きんいろの密談
放課後、教室に誰もいなくなった頃、俺とカノンだけが自分達の机に座って携帯をいじったり、本を読んだりしていた。時刻は五時過ぎ。他の教室に生徒が何人か残っているんだろうなという気配は、廊下からそれとなく伝わってくる。
俺達は、そもそもお互いの席自体が近いので、どこかに集まる必要がない。
お互いにそう思っていたんだと思う。だから、特にどこで集合、といった約束は交わしていなかった。
ただ正直、俺は嫌だった。田辺の時もそうだったが、放課後誰かと、それも異性と一緒に居る所を、誰かに見られたくなかった。なにしろ思春期ですよ俺。
さすがにカノンと俺が恋愛でどうこうとか、そんな噂を立てる奴はいないだろうけど。
立てられた所で、誰も信じないだろうしな。
そんなのは美女と野獣。いや、美女と深海魚だな。うわ、なんかちょっとミステリアスな単語の組み合わせっぽい。こういう娯楽小説ありそう。
「おい、誰もいなくなったぞ。そろそろわけを話してくれよ」
「わけ?」
「俺に話があるとかって言ってたろ」
カノンは前を向いたまま、俺の話に応えていった。
「そうだね。木下くんてさ、前にこの学校にいた「田辺さん」って子と仲良かったんだよね?」
「なんで田辺の事、知ってるんだ?」
「私、木村さんから聞いたんだよね。田辺さんは、木下くんと仲良かったかもしれないって」
木村、カノンに何か余計な事を言ったんじゃないだろうな……。
「……で? 仲良かったらなんだよ」
「はぁ……。というか、木下くんって、コミュニケーション下手だよね」
「は⁉」
いきなり手厳しい意見をもらった。
「急に失礼な奴だな、お前」
「そのお前っていう呼び方、やめてほしいな。少し棘があって傷ついちゃうなぁ私」
「カノンさん」
「いや、カノンって呼んでって、自己紹介の時に私言ったんだけど」
「なんで呼び方を強制されなきゃいけねぇんだよ、カノンさん」
「さん付けなのに、言い方ぶっきらぼうなのおかしくない? あはは!」
前を向いてたから顔は見えないが、そのご尊顔をたぶん笑顔にしていた事だろう。
「これはぶっきらぼうなんじゃねぇよ」
「じゃあ何?」
「性格からにじみ出てんだよ」
「それ自分で言う……?」
「言わせてるんだけどな、おま、カノンさんが」
「お前って言い掛けたな」
「うるせぇよ?」
カノンは、すごくビジュアルに優れた奴だったが、話してみるとあんまり女の子という感じがしなかった。乙女チックな話し方ではない、というだけかもしれない。
意外とフランク……? カジュアル?
さっぱりしている印象だった。そんな彼女に、俺は少し拍子抜けしたのかもしれない。
もっと、ええ~そうなの~? とか、〇〇だわ! ××よね! みたいな、「だわよね口調」の女性語てんこ盛りな記号的女子かと思っていたからだ。
容姿がここまで記号的だと、先入観でカノンの性格や言葉遣いに至るまで、記号で埋め尽くしてしまいそうになる。
なんか思ってたのと違う。カノンは、そんな印象の女子だった。
「で、なんで俺が田辺と仲良いとか、そんな話になるんだよ」
「二人でさぁ、だいぶ前にパッションフルーツジュース飲んでたじゃん?」
「……」
カノンがこちらに振り返る。してやったり、みたいな生意気な顔をしていた。
「え、飲んでたっけ?」
「あ、っとと」
俺が完全に忘れていたので、カノンはこけそうなふりをした。それこそ、お笑い芸人とか、バラエティの出演者がお決まり事をするかのように。
席に座ったままこけそうなふりとか、器用だな本当。
「飲んでたんだよ。学校から少し離れたところにある「ウィリアム」って喫茶店で」
「そんな店だったかなー? 正直忘れてるからな。もう数か月も前だし」
「まぁ、それもそうだね~」
カノンは、うんうんと頷きながら言っていた。
田辺と喫茶店へ行った事は覚えている。けど、そんな名前のお店だったかまでは思い出せなかった。店内には客が誰もいなくて、人の気配もなくて、静かで、何かの音楽がかかっていた。そして店員も最初はいなくて、途中から出てきた。
俺が覚えているのはこの程度だ。今のところは。
「あと、二人でジュースは飲んでないな」
俺はきっぱりとそう言ってみせる。
「え? 覚えてるんだやっぱり」
「覚えてるわけないだろ。そうじゃなくて、その謎のなんたらフルーツのジュースを一緒に飲むほど仲良くないって話な」
「謎でもなんでもないけどっ」
カノンはくすりと笑っていた。
「で、その店が何なんだよ?」
「その店、私の住んでる家なんだよね」
「カノンさん店に住んでたのかよ、すごいな!」
「店に住んでるわけじゃないよっ。どういう女なの、私」
「もう行かないでおこう」
「あははは! いや、なんでそうなるの? ふふっ。来ないでとは言ってないから!」
カノンは笑いまくっていた。何かツボにはまっていたらしい。箸が転んでもおかしいお年頃ってやつか。俺もこのやり取りが妙に面白くて、笑ってしまいそうになる。
「じゃあ何の報告だよそれ。ふふっ。というか、そもそも普段から行ってないけどな。田辺と行ったあの時がたぶん最後だぞ」
「そうなんだ。うーん、まどろっこしいのは嫌いだから、本題にもう入るね。木下くん、そこで「召喚少女」の話、してたんじゃないかな?」
「は⁉ なんで……それ知ってるんだよ?」
「私には妹がいるんだよ」
「妹がいる、と」
「それで、妹がそのお店でその時働いてたんだよね」
「ああ、なるほどな。それで妹が「召喚少女」を好きだったのか」
「いや嫌いだったんだ、すごく」
「ぷふっ。ここは「好き」なんじゃねーの? しかもすごく嫌いなのかよ」
俺は思わず噴き出してしまった。予想の真逆だった。
「嫌いだったから、そんな話題で盛り上がってる客には、早く帰ってほしかったらしくて」
カノンは、にやっと小悪魔的に口角をあげながら、そう言った。
「ひでぇ店員だな、カノンの妹」
「耳ざわりだったらしくて」
「あっはっは。ひどいひどいっ」
「耳ざわりは脚色したけど」
「脚色かよ。椅子思いっきり後ろに引っ張っていい?」
「私はそれを帰ってきた時に聞いたんだよね」
俺のちょっとした威圧も、簡単に無視されてしまった。
「そうなのか」
「そうだよ。すごく盛り上がってる高校生がいたよって聞いて」
「へぇ」
「仲良さそうだったーって」
「……そこは疑問だけどな」
「たぶん妹も、仲良く話せる人がほしいんだと思う」
「?」
カノンは、窓の外のほうを向いた。外には、夕焼けに染まる空と、近くの山影とが見えていた。
カノンの表情は、どこか物寂しげだった。妹に何か思うところがあるんだろうか。
「急にしんみりして、どうしたんだ?」
「いや。今日はここまで。話せて楽しかった」
そう言って、カノンは自分のカバンを持って、教室を出ていこうとした。流れるような動作で、あっという間に教室の出入り口の所までいってしまった。
「じゃあね。木下くん」
出入り口の所に立つカノンは、特に笑みも、手を振る事も無く、ただその言葉だけを空気に溶かすみたいにしゃべって、教室を後にした。
俺だけが一人、教室に残っていた。カノンの居なくなった教室は、水を打ったように静かだった。俺も帰ろう。
カノンは、俺と話せて楽しかったのか。
なぜかその言葉だけが、空気に溶けず俺の耳に残っていた。
「ちょっと木下いいか?」
次の日、朝からいきなり山岸に絡まれた。
また祈祷か?
安い信仰心から、少しはひと皮むけたのだろうか。
「なんだよ山岸」
俺達はトイレにいた。
用を足したいわけじゃないが、山岸に指定されていた。
怖いなぁ、いじめとかやめてくれよな。偶像をいじめるとか、マジで祟られるぞお前。
「昨日、カノンさんと仲良くしゃべってたってマジ?」
「え」
山岸は興奮気味にそう聞いてきた。
誰かから聞いたのだろう。
どうやら放課後、俺とカノンが話しているところを目撃した奴がいたらしい。
いや、目撃してなくても、放課後最後まで教室に二人で残っていれば、それはそれで何かしらあるんじゃないか? と疑ってかかるのがこのお年頃なのかもしれない。
「しゃべったけど仲良くないぞ」
「え⁉ マジかよ~! 何しゃべったんだ⁉」
興奮した山岸は、俺を襲うようにつかみかかってきた。
……こんな風に書くとアレな感じだが、別にアレなわけじゃないからな。
「わっ、い、痛いから! 肩そんな強く掴むなよ! このままだと脱臼する!」
脱臼を警告しておけば引くだろうと思ってそう言ったんだが
「脱臼はしねぇだろ! ははは! 木下うけるわ」
そう言われて、サラリとかわされた。
「はぁ……ていうか別に、本当に少し話しただけだよ。それだけ。なんもねぇよ」
「本当に本当か⁉」
「本当だよ。教室戻ろう。授業始まるわ」
そう言い残して、俺は先に教室へと戻っていった。
山岸は、後からぶつぶつ言いながら教室へ戻ってきた。
こいつもわかりやすいなと思った。そんなに美形転校生がいいか。まぁ、いいよな。わかる。人は自分に無い物を相手に求めるとかっていうからな……。
逆に俺みたいに、全く相手に求めないのもすごいのかもしれない。
放課後、凛とした姿のカノンさんがちらりと俺の方を見てきた。
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。その芍薬さんが、なんで俺を見てるんだよ。
「え、なんだ……え、ごめんなさい」
俺は怯えた。それはそれは怯えた。
なぜかは知らないが、謝った方がいいのかと思った。
「え? ふふっ」
カノンは笑みを浮かべた。怯える人間に笑みを浮かべるとか、文字に書き出してみるととんでもないな。
「木下くん、今日も少し残ってよ」
「え、なんで?」
「なんでって……」
カノンは言葉をつまらせていた。これはあれか、質問した方が悪いみたいな空気なのか?
言葉がつまるくらいなら、そもそも誘わなくていいだろ。
俺は早く帰りたかった。
「話があるからだよ」
「ここで言えない話なのかよ」
「ここで言いたくないんだよ。だからそう提案してるんだよ」
「……」
なんだかすごい既視感があるな、このやり取り。
まあいいか。というか、さっきから山岸にすごい見られてるんだよな。
「山岸~。藤本先生が職員室に来いって言ってるぞー?」
教室の出口のところから、どこの誰だか知らない生徒が、そんな事を言ってきた。
「あ、マジか⁉ 行く行く~」
山岸は先生に呼ばれてるとわかると、すぐに教室を出ていった。
ちなみに藤本先生というのは、山岸が所属している野球部の顧問の先生だ。
なんだかしらんが藤本先生、グッジョブ。
いちいち見られてると、本当に帰りたくなるからな。
別にやましい事はないはずなんだが、なんとなく。
「それで、木下くん、残ってくれる?」
「わかった……」
そして結局今日も、教室で誰もいなくなるまで二人で席に座っていた。
放課後大体四十分もすれば、皆教室から出ていった。
部活やらバイトやら、散り散りに出ていく。やっぱり高校生は皆、忙しいんだよな。
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