消えるヒロイン、現れるヒロイン
金曜の朝、俺はいつものように学校へやってきた。
早い時間帯。というか、今週はずっとこの時間帯の登校だ。
しかし、今日が終われば全て解放される。
もちろん、二週連続とかいう悪夢がなければだが……。
日直の仕事をするために、早く学校へ行った俺だったが、いつまで経っても田辺は来なくて、俺は結局一人で全部の仕事をやるはめになった。
いよいよあいつ、完全にサボったな。俺はそう思っていた。
だが、朝のホームルームが始まっても、田辺の席は空いたままだった。
教室に田辺以外の生徒が全員そろって、朝のホームルームを告げるチャイムが鳴ると同時に先生が入ってきた。
先生は、生徒が全員着席するのをしっかり見届けると、いの一番に田辺の転校の件を話し始めた。
「えー、うちのクラスの田辺ミチカだが、先日親御さんの方から連絡があって、上越の高校に転校する事になったんだ。皆、いきなりで驚いていると思うが、この件は、本人たっての希望で――」
本人たっての希望で、転校当日まで誰にも話さないでほしい。
田辺は、そう希望していたらしかった。先生の話を聞くに、どうやら父親の仕事の都合らしい。
なんだよ。転校の話とか全くしてなかったじゃねぇか。
俺は不満しかなかった。
新潟県の中越地区に位置するこの鴨高校は、上越地区までかなり遠いからな。確か下道を車で走っても片道二、三時間は堅いくらいの距離だ。
今週は田辺と日直で、色々話して、あいつの事が少しくらいはわかった気になっていた。
けれど、どうやらそれは気のせいだったんだ。
全然わからない。あいつが一体何を考えていたのか。
昨日言ってた田辺の言葉が、頭の中に浮かんでくる。
「早く戻りなさい! 戻らないと、明日この学校が消えてなくなってしまうのですよ!」
どういう事だよ。お前が消えてんじゃねぇか。
こんな俺との些細なやり取りの中に、自分が居なくなる事の寂しさを散りばめていたのか? わかるわけないだろ。
それと、美術室でやたらと俺を引き留めていたのは、転校がわかってて寂しかったからなのか……?
ちゃんと教えてくれなかったあいつに、俺は腹が立った。
こっちの気持ちを考えてくれ。別に涙を流しながら別れを惜しむだとか、河原で殴り合いをして本音をぶつけあう友情ごっこだとか、そんなことをしたい気持ちは微塵も無い。
けど、一言くらい何かあってもよかったんじゃないか?
それとも、少し話したくらいの俺じゃ教えるに値しないとか、そういう一番傷付く心無いパターンだったのか?
何とか言ってみろよ田辺。
俺は心の中で死体蹴りをする。
「……?」
ホームルームが終わった。一限目の教科書を出そうとして机の中に手を突っ込んだ。
その時だった。
机の中に、田辺の作ったあの同人誌が入っていた。
「は⁉」
俺は思わず声をあげてしまったが、ちょうど誰にも気づかれなかったらしい。
皆それぞれ喋っていただけで、俺の事なんて誰も見ていなかった。こんな所で、俺の影の薄さが生きるとは思わなかったが、それはそれでなんだか悔しいな。
「……」
昨日、田辺に返したよな?
改めて、机に入れられた同人誌に目をやる。どういうつもりだよ。
一体なんでここに入れた?
その日、日直の仕事は全部一人でやった。ただ、少しだけ一人じゃないタイミングもあった。
最後の授業が終わり、俺が黒板を消そうと思った時だった。
「木下~。私も手伝うよ?」
田辺とよくつるんでいた木村が、声をかけてきた。
「いや、木村お前、当番じゃないだろ」
「ミチカが転校して木下一人きりでしょ? だから代役ってことで」
「そうか。……悪いな、なんか」
木村いい奴だな。
俺なら代役なんてしないと思った。
ていうか、代役をしてやりたいほど仲が良い奴がいない。
学校帰り、俺はアルバイト先のカラオケ屋へ向かった。
今週は新人が入ってきたとかで、平日金曜日しかシフト入れてもらえなかった。
いつもはもう少し入ってるんだけどな。
「お疲れさまですー」
「あ、木下君おつかれー」
受付で、ナチュラルに漫画を読んでサボっていた茶髪の先輩に挨拶をし、俺は裏へ回った。
裏の休憩室には俺しか居なかった。
珍しいなと思った。
金・土・日の夕方は結構混むから、大体一人か二人は、休憩室で待機していたりするんだ。その日は誰もいなかった。
誰が出ているのか少し気になったが、出勤のタイムカードは確認しなかった。それよりも、もっと気になる事があるからな。
とりあえず、俺はカバンの中にしまっていた田辺の作った同人誌を確認した。
学校に置いておくわけにもいかない。持ってきていたんだ。持って行き場がない代物。
教科書やファイルと一緒になっていた同人誌だったが、俺はここである事に気が付いたんだ。
「ん? なんだ?」
同人誌の表紙と一ページ目の間に、何かメモが挟まっているらしかった。
カバンの中身を上から見ていてその事に気が付いた。
俺はカバンからそのメモだけを器用に抜き取り、目を通すことにした。
「木下へ
この私の熱き魂の叫びは、木下に預けておくことにするよ。
未来永劫語り継がれる私の最高傑作だ。
これを読めば、いつでも私の魂に触れられる代物だ!
あと、転校黙ってて悪かった。ごめんなさい。
まぁまたどこかで会えることだろう! 去らばだな」
たったそれだけだった。
これを最高傑作だと呼べる田辺がもうこえーよ。
「なんだよ、これ……ははは」
俺は力なく笑っていた。中身は特に変わっていないだろう。キスナのエッチなシーンから始まる、あの同人誌のままだ。
開かなくてもわかる。こだわりの強そうなあいつが、一度書きあがった力作をいちいちいじくったりはしない。
時計で時間を確認する。もうカラオケ屋の制服に着替えないといけない頃合いだった。
メモをカバンにしまい、カバンをロッカーに入れる。
もうあいつとは会えないんだよな。
そう思うと、俺はなんだか変な気持ちになったんだ。嬉しいような、少しだけ寂しいような。……は? なんで俺は寂しいなんて感じるんだ?
やっぱり俺は俺がわからない。
それから俺は、カラオケ屋の制服を着たあと、休憩室にあった大きな鏡の前に立ち、その鏡をまじまじと眺めた。
そこには、カラオケ屋で働くのであろう冴えないアルバイトが一人映っていた。
「は、それこそつまらん奴だな、木下君っ」
なんとなく、鏡を見てそんな事を言いたくなった。
鏡に映った木下君は、つまらなさそうな顔だった。目じりになぜか水滴が溜まっている。
田辺は、もういない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから数か月が経った。
季節は、秋真っ只中。
空気がしっとりしだしていた。枯れ葉の焚火で、焼き芋を食べててもおかしくなさそうな秋だ。うすら寒い風が、どこからか吹いてきてそのまま俺の住む街を抜けていってしまいそうな、そんな秋だ。
そんな季節にやってきたのは、季節外れの記号的な転校生だった。
俺は、新しいアルバイトの奴と全然顔を合わせる機会がなかった。
それは数か月経ってもそうだった。本当すごい偶然。こんな偶然あり得るのか? 何か裏で糸引く輩がいるんじゃね? そう思ってもおかしくないくらい合わなかった。
シフト表に書かれていた「カノン」という名前だけが先にわかっていて、一体どんな奴なのか、俺が誰かに聞くまではわからなかった。
バイト仲間に聞いても
「えー、どんな子か? どんな子っていうか……外国の人?」
「テレビにいそうなハーフタレント的な?」
「流暢な日本語話す、見た目海外の女の子ですよ」
なんて反応が返ってくるだけだ。
それからもバイト仲間に詳しく聞いていくと、情報だけはどんどん蓄積されていった。
名前は、カノン・ウィリアムズ。
イギリス人と日本人のハーフらしい。
年齢は俺と同い年らしいが、何か事情があって、学校には行っていないという事だった。
金髪で、ハーフらしい端正な顔立ち。胸が大きく、雰囲気からして十七、八にはとても見えないという話だった。
なんだそれ。
本当にそんな、記号的なハーフイギリス美人がいるのかと思った。
そもそも俺は、ハーフの人に会った事もなかったから、情報だけで象られたカノン・ウィリアムズさんは、いつまでたってもその存在に現実感が湧かなかった。
今まで英語の先生も日本人だったし、英会話教室とかも行った事ない。地方だからなのか、カラオケ屋にそれらしいお客もまだ来たことがない。
見る機会ゼロだった。
結局、俺がバイト仲間からこうした情報を聞いていっても、そのカラオケ屋ではずっと会えていなかった。
まあ、会わないほうがよかったのかもしれないが。
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