5. ヨダカとアイサ
「……ぅぎゅ──りゅ!?!?」
んで抱きつかれました。
顔面というか鼻先というか、まあとにかくその辺りに。
「ヨダカ。いきてた、本物だ、よかった。よかったぁ……」
相変わらず抑揚に乏しく、けれども万感の想いが込められていると分かってしまう声音。それが僅かな隙間も挟まず、アイサの口から私の顔面へと直接塗りたくられていく。
もう二度と触れることの叶わないと思っていた彼女の肌、彼女の吐息。彼女で埋め尽くされた視界がぐらぐらと揺れていて、いやそれは私の頭の中が揺れ動いているだけなのかもしれなくて、とにかく、なんだろう、落ち着かない。
てかめっちゃいい香りするなこいつ。え、こんないい香りしてたっけ? ……あーいや、してたわ、あー思い出してきた。
「ぅ、ゅ……」
動画を見たときなんかとは比じゃないくらいに、私の全部が彼女で埋め尽くされていく。
困りました。まだ私は彼女が好きなんです。二十年ぽっちじゃ全然、消化できちゃいないんです。好きだから突き放したんです。そのつもりだったんです。
「……ヨダカ? どうしたの、感動のあまり声も出ない?」
なのにこうやって会いに来られては。なんにも変わらない手つきで抱きしめられては。その、とても困る。
だから私は、まかり間違っても噛んでしまわないように気をつけながら、どうにか口を開きました。
「るるぅれぎゃう」
なにしに来たの、と。なるべく冷たく、そっけなく聞こえるように。
コヒナちゃんが、この冷たさまでしっかり訳してくれるように。
……だけども。
「勿論、ヨダカに会いに来た」
ああやはり。恐れていた事態です。
アイサは通訳なんて挟まなくとも私の言葉を、いや意思を読み取ってしまう。人間時代からそうだった。目を見るだけで彼女は、私の考えを見透かしてしまう。それは私が竜に成り果ててしまっても変わらないようです。
「そうやって目を逸らしても無駄。二十年前に思い知らされた。ヨダカが目を逸らすのはワタシのため。本心を隠して、ワタシを傷付けてでもワタシを守るため」
はい、恐れていた最悪の事態です。
見透かされている。私が二十年前、ドラゴン討伐の直前に彼女を突き放した、その真意を。
ああいや、理由なんてありきたりなものなんです。私は討伐隊の隊長となり、彼女はその隊に選抜されなかった。私は任を伝えられた直後には自分の死を予感し、だからアイサが私への想いを捨てるように、恨むように、死んで清々したと思うように、彼女をなじり傷付けた。死地に赴くその前に、私たちの縁を断ち切った。
自分が置いていかれた先で嫁が死ぬ悲しみよりも、信じてた嫁にこっぴどく捨てられる悲しみのほうが、まだマシだろうと思って。
当時の私には、それしか考えつかなかったんです。私たちは狭い世界での中で、お互いに依存しすぎていたから。
ああ思い出す。
「前々から、あんたのこと面倒くさいと思ってたんですよ」「利用価値があると思って結婚までしてやったってのに」「ドラゴン討伐にも選ばれない程度の能力で私と婦婦だなんて」「いい年してそのガキの頃のままの喋りと性格。イライラする」「幼馴染だからって我慢してましたがもう限界です」
全部、彼女の目を見ずに突きつけた言葉です。
視線を交えれば心が通ってしまう。それまでの私はそのことをなんの苦だとも思っていなかった。だからこそ目を逸らすというシンプルな行為が、アイサにはよく効いた。目も合わせたくないほどに嫌っていると、そう思わせることができた。
泣き崩れる彼女にペンを握らせ、離婚届に名前を書かせた。懐かしい。死にたくなってきましたね。
……で、そんな仕打ちをした私を、それでも今アイサは抱きしめている。つまりそういうことです。
「大丈夫、もう全部分かってるから。ヨダカが帰ってこなくて、死んだって聞かされて、それでようやく気付いた。察しが悪くてごめん。心にもないことを言わせてごめん」
「ぐゅ……」
「離婚なんてなかった。ワタシたちはずっと相思相愛。婦婦のまま。そうでしょ?」
思わず頷きそうになってしまいます。私もアイサも生きていて、こうして再会できた。愚かな私をアイサは許してくれた。ならもう、元鞘ってやつでいいんじゃないかと。私の中の(アイサ限定で)流されやすい部分がそう囁いてくる。
「ぐ、ぎゅら……っ」
「……ヨダカ?」
……い、いやいやしかし、だけども。そういうわけにはいかんのです。
そりゃ生きてるっちゃ生きてるけども、だって私はドラゴンで、アイサは人間なんですから。なにもかもが、生き物としてのあらゆるスケールが違い過ぎるんです。彼女をモンスターのそばに置くわけにはいかない。
だから私は突き放すような態度を変えない。たとえ見透かされているのだとしても。
「らりゅぐりゅら、りゅぎゅりゅりぅぐ」
なに言ってんのか分からない。私たちは婦婦じゃない。別れたまま。
「は?」
ひぇ。
い、いや私は負けない。
「ぎゅーりゅあぅらりゅぃ、うぎゅる、うぎゅら、らぎゅあーっ」
今さらあんたの顔なんか見たって尾の先ほども嬉しくない。てかくっつかないでくれます? 鬱陶しいんですけど。
「……ヨダカ、嘘は良くない。今のヨダカはワタシに抱きつかれてとても喜んでいる」
「りゅぎゅりゅりゅりゃっ」
「ワタシには分かる。その証拠にほら、スキルがちょっと漏れてる」
「ぎゅあっ!?」
嘘ぉっ!? あっほんとだヤベっ……!
「ふふ、ヨダカは昔っからそう。ワタシ相手に嬉しい気持ちが高ぶるとパチパチしちゃう。初めてシたときなんかずっとスキルが漏れ出してて、部屋中がぼろぼろになったよね。懐かしい」
「んぎゅるぅぅううう……!!!」
〈あー……〉
〈なんか周りでパチパチ電気弾けてんなとは思ってたけど〉
〈これ“嬉”が漏れてたんすね〉
〈嬉ションみたいなもんかぁ……〉
〈てことは婦婦とかその辺の話全部マジなのか〉
〈いやまさか妄言じゃなかったとはなぁ〉
〈ドラゴンネキ、こころなしか顔も緩んでる〉
〈ドラゴンネキ、初夜で嬉ションだばだば♡パチパチしあわせ百合セックスしたってマジ?〉
〈可愛いね……〉
──な、あ、そうだ、配信ずっと繋がったままだった……!
コメントだばっだば流れてやがる。くそっ散れお前ら、見せもんじゃねーんですよっ!
〈あ、ワイらのことはお気になさらず……〉
〈あっしらはただご婦婦を眺めてるだけですので……〉
〈おいどん達はその辺を漂ってる魔素とでも思ってもろて……〉
〈わたくしどもは無視してどうぞ存分に再会を祝ってくださいまし……〉
〈惨い死に方した羽鳥の方々もう誰も覚えてない説〉
〈まだ死体というか腐った溶けあと? みたいなやつがちょっと見えてんすけどね一応〉
〈百合のあいだに挟まった末路があれかぁ……〉
〈挟まったっていうか百合側が挟撃してきたっていうか……〉
一時はドラゴンにビビり散らかしていたはずの視聴者どもが、いまや生暖かい視線すら感じる態度でコメントを垂れ流してきやがります。なんか悔しい。
「……ヨダカ。こんな有象無象どもなんて視界に入れなくていい。ヨダカはワタシだけ見ていれば良い」
くそっこいつはこいつで様子がおかしいというか、突き放したつもりが余計に私に執着しちゃってるような気がする……! そういう、っ、あーもうそういう態度で来られると流されそうになっちゃうからやめてほんとに! 私ドラゴン、あんたニンゲン、婦婦チガウ!
「……? べつに関係ない。種族とか、そんなに大事?」
大事でしょうがよっ。
「うーん……」
ぎゅるらと吠えても、アイサの態度は変わらない。
小首を傾げる仕草が可愛くて腹立つ。性格それ自体は昔と変わっていないし、ほんとに四十◯歳かこの女? いやたぶん良くないことだとは思うんですけども。見た目も中身も、明らかに年相応の成長ができていないってのは。あーでもくっそかわいい……
……なんていう私の悶々とした内心も全部見透かされてると思うと悔しい。でもちょっと嬉しくもなってしまうし、それがまたさらに悔しい。葛藤。
とか考えている少しのあいだに、アイサはなにやら得心がいったというように頷きました。当然ずーっと抱きついたままなので、デコをぐりっと押し付けてくるような感じでしたが。
「──分かった、大丈夫。ワタシは相手がヨダカなら、ドラゴンとでもセックスできる。むしろヤりたいまである。ヤろう」
「んりゅ、ぎゅあ!?」
〈!?〉
〈!?〉
〈!?〉
〈なんて?〉
〈つまり……ドラゴン百合セックス?〉
〈ドラゴン百合セックスだな〉
〈ドラゴン百合セックスですわね〉
〈オイオイオイ始まるわ人類〉
〈サイズ差えぐいけど大丈夫そ?〉
「ぎりゅぅあぁ……」
なにを言い出すんだこの女は。
まぐわいのことしか頭にないんかァ?
「そういうわけじゃない。でも婦婦の営みは大事。ヨダカはワタシとのセックス大好きだったから、その辺を気にしてるのかなって」
やめろや人を色狂いみたいに言うの。
〈あらまぁ聞きました奥様?〉
〈【朗報】ドラゴン、性欲が強い〉
〈いやドラゴンってかヨダカネキ個人の話なんすけども〉
〈性事情がどんどん暴露されていくヨダカネキの明日はどっちだ〉
〈ドラゴン百合セックスに理解のあるパートナーで良かったねヨダカさん〉
あーもうほら、視界の端で視聴者どもが荒れ狂っておるわ……
〈しかしこのアイサとかいう女、さっきからあけすけに過ぎるな〉
〈いや我らは楽しいですけど〉
〈この配信の本来の主が空気なんだよなぁ〉
〈そも幼女に聞かせるにはいささか刺激的なお話〉
……あ、そういえばコヒナちゃんは?
「……あ、あの……えっと……」
めちゃめちゃ気まずそうに、私の腹の下で小さくなっていました。
んでアイサのほうもようやく、コヒナちゃんに視線を向ける。一瞬で冷めた眼差しになっちゃいましたけども。