3. 元妻
『『竜巣01』ドラゴンの妻です。真実をお話します』
「ぅぎゅぅううりゅ?」
なぁにこれ?
……って思ったのはほんの一瞬のこと。
すぐにも再生が始まり、抑揚に乏しい女性の声が聞こえてくる。
よくよく聞き馴染んだ、そしてもう二度と聞くことはないと思っていた声が。
「──どうも。皆さん始めまして。いま巷で話題になってる『竜巣ダンジョン01』最深部のドラゴン、羽鳥 ヨダカの妻アイサです」
その画面に映った女性、二十年経ってるはずなのに思い出の中の姿から五、六歳程度しか変わっていない彼女は、タイトル通り紛れもなく私の妻でした。
忘れるはずもありません。竜になりダンジョンの奥底に縛り付けられ、なにもすることがなくなった私が見る夢は、いつも決まって彼女との過去だったから。
…………いや、正確には“元”妻なんですけども。『竜巣』潜る直前に別れましたし。それこそ、ひどく傷ついた様子で嗚咽を漏らしながら離婚届に名前を書く彼女の姿だって、今でも鮮明に覚えています。やべ、吐きそうになってきました。
「もう一度言います。妻です。婦婦です。めんどいしもうタメ口でいっか。いいよねヨダカ」
だというのに彼女は──アイサは、そんな出来事なんてなかったかのように、私たちが婦婦であることを強調しています。てか話しかけてきます。無表情ながらもじっとりねっとりとした紫陽花色の眼差しは、まるで私個人を見つめているかのようです。これ動画だよね?
画面の中のアイサは、外見年齢は二十代後半かそこらに見えます。実年齢は四十代も半ばを過ぎてるでしょうに。
「今回はヨダカの妻として、コヒナとかいう子と、あの配信を見てる人たちに伝えたいことがあって動画を取ってる」
テロップもなにもない急いで撮ったことが丸わかりな動画の中で、普通のTシャツを着て佇んでいるアイサ。
腰まで伸びた長髪も、淡藤とも灰ともつかない紫煙のようなその薄色も、記憶の中の、私を魅了してやまない彼女そのままでいっそ怖いくらい。まるで、彼女の時間が正常に流れていないかのようで。
「──本人も言っていた通り、彼女が解体前の『羽鳥機関』被検体の一人であり、当時の最深部探査部隊『鴉』の部隊長、羽鳥 ヨダカであることは間違いない。これがその証拠。ワタシの妻という証拠でもある」
やがてアイサは、淡々と語りながら一枚の写真を画面に見せつけてきました。
よほど大事に保管してきたのでしょうか、もうずっと前に撮ったはずのそれは、黄ばみも色褪せもほとんどない一枚。だからこそ、映った二人の女性──ウェディングドレス姿の私とアイサを真ん中から引き裂くように破られたあとが、それをテープで繋ぎ直したあとが痛々しい。まあ破いたの私なんですけどね。あ、なんか胸のあたりの毛がモサッと抜けた。ストレスかな?
抜けた毛を前足で踏み踏みして寝床に加えつつも、私の意識と視線は動画から離れてくれない。
確かに、写真に映る人間時代の私の毛髪は、今の私の羽毛っぽいもふもふと同じ色をしています。瞳の色も、まあ目つきも同じといえば同じかもしれません。
いや、それを指して「『竜巣01』ドラゴンが二十年前に姿を消した自分の妻である証拠だ」なんて、変わらず表情に乏しい顔でのたまう様子は、はたから見れば頭おかしい以外の何物でもないですが。
「──そう、ワタシとヨダカの馴れ初めは五歳のころ、『羽鳥』の孤児院で同じ部屋割りになったのがきっかけだった」
うわぁなんか語りだした。
「──ワタシたちは同い年で馬も合ったから、初期段階の強化措置を受けるときも大抵セットで扱われていた。あの時の研究者たちは見る目があった」
「──ヨダカは飛び抜けた可能性を秘めていて、そしてワタシも彼女と同じくらい期待されていた。つまりヨダカに相応しいのはワタシだけ。今も昔も。これからも」
「──やがてスキルの系統ごとに措置が変わっていっても、ワタシたちの仲は変わらなかった。いやむしろどんどん近くなっていった」
「──“今日はこんな措置を受けた”“今日はこんな新薬を試した”って、毎晩寝る前に話すのが楽しかった。そう、十六歳になってもワタシたちは同じ部屋、特別待遇の二人部屋だった。当然ヤることはヤっていた。年頃の幼馴染同士が密室で二人きり。なにも起きないはずがない」
「──籍を入れたのは二十歳のとき。式は挙げられなかったけど、ドレス着て写真は取れた。さっき見せたやつ。『羽鳥機関』もワタシたちの愛は認めざるを得なかった。それから──」
…………なげぇ。
動画時間の半分以上を使って、アイサは私との思い出をだばだばと垂れ流していきました。それだって語り足りない、けれども他にやるべきことがある──そんな、どこかそわそわとした態度(私にしか分からないだろうけども)で話を切り上げてくれたおかげで、そこまで長い語りにはならなかったけれども。
「──とにかくそういうわけだから。正直『羽鳥機関』の残党云々はどうでもいいけど……ヨダカに、ワタシの妻にちょっかいかけたりしないでね。コヒナとかいう子も、配信見てる人たちも。ヨダカはワタシのだから」
そんな言葉で締めくくられて、三十分ほどもある動画は終了。
真実をお話します、なんて言いながらその内容の大半は私たちが婦婦であるという強い主張と思い出語りで、見た人のほとんどはなんのこっちゃら分からないだろうに、それでも再生数はガンガン増えていってます。
「……え……っとぉ……」
「ぎゅ」
「……奥さん、いらっしゃったんですね……」
〈草〉
〈ごめん、バカおもろい〉
〈いやどう考えても木っ端のいっちょ噛みなんだよなぁ〉
〈垢も作りたてっぽいしまあ売名やろな〉
〈にしてもだいぶハジケてる部類ではあるが〉
〈恐怖! ドラゴンとの思い出捏造女!!〉
〈馴れ初めから妄想してて笑っちゃったんすよね〉
〈妄想強度はかなり高めだった〉
〈そうやって甘やかすから鬱陶しい売名野郎がいなくならんのやぞ〉
〈思い出の大半が強化実験とか薬物投与とかなのはどうなんすかね……?〉
〈まあまあここはヨダカさんの見解を聞いてみましょうよ〉
視聴者たちはなんだか変な方向に盛り上がっているけど、正直私はもう、さっきまでの混乱なんて比じゃないくらい頭の中がこんがらがっちゃっててそれどころじゃない。
でも一つだけ確かな誤謬が、訂正しなければならない部分があって、それだけはイヤにすんなりと口をついて出た。
「ろれぎゃるぅあ」
「えっ……と?」
「ろれぎゃるぅあっ」
「あ、はい。あの、ヨダカさんいわく、その……“別れた。妻じゃなくて元妻”だそう、で……」
〈別れてない〉
コヒナが言い切るより早く、そのコメントは飛んできた。
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
「え、えっ?」
〈なんだこの連投!?〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈bot……いや手動っぽいなこれ〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈どっちにしろ荒らしウザすぎる〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈コヒナちゃんこいつブロックできない?〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈別れてない〉
〈邪魔すぎるはよキックしてー〉
〈別れてない〉
コメント欄がまともに機能しなくなってしまうほどの〈別れてない〉のラッシュ。いたずらというにも強すぎる情念を感じ取ったのは私だけではないようで、コヒナちゃんは連投してくるアカウントの詳細を開き見せてきました。
「あの……この方、今の動画の……ヨダカさんの奥さん? のアカウントです、よ?」
おずおずと、伺い立てるような顔でこちらを見てくるコヒナちゃん。
いや私だってどうしたらいいか分かりませんけど。え、なにしてんのあいつ。
そんな気持ちでもう一度、立体投影されたコメント欄に見やれば。ひとまずは止まったらしい〈別れてない〉爆撃に代わって一つ、目についた。荒れて追えないほど流れの早くなったコメントの嵐の中で、まるでその一つだけが、向こうから目に飛び込んできたみたいに。
〈もうすぐそっち着くから。待っててヨダカ〉
「……ぎゅぅあ?」
なんて?