熱き魂の叫び
翌日、学校に行くと田辺がまた興奮してやってきた。
朝から忙しいな。
「木下木下! 持ってきた! 持ってきたよ今日!」
「は? 何をだよ」
「薄い本に決まってるっしょ!」
誤解のないよう注釈を入れるが、薄い本とは、つまり同人誌の事である。
田辺は教室で出会い頭にそう言ってきた。なにやら息を荒げている。
学校指定のセーラー服も少し乱れ気味。あんまりはぁはぁ言うなよ。きっとお前のお母さん泣いてるぞ。
「いやお前、日直だから朝早く来たんだろ? さっさと日直の仕事済ませんぞ」
「それはいいから、これ貸してあげる! 私の力作なんだよな!」
田辺は興奮しながら、俺に同人誌を差し出してきた。無論、召喚少女の同人誌らしい。
同人誌を受け取ると、俺はじぃーっとその表紙を見つめた。
こいつすごいな。高校生で同人誌作るって。……いや、そうじゃなくて! どさくさに紛れて日直サボろうとしてるだろ、これ!
「俺、同人誌貸してくれなんて言ってねぇけど」
「そっけないな~。私の熱き魂の叫びを聞きたいとは思わんのかね!」
「思わんのよ! 普通思わんのっ! それと、どさくさに紛れて日直の仕事さぼんなよ。後で怒られんだろ」
俺はそう言いながら、黒板のチョーク入れを確認した。割と残ってるし、補充しなくても良さそうだった。
「え~。そのキスナ様、激熱なんだけどな~」
田辺は、俺が受け取った同人誌にちょんちょんと指をさしてそう言った。
その同人誌の表紙には、召喚少女のキスナが描かれていた。
しかし田辺、マジで絵うまいな。普通に商業誌で見かけそう画力じゃねぇか。
「ん? おい、待て。右下にR18って書いてあるんだが?」
「もちろん、18禁だよ! 同人誌をなんだと思ってんのよ!」
「いやお前女子高生だろ! 18歳未満が18禁って描いていいのかよ⁉ ダメだろこれ‼」
「え? 何言ってんだよ~。精神年齢はとっくに18超えてんだよ、こちとらな!」
「はぁ……。無茶苦茶な理論言いやがって」
どうやら法律とか知らないらしい。
田辺、お前は一回捕まれ。もう手遅れだ。
「もちろん、バレたらやばい事くらい知ってるし。だからこうして、人目を忍んで渡してるんだよ! 早く、受け取ったんだし隠して隠して!」
「なんか麻薬の売人みたいだな、田辺」
「――ある意味、こいつぁ麻薬だぜぇ、旦那~。一本キメときますかい? きょろきょろ」
田辺は辺りを警戒してみせた。
ナチュラルにB級映画の麻薬の売人みたいになっていた。ただ「きょろきょろ」は口に出して言うもんじゃないと思う。俳優降板です。
「バレてやばいなら同人イベントとかで出せねぇじゃん。一人で楽しんでんの?」
「そうだよ、今まではね~。でもほら‼」
そう言ってから、ビシッといきなり田辺に指をさされる。
「今は二人で楽しめるでしょ?」
田辺はにひっと笑ってみせた。
「俺を引きずり込むなよ」
はぁ、と溜め息をつくふりをしていたが、俺は不覚にも、内心ドキッとしていた。
俺はなんでこんな奴にドキッとしてるんだ? 田辺は、今のところ特に目立った女性らしさもない奴だ。どこに胸をときめかせる要素があったんだろう。
「かっかっか! もう遅いな、木下少年。君はもう、同人の渦に巻き込まれているのだよ!」
大きく口を開けて笑い飛ばす田辺は、本当に楽しそうだった。
「お前が一人で盛り上がってるだけな、それ」
「おっと、まずい! そろそろ第一村人が教室へやってくる! ズラかるぞ!」
「クラスメイトをゲームのモブみたいに呼ぶな。モブは割と俺らの方だろ」
一度時計を見たあと、田辺はそう言って俺を残し、教室を出ていってしまった。
というかあいつ、日直の仕事なんもしてねぇじゃん……。くそサボり魔め。
「何がキスナ様激熱だよ……」
なぜか「げ」にアクセントを置いてそう言いたくなった。
俺は、田辺に渡されたキスナ推しの同人誌を再度眺めてみた。これじゃ俺が召喚少女のファンみてぇだな。
その後、一限目の授業に田辺は遅刻しそうなタイミングでやってきた。
一体今までどこへズラかってたんだよ。そこそこ時間あったぞ。
俺は、息を切らして席に戻る田辺をしり目に、机の中に隠していた召喚少女の同人誌をちらりと確認した。
田辺の描いたキスナの絵は、書き手があんな人物だとは到底思えないくらい上手かった。
そして絵は描き手を選べないんだな、とか妙なことを思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
授業と授業のあいだの十分休憩の時、田辺の方を見ると、あいつはやっぱり木村とか他の女子とつるんでいた。
どこが俺と一緒なんだよ。俺なんてつるむ相手もいないってのに。
やっぱり納得いかねぇわ。ちっとも「こっち側」のグループじゃない。
「……」
なんとなく、再び手元にある薄い本を見る。召喚少女のキスナはとても美少女だった。
これを、今あそこで楽しく話してる奴が描いたんだよな。
なんか嘘くさいけど、あの熱の入った語り方からしてまぁ嘘じゃないんだろうなと思う。
見た目がそこまでオタクオタクしてないせいもあるのかもしれない。
田辺は、見た目が陰キャらしくない。
地味めだけど、格好には清潔感がある。
スポーツをこなす女子にも似た、ストイックさのようなものまで滲み出てる。
無論、そういうストイックさの集約が、この同人誌なんだろうな。健全なんだか不健全なんだかよくわからない。
見た目には全く力を入れてないが、趣味の同人誌に関してはとんでもない熱量なんだろうという事は、絵の出来栄えを見れば一目瞭然だった。
法律まで無視してるからな。見た目真面目そうなアスリートタイプなのに。
こんなギャップはなかなかお目に掛かれない。これもある意味、人は見た目に寄らないって事だと思う。
と、ここで俺の視線に気付いたのか、田辺はこっちに目を向けた。
「ひひっ!」
田辺が突如あげたその鳴き声に、隣の木村はなんとも言えない顔をしていた。
当たり前だよな。たぶん俺に向けて発せられたのだろうが、俺だってなんとも言えない顔しかできないよ。
田辺よ、それじゃ麻薬の売人にはなれないと思え。もっと擬態しなければ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ああ……んっ……んんっ、ダメよ、エリカ! あなたにはヒカリがいるじゃな……あんっ! んっ……! そ、そこ……ダメって言って……あっ、も、もももうダメえええぇぇぇ! やめっ、ひゃっ! やめってぇえぇ!」
やめってぇえぇ! じゃないんだよ、なんだこれ。何を読まされてるんだ俺は。
小さい「ぇ」と大きい「え」で遠近法を演出するな。
ていうかがっつり百合本じゃねぇか! いや、そもそもノーマルでも高二には良くないが。
俺は、家に帰ってから田辺の同人誌を開いていた。
「熱き魂の叫び」とまで田辺は豪語してるんだ。一体何をそんなに叫んでいるんだと思って、試しに開いてみる事にしていた。
そしたら本当に叫んでいた。あられもない姿でキスナ大絶叫である。
この世の終わりかというくらい叫んでいる。
ページの上から下まで、気持ち良いくらいスパーっと吹き出しが貫いている。貫くほど激しい叫びらしい。
まぁこんな同人誌を読む必要なんてないんだが、無駄に表紙がよく描けてるからな。
それに机の中にずっと眠らせていてもあれだし、少しだけ興味もあったしな。
こんな風に色々理由を並べ立てても、仕方ない事はわかってる。
全ては「魔」だよ。性と欲の魔が差したって事だ。男子とは皆こういう生き物だ。
「キスナさんっ! わ、私も、もうダメです……あぁっ、あっ⁉」
でもこれ、本当に最後まで読んで大丈夫か?
俺の頭の中に、そんな疑問が湧いてくる。
「うっ……だ、大丈夫! わ、私はまだ大丈夫だからぁぁ‼」
全然大丈夫じゃねぇだろ。
何俺の脳内質問に勝手に答えちゃってんだよキスナさん。
「ほら……はぁ……はぁ……キスナさんのぉ、すごい事になってますよぉ……」
本当だっ、すごい事になっちゃってる! ……いや、やめよう。
俺は同人誌をぱたりと閉じて、大きく溜め息をついた。「ふぅ」ではなく「はぁ」だった。
やめだよ、やめやめ。
いくら自室で一人きりで読むにしても、性的嗜好が歪むだろこれ。
俺に、同級生と特殊性癖を共有する趣味はない。
キスナは、大丈夫だからぁ!と叫んでいたが、全然大丈夫じゃない。
脱水症状になりそうだったぞ、あいつら。
人間、あんなに水分出したら干からびるだろ。もっと水に恵まれない国のこと思えよ。
その日の夜、俺の寝付きがとんでもなく悪かったのは、大体この同人誌もとい田辺のせいだったと思う。
明日は日直三日目。まだあと木曜も金曜もある。「もある」んだよな。
一週間てこんな長かったか? とかそんな事を考えながら、ちゃんと寝付けるかわからない布団の中に入っていた。
明日、朝一番にこの同人誌は返そう。その決意だけを固くした。
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