想い出
ドリコム大賞さんに応募させていただくにあたって、過去に書いていたものを少しお試しのような形で投稿させていただきます。
初投稿ですがよろしくお願いします。
「ねぇ、君は死にたいと思ったこと、ある?」
突然、私の前に現れたそいつは口角を少し持ち上げながら私にそう問いかけた。
「あるに決まってんだろ。もし、私が死にたいと思ったことがなかったとしたら、こんな薄気味悪い場所に来るもんか」
そうだよねぇ、そいつはそう言ってケタケタと笑い出した。突然現れた怪しい奴の問いかけに応えているだけでも十分褒められていいはずなのに、なぜこんなに笑われているのだろうか。それにこんなにも“ケタケタと笑う”という文字の笑い方が似合うやつなんて現実に本当にいたのか。知らないやつに話しかけられたことよりも、笑い声のほうに驚いた。
私が、笑い方に驚いている間もそいつはずっと笑っていて、次第に驚きよりも不気味さが勝ってきて早く自分の目的を果たしてこの場から去ってしまおうと考え、足を持ち上げようとしたときそいつが突然表情を落とし、最初の薄い笑いを張り付けた。こいつ本当に気味が悪い。
「はー、笑った笑った。まぁでもそれもそうかぁ。辺鄙な村の中でも特に辺鄙なこんな場所にやってくるのなんて君みたいのか、見回りに来る腰が九〇度に折れ曲がった村長のお爺さんぐらいだもんねぇ」
じゃあなんでお前はここにいるんだよ。口からこぼれかけた言葉を飲み込んだ。こんな気味の悪い男と会話を続けることも、この場に立ち止まり続けることも、面倒に思えて今度こそ足を動かした。
私が動き出せば、そいつも私の後を追うように同じ軌道を描きながら動き出した。
「なんで私について来てんだよ」
本当に薄気味悪い奴だな、という表情を隠しもせず、わざわざそいつのほうに向き直って言った私に、そいつは口角をより高く持ち上げた。
「やぁっと、こっち見たねぇ。見えてるし、聞こえてるくせに無視するなんて酷いよぉ。僕はこんなにわかりやすく君にラブコールを唱えているっていうのにね」
一体今までの会話のどこにラブコールと受け取れる言葉があったのか、わかりやすく端的に教えてほしい。まるで、森の中にいる小鳥に話しかけるような甘い声で話しかけてきたそいつに、返答の代わりに深いため息を一つ投げつけて、もうこいつに何を言われても、こいつが何をしようとも関係なく私は私の目的を達成するために動こうと決意する。そして、先ほどまで自分が向いていた方向に向きなおすと、歩き始めた。
「ねぇ、君の目的の場所はその先にはないことわかっててそっちに進んでるの?」
前言撤回である。
「はぁ!? なんでそれを早く言わないんだよ!?」
「えー。だってそんな義理、僕にはないわけだしぃ……いっかなって」
ラブコールだのなんだの言っておきながら、全く薄情なやつである。
「で、結局どっちに行けばいいんだよ」
「君って変なところで素直だよねぇ。普通こんな奴の言葉なんて聞きもしないだろうに質問に答えてくれるし、見知らぬ僕が君の目的を知っていても気にしてる様子はないし、僕が言ったことをかなり信じてくれているっぽいしさぁ……。警戒したりだとか不気味に思ったりだとかしないの?」
聞かれた初めて気が付いた。確かになぜ私はこいつの問いにも応えたし、今も言われたことを素直に聞き入れようとしいているのだろうか。何より、こいつの言うように、なぜ私はこいつが私の目的を知っていることに対して疑問を感じなかったのだろうか。自分でも謎だ。どしてなのか、理論的なことはさっぱり頭に思い浮かばないが、強いて言うならば
「勘」
そう、勘なのだ。気味も気色も悪いこいつだが、声だけは信じられるものだったのだ。それは確かに私の中だけの基準であるわけだし、それをこいつがわかってくれるとも思わないが、こいつの声は私に、こいつ自身の発言を信じさせるだけの何かを持っていたのだと思う。
「で、道どっち」
自分は怪しい奴だとアピールしたはずのものを勘と言い切り、その上まだ道を尋ねる私にそいつは、一瞬だけぽかんとした表情になったけれど、すぐに先ほどまでの薄気味悪い顔よりももっと気味の悪い表情を張り付けた顔で
「あっちだよ」
と、指差した。
「そう。ありがとう」
端的にお礼だけを言うと私はそいつが指差した方向に歩き出した。
どれくらい歩き続けていたのかわからないが、かなり歩いてきたと思う。自分の中ではまっすぐ歩いているつもりでも、歩いている場所が場所なので時々道を外れてしまっていた。しかし、そんな時は私専用ナビゲーション、もといどこまでもついてくる気色の悪いあいつが正しい道を教えてくれていた。
専用ナビゲーションはかなり有能なようで、周りの景色がほぼ変わらないこの場所でも的確な道を教えてくれていた。道が全く分かっていない私がなぜ正しい道と断言できるかというと、ほぼ変わらない景色の中にも少しずつ存在する目印なるもののおかげである。目印があるのに迷うとは何事かと思われるかもしれないが、目印は目立たない上にわかりにくい場所につけてあり、目印間の距離もかなりあるため肉眼で見つけて歩くのは至難の業なのだ。
見つけた目印と話に聞いていた目印の個数が大体一致していることを確認し、もうすぐ目的地なのだと思うと心が躍った。そんな時あいつが突然私に尋ねた。
「正しい道と面白い道、どっちから行きたい?」
面白い道、とは一体どんな道なのだろうか。正しい道というのが目印に従った今まで歩いてきた道と同じような道であることはわかる。しかし、面白い道とは何をもってして面白いと言っているのだろうか。わからない。全くもってわからない、が故に行ってみたいとも思ってしまう。どうせもうすぐ終わってしまうのだから、最後の最後で少しはっちゃけてもいいかもしれない。
「その面白い道ってやつ、案内しろよ」
そいつはニヤリ、というように口角をあげると、道とは言っても獣道といえるような道を指差した。
獣道は私が思っていたよりもずっと綺麗な道だった。確かにいつだったかは覚えていないが、調べもの途中で獣道は意外と歩きやすいという記事を見たことはあったものの、正直嘘記事だなと思っていたので驚いた。獣道は脇道にいろいろなものがあって、確かにこれは面白い道だなと思った。何が面白いかとか楽しいかとか何一つ言語化できやしないが、ただ今の自分の感情が一般的に面白いと言われるものなのだろうということだけはわかった。
意外と回り道もいいものかもしれないと思ったその時、目に光が差し込んだ。足元に広がる面白さを拾うことに夢中になっていた私は、いつの間にか目的地に着きつつあったらしい。こちらの道に来てからというもの、道を伝える声がしなかったことに気づいて立ち止まってから尋ねてみれば
「この獣道がまっすぐ君の目的地につながっていることを僕は知っていたから、この道を君に提案したし、道から逸れない限りは何も言わなかったんだぁ」
ただそれだけぇ。そう言って口を閉ざしたそいつに、私に道案内するのが面倒になったのかと自己完結する。それならそうと言ってくれればよかったのに。いくら私が迷っていて、そこに都合よく表れた道のわかるそいつをナビゲーション扱いしていたとしても、案内するのが嫌になったと言ってくれれば、きっと、多分、もう案内しなくても大丈夫と突き放せたと思うのに。
たらればを考えはてみたけれど、現実として、こいつは私に道案内以外のことはほとんど言わなかったし、私自身もついてくるこいつに何も言わなかった。それが全てだし、それ以上もそれ以下も冒険の終幕が近づいた今となっては関係ない。そう思って私は光に向かって踏み出した。
開かれた視界に現れたのはまさに絶景というべき景色だった。まだ少し高い位置にある太陽が木の隙間から光を差し込み、それが足元に広がる水面に反射してキラキラと私の視界を彩っていた。少しでも間違えれば命の危機に晒されてしまうようなこの場所だから、この景色はこんなにも美しく彩られているのだろう。苦労してでもここまで来てよかったな、ふとそう思った。ここに来るという目的は達成したものの、私の最終目的はもだ達成されていない。本当ならもう少し日が落ちて景色が色づいてからのほうがよかったのだが、時間的都合も考えると……、
「今からやるのが一番いいか……」
意識せずそうつぶやき、手に持っていたカバンのチャックを開けた。カバンの中からそれを取り出そうしたその時、奇妙なまでに静かだったそいつが待ったをかけた。
「ねぇ、それ本当に今じゃないといけないの?」
突然何を聞くのかと思えばそんなことかと思った。無視してやろうかとも思ったけれど、ちらりと見えたそいつの顔があまりにも真剣で、ずっと張り付けていた薄気味の悪い笑みさえも消していたから、これはちゃんと話したほうがいいと思ってカバンを漁っていた手を止めた。
「今じゃなきゃダメさ。今を逃したらダメだって私の“心”が言ってるから。絶対に今を逃したくない」
「そう、なんだ……。じゃあダメだね」
何がダメなのか、聞くよりも先にそいつは動くと私の正面に回り込み、腕を掴むと私の足を払って押し倒した。突然の展開に頭が付いて行っていないが、この展開がまずいことだけはわかっていた。このままでは、私は今、この瞬間を失ってしまう。押し返そうにも相手の力が思っていたよりも強く、押し返すことも力を横に流すこともできなかった。力で押し返せないならと、そいつの顔をじっと見つめた。そいつは何故か息苦しそうな顔をしていて、思わず息をのんだ。
「なんで、あんたがそんな顔してんだよ」
す知り合って数時間程度でしかない、何も知らないはずのそいつのその顔に驚いて、気付いたら脳で考えた言葉がそのまま口からこぼれた出ていた。
「なんで……? なんで、だって? それは僕のセリフだ‼ あんなに、あんなに楽しんでいたじゃないか! 笑顔になっていたじゃないか! この景色にだって感動できるくらい、君の心はまだ、まだ生きているはずなのに、どうして……、どうして、まだ、死のうとなんてしているんだ……。僕はずっとここで自殺しようとする人を見てきた。その誰もが、僕と会話をしたりこの森の楽しさをわかってくれたりなんてしなかった。僕が大好きだったこの景色にだって誰も反応してくれなかった……。なのに、どうして唯一僕とも話をしてくれて、この景色の良さも分かってくれる人を見送らないといけないんだ……‼ 君は心の声が聞こえるくらいに生きているのに、どうして……」
悲痛な叫びが耳に、脳に、心に深く刺さって何も言えなかった。彼の言葉を否定する言葉も肯定する言葉も何も言えず、ただ抵抗の意思をなくした瞳で彼を見つめるしかできなかった。私が何も言わないせいか、もう何もかも吐き出さないと止まれないのか、そいつはまだ言葉を続けた。
「僕はもう誰も見送りたくなんてないのに、ここに来る人はみんな自分が死ぬことしか見えてないから結局僕は何も言えないまま見送らないといけないんだ……。でも君だけは違った。君だけは僕の声を、僕の姿を、認識してくれたんだ。ヒトと話すのはすごく久しぶりだったから、余計に色々話しかけちゃったけど、それでも君は声と表情で応えてくれてた……。だから僕は君に死んでほしくないって思って、楽しいことも美しいものもたくさんあるって伝えたのに、どうして君は止まってくれないんだ……。お願いだからもう止まってよ……」
私はやっぱり何も言えなかった。勢いに押されていることもあるかもしれないけれど、嘆きのような悲鳴のようなその声になんといえばいいのかわからなかった。ただ一言、わかった、もう死のうとはしない、と告げれば解決するのかもしれないが、それはただのその場しのぎでしかない。私がここに来た目的は確かに死と隣り合わせだった。最初に聞かれた質問に答えた、死にたいという言葉にも嘘があったわけじゃない。ただ、今回だけは、違ったんだ。これが私のきっかけになるかもしれなかったから、私を助けてくれたこの場所を選んだだけだったんだ。だからなのか余計に喉から水分がなくなってより声を出せなくなってしまった。早く私の思いを伝えなくちゃと思うほど喉が渇く。
「ぁ……わったしは……」
ようやく出した声も酷くかすれていて実際に喉がカラカラに乾いていたわけではなかったはずなのにおかしいな、とどこか自分のことを客観視する私もいた。私が声を振り絞ったことに驚いたのか、先ほどまでの彼の叫びは少し鳴りを潜めた。
「わたしは……ここに来たのは死にたかった気持ちも確かにあった。でもそんなことより、私は、ここの写真を撮りたかったんだ」
「しゃ……しん?」
「そう、写真。私は、ずっと私の人生の中で何をしたいのか、何をすればいいのか、わかってなかった。そうしてわからなくて探している内にだんだん生きることにもわからなくなってた。そんな時に始めたのが自殺の名所って言われた場所の写真を見ることだった。最初はただ自殺の名所って言われる場所がどんな場所か知りたくて、下見の意味も込めて見てたんだ。でもこの場所の写真を見て、かつて死んでいった人の思いを見た気がしたんだ。そしたら私はこの私の感情を誰かに伝えたくなった。どうやって伝えればいいのか、どうすれば伝わるのかまだ全然わかってないけど私はこの景色を伝えたい。知らない誰かに伝えたくなって気づけばカメラを買って電車に乗ってこの場所に来てた。ここの景色を実際に見て私はようやく私の生きる意味が分かった。私はここみたいな場所の写真を撮って、私の感情を誰かに届けることが私の生きる意味だって気づけた。だから今からやることは私の生への第一歩だ。」
「生への……だい、いっぽ……」
そいつはそう呟いて手の力を弱めた。私は掛けられていた圧が弱くなっている隙にその場をそっと抜け出しと再度カバンに手を突っ込んだ。
あらかじめ用意しておいた麻縄を円状に結んで、景色が背景に来るような位置の木に縛り付ける。ぱっと見これから自殺するような現場に見えるけれどこれでいいと思えた。買ったばかりのカメラを取り出して構えてファインダーを覗けば私が伝えたい景色がそこにあった。慣れない手つきのままシャッターを切って、覚えたばかりの手順で撮った写真を確認すると少しぶれてしまっていた。これはこれで味があるような気もするがせかっくなら綺麗に撮りたかった。同じ動作を繰り返すうちにこれだと思える一枚が出来た。初心者が衝動で撮っただけの写真ではあったけれど、私はこの一枚が好きだと思えた。
綺麗に撮れたそれにようやく満足できたので、先ほどから放置していたそいつの方を振り返った。起き上がって胡坐をかいていたそいつはふてくされたような表情をしていた。何に拗ねているのか見当もつかなかったがこいつは一応私が生きることを願ってくれていたのだから感謝の意は伝えておこうと口を開いた。
「ありがとう」
「なにがさ」
「私の生を願ってくれたことへの」
「あっそ……」
「なぁ」
「なに」
「またここに来てもいい?」
「……死ぬことが目的じゃないなら、いいよ」
「じゃあ、今度ここに来た時、お前の写真も撮ってやるよ」
「……写真映り悪いからヤダ」
「……映らないからじゃなくて?」
「……それもあるけど、でもきっと、君のカメラにだったら映るよ」
「じゃあ、やっぱり次きた時には撮影会」
「……僕のこと、撮って思い出にするなら、ちゃんと人物の撮り方学んでおけよ」
「きちんと勉強して最高の一枚を撮ってやるよ」
そいつは少し嬉しそうに私にこぶしを差し出した。一瞬考えてしまったけれど、すぐに荷物をしまっていた手を止めて私も同じようにこぶしを差し出した。
こつん、とぶつけ合ったこぶしが音を鳴らした。
ひと夏の思い出だった。