★アラフォーオッサンの冒険者ライフ ~戦乙女に出会って人生大逆転~(3)
三人で全速力で森を駆け抜ける。決して、後ろを振り返らずに。
いくらか距離を取ってから、俺たちは大樹の根たちが作る窪みの中に身を隠した。
必死に息を整えようと深呼吸を繰り返すが、心臓は未だ早鐘を打っていて全身には鳥肌が立っている。手足はがくがくと震え、落ち着かない。
仲間たちも憔悴しきった顔をしていた。特に、カリスは痛みを堪えるように左腕を擦っている。
「……腕は動かせそうか?」
「ダメです……。飛び降りた時の着地が悪くて……、力が入りません」
負傷したらしい左腕はだらりと垂れている。これでは弓を引くことは不可能だろう。
「テート、『フレイムピラー』はあと何回使える?」
言いにくそうに口ごもったテートは、やがて決心したかのように「さっきので終わりだ。『ファイヤーボール』なら、あと一回いける」と答えた。
なんとなく察してはいた。慎重なテートはここぞという場面でしかあの魔術を使わない。使えないのだ。だが、お互いの為にも確認するべきだと思った。状況は絶望的であると。
「何ですか……? 何なんですかアイツは……!?」
すがるような目で、答えを求めるようにしてカリスが俺に泣き付く。
「アイツ……。群生地の奥にいました。薬草採りに来た人間を、息を潜めて狙ってたんです。俺、木の上から、目が合っちまって……。それで……!」
そう、この若い弓術士はあの化け物の姿を知らない。俺たち二人とパーティを組む頃には、その脅威は去っていたからだ。だが、俺たちはよく知っている、嫌という程!
巨大な岩山を彷彿とさせる体躯と、頭から弧を描くように伸びる二対の角。
「ベヒモス……」
「え」
確認するように、テートが呟いた。カリスは目をいっぱいに見開き、息の仕方を忘れたかのように口をぱくぱくと動かす。俺は頭を抱えていた。
「あれは間違いなく暴牛ベヒモスだ! 何で生きてるんだ畜生ッ!」
ダンッと力一杯、地面を叩く。そうでもしないと、感情を抑えられなかった。
一年前に勇者が討伐した、大型モンスター。俺とテートは、奴が倒れる姿を確かに見ていたのだ。その巨躯が消滅して、拳大もある魔石が落ちるのを見ていたのだ。
なら、今見たあれは幻か?
そんな俺の淡い期待を打ち砕くように、オオオオという轟音が森中に響き渡る。獲物を前に思わぬ反撃に遭ったベヒモスが、怒り猛って雄叫びを上げたのだ。
距離はかなり近い。いや、近付いて来ている。奴は俺たちの気配を敏感に察知して、一直線にこちらへと向かって来ているのだ。隠れ潜んだ所でいずれは見付かる。生き残りたければ反撃するしかない。
倒すか、追い返すか。選択肢があるようで、本当は何もない。
終わりだ。
「もう、すぐそこまで来てます! 早く逃げましょう!?」
カリスが俺の両肩を揺する。
やるべき事は、もう分かっている。俺かテート、あるいは二人で囮になって、若いカリスを逃がす。このまま三人仲良く全滅するよりは、そっちの方がマシだ。俺がパーティの頭目として出すべき結論はこれしかない。これしかないのに……。
「……どうやって逃げるんだ。体力にも限度がある。まして、ベヒモスは木々を薙ぎ倒して追いかけてくるんだぞ。俺たちにとっては障害物の多いこの森も、奴にとっては……」
テートの言う通りだ。真っ直ぐ走ったところで追いつかれる。
でも、逃げなければ。
「なら、さっきみたいに不意打ちで……」
「ダメだ。弓も魔術も無しで、奴の足を止める術を俺たちは持っていない」
三人掛かりで挑んだところで、一蹴されて終わりだろう。だから、俺が囮になるしかないんだ。
どうして?
「……ロブ、覚悟を決めよう。俺とお前で囮になって、カリスだけでも逃がそう」
「何言っているんですか! 二人が戦うなら、俺だって残ります!」
そうだ。覚悟を決めるんだ。戦うんだ。戦う。
どうやって?
「カリス、弓の引けないお前に何ができる? 勘違いするな。この中で一番足が速いから、お前を逃がすんだ。街まで戻ってギルドの応援を呼んで来てくれ」
応援なんて間に合わないだろう。だが、カリスがギルドで報告してくれれば、少なくとも俺たちの名誉は守られる。雑魚モンスターにやられた間抜けではないと。それで、死ぬ。
こんなところで?
「そんな……。イヤ、ですよ……。俺……」
「いいから行けよ、カリス。それとも、俺とテートが時間稼ぎもできねえ腑抜けだとでも思ってんのか?」
泣きじゃくるカリスの頭を力一杯撫でて、「見くびってんじゃねえぞ、オイ」なんて精一杯格好付ける。
俺は何を言ってる? どうして、死ぬんだ? ちっぽけな誇りの為に?
――醜くしがみついた「冒険者」の肩書きのせいで、俺は、死ぬのか?
「さて、行くぞ。ロブ。いよいよ、俺たちが英雄になる番が回ってきたみたいだ」
「ははっ、そりゃあ……笑えるな」
口が勝手に動いて強がりを言う。頭が勝手に動いて仲間に頷く。右手が勝手に動いて剣を抜く。足が勝手に動いて腰を浮かせる。
暴牛はもう目と鼻の先まで迫っていた。
「……こっちだ牛野郎ォォォ!!」
声を張り上げながら、俺は勢いよく根から飛び出した。木々の隙間から現れた俺を追うように、ベヒモスの鼻先が動く。
「グオオォォォオッッッ」
こちらの姿を捉えたベヒモスの紫の瞳には、怒りの色が浮かんでいた。雄叫びと共に前足で何度も地面を蹴った暴牛が、突進を仕掛けるべく構える。
「『ファイヤーボール』ッ!!」
その横っ腹にテートの放った炎の玉が直撃した。少しよろけたベヒモスだったが、その巨体にさしたるダメージは見当たらない。だが、それでいい。元々そんな事は期待していない。
剣を構えて、走る。またも不意の一撃を受けたベヒモスの意識は、完全にテートへと向いていた。
「うらああぁぁ!!」
ギリギリまで接近した俺は、奴の無防備な首を狙って剣を振り下ろした。
きんっ、という金属の折れる音と振動が、俺の身体を伝う。
次いで、腹部に大きな衝撃を受けた。
――気付けば、身体が宙を舞っていた。ベヒモスの角が上を向いている。首振りざまの一発で、俺は上空に跳ね飛ばされたらしい。
「ロブ!」「……ロブさんッ!」
木の枝をバキバキと下りながら地面へと落ちた俺の元へ、テートとカリスが走り寄ってきた。カリスの馬鹿は、結局戻ってきてしまったらしい。
「まぁ……逃げる、時間……ろくに、稼げなかったからな……」
俺を抱き起こしながら、カリスが首を振る。
右手に握っていた剣は、真ん中からぽっきり折れてしまっていた。テートも魔力を使い切ってしまった。万事休すだ。
俺たちが抵抗の意志を失ったことを感じ取ったのだろう。ベヒモスはゆっくりと近付いてきた。
閉じ込めたはずの恐怖心が、身体の奥からどんどん漏れ出てくる。
死。死ぬ。殺される。
嫌だ。逃げたい。でも、二人を置いて逃げられない。
こんな事になるなら、もっと真面目に、鍛錬に励むべきだった。
「何の為に?」と大人の俺が自問する。
「英雄になる為に」と子供の俺が答えた。
何だそれは? そんな事の為に、今日まで生きてきたのか?
一年前、心が折れたのに。本物の英雄を見てしまったのに。この期に及んでまだ、夢を見る気なのか、俺は。
――そんなの、もういい。もう、全部すっぱり諦めるから。
「神様、たすけて……ください……」
俺の呟きは虚空へと消える。
空腹の暴牛が、今まさに目の前の餌たちへと飛びかからんとした、その時。
「――見つけた」
突然、その少女は現れた。