4. リア凸
「あの、こ、こっちに着くって、これ……」
「ぐゅ……」
コヒナちゃんと二人、顔を見合わせます。まさかこのダンジョンに潜っている? いやしかし──
「──がぅあっ」
「ぇ、上っ……!?」
不意に、思考を遮るようにして、力場の揺らぎが頭上高くに生じました。
見上げた先にある相転移膜が、鈍虹色のヴェールがゆらめき、なにかが下りてこようとしています。コヒナちゃんと同じく突然に現れたその気配たちは、おそらく人間のもの。それも一つではない。
「っ、あ、あれ、は……っ!」
こちらが身構えるうちに、それらはついに相転移膜を通過して姿を現しました。皆一様に同じローブを纏った、統率の取れた人間の集団。
空中に身を躍らせたそいつら──一瞥した限りでは二十には満たない頭数──のうちの六人が、そのまま私へ雨のように降り注いできます。
「ぐるっ……!」
顔はなにやら仮面のようなものに覆われていて見えませんが、向けてくる殺意は剥き出しです。なればこちらも容赦は不要、角を掲げて発火と放電を引き起こし、向かい来る六人の撃墜を図ります。
「──っ」
そのうちの誰かの、あるいは数人の吐息が聞こえ、半数が空中で身を翻し退避していきました。逃げたそいつらは大したダメージもない様子。
逃げなかった残り三人に至っては、ローブに火がついていることなど気にも留めずそのままの速度でこちらへ突っ込んできます。どうもかなり良い物を着ているようです。まあ、瞬間的な出力ではこの程度というのもありますが。
「るぎゃぅあっ」
なにをしてくるのか分からない以上、組み付かれるのは良くないでしょうか。
私は四足で地を踏みしめ、背中の翼を大きく羽ばたかせました。猛禽のそれにも似た私の竜翼、そこから発せられるのは当然、ただの暴風なんて程度ではない。周囲の魔素をも取り込んだ、私の意志を体現する指向性を帯びた嵐のようなもの。地に足もついていない人間三匹程度、退けることができます。
「ぅあ、っぷ……!」
飛ばしてしまわないよう足元に匿っていたコヒナちゃんまで、小さな悲鳴をあげてしまいましたが……ともかくこれで、謎の輩にいきなり接触されることは防げました。
吹き飛ばされた三人はほかの人間どもと合流し、ローブの火をなにかしらの薬液で消火しています。あれも相当良い物使ってそうですねぇ。
……ともかくほんの僅か、睨み合いの時間が生じました。
「ぐゅる……」
襲われた身としてはさっくり排除してしまいたいところですが、しかし相手方の見覚えあるけどちょっと記憶と違う出で立ちに、少しだけ考え込んでしまいます。
七分袖七分丈な灰色のローブに、手足から首元までを覆う黒いインナースーツ。細部は微妙に違いますし、なによりカラスを模してるっぽい変な仮面にはまるで覚えがないですが……しかしそのシルエット、あるいは雰囲気はよく知るものです。というか人間時代に私が着てたやつです。『羽鳥機関』は最深部探査部隊の隊服。
てか改めて見ても仮面だっさ。え、ダサくない?
「るぅぐりゅあ?」
「ダサ……? え、えと、とにかく……間違いなく機関の実働隊です……!」
コヒナちゃんも表情を硬くしています。
ということはまあ、一応は私の後輩に当たる感じでしょうか。OGに逆らうとは何事か! ……なんて、ふざけてる場合じゃないんでしょうけど。
〈マジすか〉
〈いやいやいやいや〉
〈急展開やめてもろて〉
〈ちゃんと事前にアポ取って〉
〈言ってる場合か!!!〉
〈こんな堂々と襲って来ることある?〉
〈いくらなんでもそこまでアホちゃうでしょ『羽鳥機関』〉
〈いやでも表の探索者でここまで下りてこれるやついるのかと〉
〈少なくともこの人数は絶対あり得ない〉
〈まぁーそれはそう〉
〈え、じゃあガチで『羽鳥』?〉
〈てか仮面ダサくね?〉
〈わかる〉
〈正直イケてない〉
視界の端に映ったコメント欄も随分と騒がしくなっていました。
顔は隠れているとはいえ、襲撃者たちの姿はばっちり配信に載ってしまっています。コヒナちゃんを回収しに来たのでしょうが、この感じだともう、秘密裏にとかそういう段階ではないのかもしれません。
っていうかスマホ、そこ危ないから下がりなさいこっち来なさい。ああいや私が一歩出るわもう。
「ぎゅらりゅあ」
「え、あ、はい……?」
顎の下にコヒナちゃんを匿ったまま一歩前進し、そのまま彼女にスマホを回収してもらいます。いやべつに壊れたって私には関係ない話なんですが、いやいやあれです、コヒナちゃんを誰かしらに押し付ける手段がなくなっちゃ困るのでね。
「──っ」
で当然、僅かとはいえ距離を詰めた私の動きを、『羽鳥』の者たちが見逃すはずもなく。
先程の六人も含めた全体の半数ほどが、左右に大きく展開しながら動き出しました。剣やらなにやらといった武器を持つ者もいます。残りの連中は後方から、遠距離攻撃系のスキルを放とうとしている様子。
最初の六人の感じからして、肉体にか装備にかは不明ですが、私のスキルに抗する細工が施されている様子。配信も見ていたでしょうし、なにより『羽鳥機関』であるならば私の──羽鳥 ヨダカのスキルに関する情報も持っていて当然でしょう。
まあ一応これでも元最高戦力、おまけに今はドラゴンなわけで、出力を上げれば対策など貫通できる気もしますが……そうしたらそうしたでコヒナちゃんを巻き込んでしまいかねない。で、あれば。
「るぎゅぅうぐがぁっ」
物理でゴリ押す。本物の上位種の、竜の竜たるを示すのみ。
「──っ!?」
まずは正面から来ていた囮のつもりなのだろう三人を、左前足で叩き潰す。地面が揺れ、前足の下で肉の潰れる感触が。
攻撃されても避けられると思っていたんでしょうが……竜の体を甘く見すぎですね。サイズ相応の速度なんかじゃないんですよ。良い意味で。
「──く、思いの外早いぞっ」
見りゃ分かるだろうことを、誰かがいちいち叫んでいます。
竜の体は大きさと強さと速さの全てを兼ね備えている。手足も尾も、思いっきり振るえば残像すら見えるほど。それを知らずに絶命した三人を見て、残りの連中の体が僅かに強張りました。明確な隙、『羽鳥』の精鋭部隊と呼ぶにはあまり褒められたものではないですね。
まあそれでも、後方からスキルによる遠距離攻撃をしっかりと飛ばしてくるあたり、烏合の衆ではないようですが。
「ぐゅるっ」
真空波に氷の矢、もっと純粋なエネルギーの塊、そういったものたちが束になって、空いた正面から襲いかかってきます。力の性質からして素直な攻撃系スキル。であれば受けて耐えるで良い。
私は翼を大きく広げて、コヒナちゃん諸共からだの前面を覆いました。直後に被弾、痛みすらさほども感じず、ダメージは無と言っていいでしょうが……ほぼ同時に、左右に展開していた者たちが迫ってくる。私の視界が塞がったと、そう判断したのでしょう。
まあ確かに見えてはいませんが。ドラゴンの超感覚は、この至近にあって視覚以上に鮮明に敵を捉えられます。
「ぐぎゅらぁっ」
翼を構成する無数の羽根、それらひとつひとつを魔素でコーティングし、羽ばたきとともに広範に射出します。いや全部は飛ばしませんけどもね、禿げちゃうので。
羽根とはいってもサイズがサイズ、一枚で人間の子供くらいの大きさはあります。そんなもんが硬化した状態で高速飛翔するとどうなるかというと──
「ぐごっ」
「がっ」
そうですね、人間の体くらい千切れ飛びますね。
至近に迫っていた六人ほどは原型も留めずに絶命し、距離を取っていた残りの一団も半数ほどがダメージを受け、陣形が崩れていきます。コヒナちゃんは私の腹の下まで退避しているので安全。
「ぐ、くそ……!」
これで残った頭数は半分ほど、戦闘可能な人数で言えばそれ以下。なんというか、私が部隊長やってたころと比べると悲しいくらいに質が落ちているんですが。少なくとも私がドラゴンと対峙したときには、こうも容易く脱落する者はいませんでした。
「回復を急げ、防壁もだっ!」
リーダー格らしき男、とりあえずあいつだけ生かして残りは殺ってしまいましょう。
もとより先に殺意を向けてきたのはあちら。それになにより、私はとてもがっかりしています。倫理もなにも投げ捨てたかわりに確かな強さが得られるのが『羽鳥機関』であったはず。なのになんですかこの体たらくは。残党というにも弱すぎる。仮面はダサいし。
コヒナちゃんは実験・投薬に耐えられず逃げ出したそうですが、そりゃ、こんな程度の成果しか出ない上にダサい仮面被らされるとあっちゃ納得です。リターンがまるで釣り合っていない。
「がぅ」
というわけでもう一度、羽根を射出する構えを取ります。防壁がどうとか言っていましたが、それごと貫きましょう。防いでくるのならそれはそれで、まだ期待を持たせてくれるというものです。
散開は無意味だと先の一幕で理解しているのでしょう、一塊になって多重の障壁を展開する『羽鳥』の者たち。今度は視覚で狙いを定めて──そして私は、気づきました。頭数が一人増えている。いえ、増えていることに今の今まで気づかなかった。
「えい」
「っ!? なん、ぐあぁあああっ!?」
その新たな一人、仮面をつけず、これこそ私のよく知る隊服を身に着けた女が手近な二人の肩に手を置けば、まるで溶解するようにしてそいつらの体が崩れ落ちていく。
「なにが、どこ、かっ──」
『羽鳥』の者たちはもとより、私にも全く気取られずに姿を現した女は、そのまま次々に残りの連中を片付けていきます。手が触れるだけで体が溶け崩れていくその様子は異質というほかなく、突如背後から襲われた当人らは事態を飲み込むことすらできていない。
「……ふぅ」
恐らくはほんの数秒。
ごく短い、戦闘とも呼べない時間ののちには、リーダー格の男も含めた全ての者が原型も留めずに死んでいました。
「……な、んですか、あれは……」
私の腹の下で、コヒナちゃんが怯えたような吐息を漏らしています。
ですが彼女に声をかける余裕は、今の私にはありませんでした。
未知の能力。これだけ近くにいても、異様なほどに希薄な気配。
けれどもなによりもよく知った、ただの一度も忘れたことのない顔。
「──久しぶり、ヨダカ。本当に、本当に久しぶり」
薄く微笑みながらその女が──かつての私の伴侶、羽鳥 アイサが駆け寄ってきました。