田辺ミチカ
夏休みのあけた九月の高校というのは、物語の定石・起承転結で言うところの「転」が詰まっているような、胸騒ぎを感じさせる悪い時節だ。
顔を合わせていないこの夏休みの間に、一体何があった? と、そう問いたくなるような様変わりをはたした生徒がチラホラ見受けられたりする。だから九月は胸騒ぎの月である。
休日バイトが終わった次の月曜日。九月の第二週のはじめ。
その週、俺はクラスの日直当番になっていた。
俺の通う新潟県立鴨高校は、日直の当番を毎週ランダムで決めるという、いささか頭のおかしいやり方をしている高校だった。
毎週ランダムで決めているせいで、偶然三週連続で日直をする生徒とか出てきたりしていた。三週連続とか、気が狂うだろ。日数にすると二十一日だぞ? いや平日だけだから十五日か。十五日なら、案外そうでもないか?
いやそれでも、そんな偶然に当たってしまった生徒は不運だ。
幸い、俺はまだ未経験で、まだそんな不運を味わったことがない。
しかしそれより、こいつとの出会いのほうが、俺にとってははるかに不運だったのかもしれない。
今週の日直――木下逸色・田辺ミチカ
黒板の右隅にチョークで書かれた名前。
俺はその日から一週間、田辺ミチカという女子と日直をする事になったのである。
先週の金曜、学校でこの決定を耳にした時は、誰だそれ? となったのだが、おそらく田辺の方こそ、誰なのそれ? となっていた事だろう。
「おはよう、木下ー。日直なんてだるいよねぇ」
「お、おはよう」
朝、まだ誰も来ていなかった教室で、田辺にさらっと挨拶をされた。
日直は、他の生徒よりも朝早く登校し、決められた雑務を淡々とこなす使命がある。
無論、俺と田辺も例外なく淡々とこなす。
田辺は一見普通の女子高生だった。
髪も特に染めていないし、その黒髪は短めでボーイッシュ。薄化粧でピアス等のアクセサリーもつけていないし、どちらかというと落ち着いた様子の奴だ。
ごくごく普通。たぶんTシャツとジーパン姿で街を歩いたら、すれ違った五割は田辺を男子だと思うかもしれない。それくらい身体のラインに起伏がほぼ無い。
そんな、普通過ぎて地味な印象の田辺は、はっきり言って俺の記憶の泉には居なかった存在である。そして俺自身も、地味な印象かつ友人の一人もいないぼっち系男子なので、田辺の記憶の泉にも俺はいなかったんじゃないかと思う。
むしろよくさっき名前呼べたな。
「ねぇ、木下って、いつも誰と遊んでるの?」
俺が淡々とパンパンと黒板消しを窓の外ではたいていると、いきなり田辺がそんな事を聞いてくる。
「いや、別に誰とも遊んでねぇけど……けっほけほっ」
普段教室で誰とも喋っていない奴に、そんな質問してくるなよ、と思った。
俺の代わりにチョークの粉でむせてくれ。
「へぇー、じゃあ休日も?」
「あ、ああ……けふっ」
田辺の追い打ちがひどい。休日の俺にまで精神攻撃しないで。
「私と一緒じゃ~ん」
「お前は井口とか木村と仲良いだろ。……そんなお前と俺のどこが一緒なんだよ?」
さては気軽に「こっち側」の住人と仲良くなろうとしてるな?
目を見ればわかる。私はあなたの仲間なのよ作戦か。知ってる知ってる。いるんだ、こういう変な期待を持たせたがるのが。
むせつつも黒板消しを十分綺麗にした俺は、前の黒板にそれらを戻しにいった。
そんな俺の行動を、田辺はただじっと見ているだけだった。
「お前と俺は一緒じゃねぇだろ」
パンパンッ、と学ランに付着したチョークの粉を手ではらい、俺はそんな事を言った。
陰キャだの陽キャだのって世間では大きく区分されるが、陰キャの中でも特に「ぼっち勢」の俺は、また別に括られたグループだと思う。
「こっち側」へ迂闊に近づくのはいかんよ。田辺にそう警鐘を鳴らしてやりたい。
「えー? いや、別にあの二人と一緒に遊んだことなんてないよ?」
「そうなのか」
「そうだよ~。あの二人とは、学校で話してるだけ。別に学校以外で遊んだりしないし、しようとも思わないしね~」
「じゃあ……お前こそ、休日何してんだよ」
「私はがっつりアニメ鑑賞! 休日なんて速攻で溶けるし」
俺の質問に、にひっと笑いながら親指を立ててそんな事を言う田辺。
何か誇らしいとでも思っているのか、まぶしい笑顔を見せてくる。
「ふ~ん」
田辺の様子を見ていると、以前までの俺を思い出す。
アニメとかそういったものに嫌気が差す前の、楽しめていた頃の俺。あの頃の俺なら、今の田辺みたいに色々と楽しめていたんだろうな。
遠い過去の記憶のように、昔の自分を思い出す。
(※楽しめなくなったのは先週くらいから)
「アニメとかつまんねぇよ」
思わずそんな本音が声に出てしまった。反論したって仕方ないのにな。
「えー? めっちゃ面白いのに‼ もったいない‼」
「どんな所がおもしろいんだよ」
「あいやわかった! じゃあ今日、おもしろさを熱烈に語りまくってあげるから、放課後付き合うのだよ!」
田辺は急に、江戸っ子口調だかなんだかよくわからない口調でそう誘ってきた。
実はこいつ、かなり癖が強いのか?
その時なんとなくだが、俺は田辺の正体をある程度掴んだ気になっていた。
アニオタの田辺。そしてかつてアニオタだった俺。これはそういう構図らしい。
「語りまくるってことは時間かかるのか? なら嫌なんだけど」
「五分くらいで済ませるし!」
「そんなに短時間なら語るに値しないって事だな。却下」
「どっちにしろダメじゃん! 嫌な感じだな~」
確かに、ここで却下しておけばよかった。しかし田辺はその後も、しつこく語らせろと粘ってきた。一体どういうつもりなんだ。
たぶん自己満足の一種だろうと思う。「布教欲」とでもいうのだろうか。
俺は結局、田辺の強引な押しに負けて、その日の放課後、校外で話を聞くことになってしまった。押しの強い女子って珍しいからね。なんか及び腰だったんです、俺。
ちょうどバイトも無かったから、俺の都合的には今日でよかった。
……そうは言っても、ぶっちゃけかなりめんどくさいとは思っていた。
他人がはまってる物なんて、誰が興味持てるんだよ。好きなアイドルが相撲にハマってたら、相撲に興味持てるのか? 持てるならそいつには最初から相撲好きの素質があんだよ。加えて、田辺はアイドルじゃないし、俺が好きな女子というわけでもない。
うん、何もかも興味から遠いよね。あんまり押してくるから了承したけど。
ちなみにその後、話す場所が校外に指定されたのは「誰か他の生徒に見られて変な噂になったら嫌だし」とかいう田辺の無自覚精神攻撃によって、その選択肢が打ち砕かれたからだった。
学校が終わってから、俺はいつもの本屋で時間を潰していた。
「私美術部なんだよねぇ~。悪いんだけど、語りまくるのは部活終わってからね!」なんて事を言われ、暇を持て余していたわけである。
俺は、相変わらずいつもの本屋の漫画・ラノベコーナーにいた。
暇だと大体ここに生息している。俺の生息分布図を作るならここだと思う。それと、いい加減店員に顔を覚えられて何らかのリストに載っているかもしれない。
コーナーの一か所。平積みにされた商品には、昨日と何も変わらず軒並みアニメ化の帯が巻かれていた。
正直、アニメ化された作品なら、アニメを見てから原作を買おうかなと迷う時もある。が、しかし俺は知っている。アニメでつまらないなら原作も大した事ねぇだろ、とか思っていると、意外とそうでもない事を。
何やら大人の事情で、修正だの改変だのいじくられ、アニメでは散々になってしまう事もある。成仏しきれない怨念とも名付けたいような、悲しき漫画や小説の霊が、往々にしてこの辺に漂っていることだろう。
原作を読んでみると、あの声優の起用は間違っていたんじゃないかとか、山場はあそこじゃなくね? とか、ここの大事なシーンカットしたのかよとか、残酷な現実を目の当たりにする事も多々ある。ファンとしても、それは涙の枯れる想いである。嗚呼、合掌合掌。
そんな弔いの言葉をぼんやり考えて、そのコーナーを物色していた。
ふと、気になってスマホの時計を確認してみると、もう良い時間だった。
喫茶店集合ってことで、大体の時間は決めていた。
俺は、その本屋から指定の喫茶店に移動し、先に田辺を待っている事にした。
喫茶店には他の客が一人もいなかった。店員も席を外しているのか、カウンターの中にも人影はなかった。
話し声一つ聞こえない空間に、スウィング系の音楽が延々流れている。
貸し切り状態で、どこでも好きな席を選んでいいらしい。
とりあえず、隅っこから一つ隣の、窓が近い席に座ることにした。近くに背の高い観葉植物がとんとんとん、と三つ置いてあるおかげで、若干目隠しになっている席だ。
結構落ち着けるな。うん、良い席。
だが座って数分もしないうちに、お店に田辺がやってきた。
早いな。本屋で時間を調整していたのは俺自身だが、ここまでピッタリだと若干ストーキングを疑いたくなるぞ。
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