護してくださる方を探していますので……実働隊が全滅したとしても、機関そのものはまだ存在していますし……」
庇護者が見つからないことには……というのがコヒナちゃんの言い分。一人で上の層に放り出しても竜人やらなんやらに殺されかねないというのは、すでに分かりきっているし。
「じゃああんたが死なない程度の層まで連れてってあげるから、そこでパトロン探しでもなんでも好きにやって」
「不用意に上層にいけば、それこそ機関の予備部隊に捕まってしまう可能性が……」
「知らない。ワタシたちがそこまで面倒見る義理はない」
「そ、れは……そうですが……」
困った顔をするコヒナちゃんにも、アイサはまったく同情する素振りを見せません。
いい歳した女が小さな子供相手にここまでムキになるとは。やはりどっかしらおかしくなっちゃってません?
〈……やっぱアイサ若すぎない? 見た目も言動も〉
〈老化抑制つったって限度があるだろ〉
〈単騎で『竜巣』の底までいけるレベルだとこんなもんなのか……?〉
〈いやガワもだけど中身のほうが、その……〉
〈うん、四十◯歳の言動ではないわな〉
〈若いってか幼い〉
視聴者たちも同じことを思っていた様子。
……一応、二十年前の時点で『羽鳥』の研究者たちが、ダンジョンの探索やスキルの行使を続けていくほどに──つまり体内の生体魔素比率が増えていくほどに、肉体の老化が抑制される可能性があるとかなんとか言ってましたけども。
コメントを見るに、一般的にもなんかそういうのがあるっぽいとまでは知られているようですけども。
でも、にしたってアイサのそれは異常です。二十余年の老化が数年分程度に抑え込まれている。なによりも内面。元々、歳のわりの幼いところはありましたが……それがほとんど変わっていないというのは、異常と呼ぶほかないでしょう。
「魔素由来の著しい肉体保持はそのまま精神にも影響を及ぼす……らしいよ。ほら、研究主任が言ってた」
あーあの人が。うわ、なんか急に納得感でてきた。
「あとはまあ、ヨダカがいなくなったショックも大きいかも。うん、多分そう。絶対そう」
「ぐ、ぎゅ……」
くっ……冗談めかして言ってますが、あながちあり得ないとも言い切れないのがアイサという女。
「ふふ……」
なんで嬉しそうにしてんだこいつは……!
「こうして再会できたから全部水に流すけど、でもヨダカがワタシの“傷”になったことも事実。それをヨダカはいま噛み締めている。ワタシは嬉しい。これくらいの仕返しはしたって良いよね」
「んぎゃぃ……」
〈ワ……ァ……!〉
〈なーんかジメジメしてきたっすねぇ……〉
〈ヨダカさんの表情よ〉
〈自責の念にかられるドラゴンてこんな顔するんだ〉
〈うっ♡ ちょっと曇る♡〉
〈怪奇! ドラゴン曇らせ愉悦女!!〉
〈まぁダンジョンの最奥なんて暗くてジメジメしてそうなもんですし〉
視聴者どもはまた無責任にはしゃいでやがるし。
……ってかずっと配信続けてるけどスマホのバッテリーとか大丈夫なんですかね。時間どれくらい経ったかはよく分かんな……あ、配信時間十二時間超えてる……え、あ、ダンジョン内の魔素を利用して勝手に充電される? マジですかなにその超技術。二十年の歳月すごい。
「ヨダカ、こっち見て。余所見しないで」
あ、はい、すいません。
「うん。話を戻すけど、ワタシの場合はスキルそのもので自分の体に干渉してるっていうのもある。ワタシのスキルはもう、二十年前のヨダカと同じクラスまで拡張されてるから」
つまりクラス.Ⅴ……全ての強化措置を完了してるというわけか。二十年前と変わっていなければ、ですが。うんまあ、残党どもの体たらくを見るにそれ以上の研究進展はなさそうですけども。
〈えー、なに言ってんのかよく分かんないです〉
〈クラス?〉
〈なんぞ〉
〈さらっと知らんワードでてきたが〉
おっと、視聴者たちが置いてけぼりをくらっている様子。
……いやべつに、こいつらに気を遣う義理もないんですけどね。私がなにをする間もなく、コヒナちゃんが口を開いてくれました。配信者精神ってやつでしょうか。
「──あ、えっと、クラスというのは『羽鳥機関』内でのスキルの強化・拡張度の段階を表すもので…………いえその、少なくともわたしの知る『羽鳥機関』では、クラス.Ⅴなんて候補者はおろかその強化措置を実行できる研究者もいなかった、過去の栄光みたいなものですけど……」
「機関の主幹職員たちは、解体時に厳罰に処されている。とても研究なんてできる状況にはないはず。今の職員たちはおそらく、木っ端も木っ端」
「な、なるほど……」
「見た感じ、コヒナは良くてクラス.Ⅳといったところ?」
「はい、えと、措置自体はクラス.Ⅳの80%まで完了しています……その成果を確認するための実地訓練の最中に……」
逃げたってことか。モンスターの思考が読めるのなら、襲ってきたところをうまく誘導して職員らを撹乱する……なんてのもできそうですし。で、そんな離反を許してしまう辺り……
「やはり今の『羽鳥』は所詮、不出来な残党」
「がぎゅ」
アイサの言葉通り。
元来の『羽鳥機関』は、世間様の言う倫理観だのなんだのはともかくとして“能力保持者の能力を極限まで引き出す。どんな手段も厭わずに”という思想は強固かつ一貫していて、そのために全力を尽くす組織だったことは間違いありません。
私だってもちろん、機関に感謝してるだなんてほどではないですけど。でも払った代償に見合うだけの力は得られたと、納得はしています。お陰でドラゴンを倒すこともできたわけですし。
それが今の『羽鳥機関』ときたら。技術は失われ、被検体を満足に育てることすらできていない。なんというか……
「十年前に解体された時点で、ワタシたちの知る『羽鳥機関』は消えてなくなった」
「ぅりゅぁぅ……」
みたいですねぇ……
「……あの」
と、アイサと二人で哀愁に浸っていたところ。
「お二人は、その……機関を恨んでいたりはしないん、ですか……?」
コヒナちゃんからそんなことを聞かれました。不思議そうというか、それこそなんだか別の生き物でも見るような目を向けてきています。
「“被験者ではあるが被害者ではない”というのがワタシの認識。ヨダカもそう」
「うぎゅ」
「けど、あの……お二人も、わたしと同じような目に遭った、ん、ですよ……ね? 実験とか、投薬とか……厳しい訓練とか……」
「一緒にしてもらっては困る。クラス.Ⅳ程度の措置なんてどれも、ワタシたちが受けたものとは比べ物にならないほどヌルい」
「えぇ……」
マウントを取るなマウントを。四十◯歳が十歳そこらの子供に。私以外のやつからすると普通に痛キツい女ですからねあんた。
〈強化実験マウント〉
〈不幸マウントの最強版みたいなやつ?〉
〈本人は不幸だと思ってなさそうなので……〉
〈じゃあシンプルに能力マウントか〉
〈アイサ、もしかして性格が悪い〉
〈見りゃ分かる〉
ほれみろいわんこっちゃない。まあ本人はまったく気にしていない様子ですが。
ほんの少しのあいだだけコヒナちゃんに向けられていたアイサの視線が、またすぐに私のほうへと戻ってきました。
「ともかく、二十年前のワタシはまだ発展途上だと判断されていた。だからヨダカと一緒に行けなかった。でももう違う。今のワタシは、竜になったヨダカにも相応しい」
……ああ、うん。まあ、言わんとすることは分かります。
クラス.Ⅴに到達したのであれば、アイサのスキルは恐らくもうやりたい放題の好き放題でしょう。『羽鳥』の残党どもの死に様も、私にすら感知できなかった生体魔素の希薄化も、彼女の力の本質を鑑みればなるほど不可能なことではない。
今のアイサはきっとドラゴンとも渡り合える……つまり、かつての私と同じステージにまで上がってきている。
「……ぐゅう」
……それでも。それでもやはり、私と彼女はドラゴンと人間。べつの存在なんです。
「……ヨダカがなにを気にしてるのかは分かってる。寿命とかそういう話でしょ」
ええはい、それも大きな懸念点です。
いくらアイサが加齢に抗えるのだとしても限界はあるはず。一方の私は、どれだけ生き続けるのか想像もつかない。このダンジョンという場所で、モンスターの体を得た私には、下手すると寿命という概念すら存在しないかもしれない。
単純に、アイサが目の前で死ぬのは見たくないんです。それを見届けたあとに、独りで生き続けるだなんて。
「うーん……その辺が気になるっていうんならべつに、ワタシが死ぬときにヨダカも一緒に殺してあげてもいいけど……」
〈ヒェッ〉
〈さらっと怖いこと言わないで〉
〈二十年熟成するとこうなるんですねぇ〉
視界の端でコメントがまた賑やかになった気がしますが、内容が頭に入ってくることはありません。それよりもアイサの言葉が、視線が私を引き寄せる。
「ヨダカはそれ以外にも色々気にしてる。生態の差。体の大きさの差。時間感覚の差。あるいは……そうだね、ヨダカ自身の精神が、これから生きていく上でよりドラゴンらしく変遷していく可能性。そういうのがワタシを苦しめると思ってる。だからまた突き放そうとしてる」
全部全部見透かされていて、だからこそでしょう。アイサはまったく引く様子がない。むしろ私を安心させるように、声音は柔らかく穏やか。
「大丈夫。そういうの、まるっと全部解決する方法がある」
「ぎゅぁ?」
んな都合のいい話が……という気持ちと。アイサに縋ってしまいそうになる気持ちがせめぎ合う。
さっきからずっとそう。アイサと一緒にいたいと、気を抜けば吼えだしてしまいそうになる。いやだって、再会なんてしちゃえば、そりゃこうもなりましょうよ。私からプロポーズしたんですよ?
「配信見て、ヨダカの話を聞いていてすぐに思いついた」
アイサはそんな、私の弱いところすらも包み込むように、小さく微笑みかけてきました。
「──ワタシも、ドラゴンになればいい」