妄想の中で
「おまたせ! これだよ、これー」
「時間かかったな。ん?」
田辺が、俺の前に一枚の絵を置いた。水彩画らしい。
「なんだ、普通の絵も描けるのか」
その絵は、同人誌で見るような田辺の絵とは全く違う画風のものだった。
大きな池のある家屋と、夜空。その夜空には、たくさんの星が散りばめられていた。
こういう風景画にしても、田辺の画力高いなぁと関心してしまう。さすがは美術部の端くれといったところだ。
「描けるっていうか、描き分けてる? みたいな」
「なんで描き分けるんだよ」
「え~、だって皆風景画描いたり、ぼわーんて感じの絵描いてんのに、一人だけガッチガチの百合とか描いちゃまずいっしょ!」
あ、一応そこのラインは見極められてたのね。しかし……。
「まぁ、そうだが、つまらん奴だな」
「……」
田辺は、黙ったままその風景画を黒板消しを置く淵に立て掛けた。
それから元の窓際最後尾の席に座る。
そこからなぜか、俺達は数分間黙っていた。二人とも話す事がなかったというより、黒板に立てたその田辺の絵を眺めている、といった空気だった。
「お前が二次創作好きなのって、原作の力量に疑問があるからなんじゃね」
「え?」
俺は唐突にそんな言葉を呟いていた。たぶん、黒板に今立ててあるあの夜の風景画を見て、田辺の画力を知って、それで出た言葉なんだと思う。
もう時刻は六時になろうとしていた。
夕方六時半くらいになれば、もう運動部の奴らも帰るし生徒もいなくなる。
その時刻を過ぎたら俺も帰ろうかと思っていた。
「原作の力量って?」
「なんつーか、原作は好きなんだけど、物足りなさみたいな物があるからなんじゃねって事だよ」
「……」
俺がつまらん奴だな、って言ってから、田辺は露骨に口数が少なくなっていた。
「物足りなさなら、他の作品にも感じるけどね」
「……そうか」
それは俺も感じていた。どんな作品を見たり読んだりしても、どこか似通っているように感じてしまう。だから物足りない。流れ作業のような消費が嫌いなんだと思う。
「木下だってそれは感じてたんでしょ」
「それな」
「……」
会話が止まる。
田辺の奴、なんか考え込んでるのか?
珍しい事もあるもんだと思った。
田辺はいっつも考え無しに喋ってる感じがしていたから。
「ねぇ、つま……って言ったじゃん」
「え?」
俺にはよく聞こえなかった。田辺は、何か言いにくい事を言いたかったようだった。
「つまらん奴だなって言ったじゃん!」
田辺は大きい声を出して、そんな事を言った。
「……」
「ねぇ! それは私がつまらないって事だよね?」
田辺は、黒板のほうではなく俺の方を向いて話していた。俺はなんとなくそんな田辺の方を向けず、向こうの黒板を真っ直ぐ眺めているしかなかった。
「そうだけど、それがどうしたんだ?」
「じゃあ木下は、何が面白い事だって感じるの?」
「……」
黒板の上に掛かっていた時計の針が、なんだかゆっくり進んでるように見えた。
「それがわからないから退屈してんだろ」
「私は退屈しのぎだったのか!」
そう指摘されてみると、本当にそうなのかもしれない。特に最近は、アニメや漫画や、ゲームや、その他の創作物に熱を入れられなくなっていたから。
「退屈しのぎっつーか、暇つぶしっつーか。けど俺は俺でやる事あるからな」
「やること?」
「勉強とバイト。部活とか趣味とかなくても、学生は忙しいだろ?」
「はっ! それこそつまらん奴だな、木下君」
田辺は威勢よくそんな発言をした。
美術部の絵具のしっとりとした匂いが強く漂うこの教室で、田辺の言葉はとても乾いているもののようだった。乾いているから響くし、あっという間に消えていく。
ちょっと田辺の元気が戻ってきたらしい。よくわからない奴だな。
「二次創作って言っても、お前がやってるのって性的消費だけだろ」
「う~ん……今のところ?」
いや認めるのかよ。
「そうか……じゃあちょっと、健全な想像力で他の道開いてみれば?」
「他の道……?」
「ああ。性的なものじゃなくてな」
「ええ~」
ええ~とか言うなよ女子高生。
「健全にいけばいいだろ。そしたら即売会とか、そういう所に出してもいいんじゃないか? 後ろめたさなんて、無いほうがずっと気が楽だと思う」
「木下! 私は同人たるもの、不健全をも包み込んだ魂の叫びとして、そこに意義を見つけたり……」
「何が言いたいかわかんねぇよ!」
「だから! 不健全も包み込んで、それも合わせて同人だって言ってるんだよ! それが魂の叫びなんだよ。それ取り除いたら、叫びじゃないの!」
「そういうものなのか……?」
要約すると、同人誌から性的表現を抜いたら何が残るのかって事らしい。
一応、広い意味では普通に愛好とかそういうのが残るんじゃないのか。
作った事ないし普段読まないから俺は知らないが。
「けど、確か同人はエロいのばっかりじゃないだろ。普通に性的じゃないものもあるんだろ?」
「まぁ、それはそうだけど、私は違うほう!」
だから法律を飛び越えるなって、高校生。
「女子高生とは思えねぇ発言だわ」
「人を記号で測るとは何事かね、木下君。それこそ、この前言ってた話と矛盾すると思うんだけど?」
「こういう時だけ痛いとこ突いてくるな、お前」
田辺の反論は鋭かった。なんなら表情も少し鋭い目つきだった。
刺そうとしたら刺し返された気分だ。
「まぁ、健全でやったところで、やっぱり二次創作って不毛だわ」
「……」
刺し返されたし、そろそろ六時半だし、帰っていいよなこれ。
「六時半なるし、帰るわ」
「え、待って待って!」
「?」
なんだ。まだ用事あるのか。
明日にしてくれ。
「私は二次創作が不毛だなんて思わない! 木下が原作も二次創作みたいなもんだって言ってたけど、原作も二次創作も、私は不毛だなんて思ったことない!」
「……」
「逃げないで」
何も言わず、ふらっとフェードアウトしようとしていた所、あえなく制服の袖を掴まれてしまった。
「……いや、逃げてるわけじゃない。二次創作は、無駄なスポットライトを当ててるだけだろ。当てる必要ないんじゃねぇの? 当てたって、もうそこは既に当てられまくった場所なんだし」
「木下、オリジナリティがどうとか言ってたじゃん!」
「? なんでそこでオリジナリティが出てくるんだよ」
「私、オリジナリティは妄想の中でしか生まれないと思ってるから」
「……じゃあ、妄想の中で探し続けるのか?」
「うん。……私は、探し続けるよ! それで、どこへ行ったって創作を続けるつもりだよ‼ 絶対に絶対に木下が驚くような、胸が熱くなって泣いちゃうような、そんな話を作ってやるんだ! 二次創作でも、原作でもいい。健全でも不健全でも。あの同人誌で誰かに馬鹿にされても、それでもいい! ずっと私は探し続けてやるんだ‼」
「なんだよ、もう会えないみたいな言い方じゃねぇか」
田辺の言い方はとても熱かった。田辺で言うところの激アツって奴だと思う。
俺の返事を聞くと、田辺は少し黙ってから、何かを惜しむように口を開いた。
「……もうそろそろ行かなきゃだ。木下」
――キーンコーンカーンコーン。
田辺の言う通り、もう学生は帰る時間らしい。
美術室にも、しっかりと最終下校時刻を告げるチャイムが鳴り響いた。
試合終了のゴングは鳴らされたんだ。
六時半をまわった。タイムアップだ田辺。
「本当にもう時間だ。じゃあな、田辺」
「……」
美術室に田辺を残して、俺は先に学校を出ていった。どうせまた明日も会うんだろう。何も名残惜しい事なんてない。
夕陽ももうほとんど沈んで、外は暗くなりだしていた。学校から伸びるゆるい下り坂を、俺はつまずかないように帰っていった。暗くなった帰り道を歩いていると、きっと深海魚はこれよりももっと暗い世界を生きているんだろうなと思った。
翌日、あいつは学校には来なかった。
田辺ミチカは、父親の仕事の都合で転校してしまっていたんだ。
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