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★願いを叶えるためならば

 ウガルゥさんが去ってからの午前の業務は、さしたる問題が起きることもなく順調に進んだ。


 早朝の忙しい時間を終えた後は、ぱらぱらと依頼完了報告にやって来る冒険者たちの手続きや、ギルドへと相談にやって来たお客様の対応、および新たな依頼の策定が主な業務となる。

 とはいえ、ここから夕方までは穏やかそのものだ。

 ホール内にはまだ多くの冒険者が残っているが、彼らの多くは情報収集やパーティの勧誘が目的で、私たち受付を利用することはない。空いたテーブルを適当に陣取っては、仲間たちと談笑しているだけだ。


 建物は出入り自由ということもあって、そうした休息中の冒険者たちを相手に商売を行う者もいる。鍛冶職人の若い徒弟たちは格安で武具の手入れを請け負っては技術を磨き、旅の行商人たちは遠方の珍しい道具や情報を売りつける。

 彼らはそうして日銭を稼ぐだけでなく、顧客のことを知りながら、自分の顔を売り込んでいるのだ。


 今日もまた、ホール全体に弛緩した空気が流れていた。

 ギルドの職員たちにとってもそれは同様で、入れ替わり立ち替わりホールに入ってくる“お客様方”について、いちいち気に留める者は誰もいなかった。


 ……この様子であれば受付の人数を減らしても問題はないだろう。

 そう判断した私は、ちょうど受付待ちの客が途切れた頃を見計らってカウンターから離れることにした。

 すでに手空きになっていたリホさんは、先ほど冒険者が提出してきた『人型モンスター増加に関する調査報告』とやらをつまらなそうに眺めている。


「リホさん。私は別の仕事をしてきますので、ここはお任せします。ある程度目処が立ったら、予定より早く教会へ行ってしまいますが……、一人で問題ありませんね?」


 ギルドマスターから色々と権威譲渡されている分、私は他の職員よりも多くの仕事を抱えている。回収した魔石を教会に納めに行くこともそうで、私が外出するのは特別珍しいことでもない。

 理由はそれで十分なはずだが、リホさんはとても不服そうだった。椅子の背もたれに身体を預けるようにしながら、彼女がいやいやと首を振る。


「えー。私一人じゃ不安ですよぅ。またいつ、ウガルゥさんが来るか分からないじゃないですか~」

「彼なら当分来ませんよ。サイクロプスの報酬をお渡しした後、すぐに次のAランク依頼の手続きをしていたじゃないですか。そもそも、その書類の準備をしてくれたのはリホさんでしょう」

「そうですけど~……」


「それより、仕事の手が止まってますよ」と指摘してやると、リホさんはつんと唇を尖らせる。

「でもでも」と駄々をこねながら手元の報告書に目を通し、「だってだって」と唸りながらも素早く書類の不備を見付けては羽ペンを走らせていった。

 甘えたがりなだけで、実務能力については全く問題ないのが彼女だ。


「あっ。条件とか報酬に納得いかなかったウガルゥさんが、ギルドに文句を言いに引き返してくるとかは!? 『娘(予定)のナギを出せぇっ!』って!」

「ありえません。他の冒険者ならともかく、ウガルゥさんに限ってそれはない」

「妙な信頼だぁ」


『自分と同等かそれ以上の強者と巡り会うこと』

 ウガルゥさんの言葉を借りるならば、その果てのない欲求を満たすためだけに彼は冒険者を続けているらしい。

 地位や名誉、報酬の多寡にすら興味がないような男なのだから、物言いを付けてくるはずもない。ある意味で勤勉なのが、彼の唯一残った美点だった。


「……これまでの傾向からいって、ウガルゥさんは依頼を受けたらすぐに出発します。時間的に、そろそろ街を出る頃でしょう。今度の依頼は前回よりも遠い地域ですから、最短でも戻ってくるのに十日は掛かるかと。安心してください」

「あっ! じゃあじゃあ、酔っ払ったエリックさんが『愛しのナギさんを出せぇっ!』ってギルドに殴り込んでくるかも!?」

「愛し……?? まぁ、それもないでしょう。エリックさんなら、ウガルゥさんがお供に連れて行くと言ってましたから。二日酔いで寝ているようですが、叩き起こして荷物持ちをさせると」

「かわいそうだぁ」


 エリックさんを連れて行くよう、ウガルゥさんに勧めたのは私だ。彼にはもっと冒険者として多くの経験をさせた方が良い、と。

 自分でもどうしてそのように変な気を回したのか、理由は判然としない。彼に冒険者時代の弟の姿を重ねてしまっている……、のだろうか。自覚はない。


「あとは~、えっと~……」と、なおも私をこの場に引き留めようと考えを巡らせていたリホさんだったが、妙案は浮かばなかったらしい。

 タイミング良く別の職員が近付いてきたこともあって、私と彼女の無益な攻防は一応の終焉を迎えた。


 私たちのすぐ側までやって来たその職員が、ためらいがちに私の肩を叩く。


「――少し、確認のお時間。いただいても、いいですか? ナギさん」


 陰鬱で地味な印象のその職員は、私と同時期にここで働き始めた女性だった。

 伏し目がちな彼女は、おずおずといった様子でとある依頼書の原本を差し出してきた。


「『行商人ジョン』の依頼。の、掲示期限について、なんですが……」

「本日の午後の鐘まで、でしたね。それが何か?」

「期限の延長。が、必要かどうか、確認すべきですか?」


 私は少し考えてから、首を横に振った。


「その必要はないでしょう。すべて事前の取り決め通りに」

「は、はい。では、そのように。はい」


 返事を聞いた彼女は深々と一礼をすると、やはりおどおどと周囲を窺うような素振りを見せながら静かに離れていった。

 丸まった彼女の背中を見つめながら、「何がそんなに怖いんだろぅ」とリホさんが唇を尖らせる。

 怯えの理由が明白なだけに、私は何も言えなかった。


「……でも実際、ヘンな依頼ですよね~」

「何の話ですか?」

「ほら、さっきの。『行商人ジョン』さんですよぅ」


 そんなことより調査報告書の確認を、と言いかけて私は口をつぐんだ。

 カウンターの上に置かれたままになっていたその紙には、すでに大量の訂正と追記が付されており、一番下の余白に大きく『全然だめ!!やりなおし!!』と殴り書きがされていた。

 私が別の職員の相手をしている間に終わらせてしまったらしい。

 やることのなくなったリホさんは、手慰みに羽ペンを指先で弄んでいた。


「『墓前に供える造花を作りたいから、その材料を手に入れて欲しい』でしたっけ~? で、材料は複数あって、採集可能と目される場所は全部ばらばら。報酬は最低ランク」

「つまるところ、採集依頼ですから。Eランクが妥当でしょう。ご本人の希望でもあります」

「ケチですよねぇ。それで冒険者たちが引き受けてくれないなら、本末転倒だと思うんですけどぉ……」

「ご本人がお見えにならないことには、報酬も条件も変更のしようがありませんから」

「『ジョン』さんの依頼って、私がここで働き始める前から掲示されてたんですよね? ……条件の擦り合わせとか依頼書の作成をしたのって、どの職員さんなんです?」

「先ほどの彼女ですよ。だから、負い目に感じる部分もあるのかもしれませんね」


 あの人って押しに弱そうですもんねぇ、とリホさんは声を潜める。


「ナギせんぱいは、『ジョン』さんに会ったことがあるんですか?」

「……ええ。ですが一年も前のことですし、どんな方だったかまでは――」

「そうですか~。そうですよね」


 不意に、入口扉の軋む音が鳴って、また一人来客があったことを告げた。新たにやって来たのは、商人風の格好をした男性だった。

 彼は一直線にクエストボードの前まで来たかと思うと、そこに居並ぶ依頼書を順繰りに眺めていく。そのまま一番端にある『行商人ジョン』の依頼の前までくると、すぐに踵を返してホールから去って行った。


 扉がゆっくりと閉まる様を、二人して黙って見つめていた。

 ホールは相変わらず冒険者たちの話す声で溢れており、職員たちはどこか集中力を欠いたまま目の前にある仕事に取り組んでいる。今し方やって来た男性の存在を気に留めた者など、この中にいるはずもない。

 ここ数年毎日のように見せられてきた日常風景は、今日もまた緩やかな小川に浮かぶ木の葉のように、気怠げな空気の中で目の前を流れていく。


「ねぇ、ナギせんぱい」

「はい」

「お仕事が終わったら、今日もご飯食べに行きませんか~? いつものお店で~、いつものフレンジートースト」


 瞳を潤ませたリホさんが、わざとらしく上目遣いに“お願い”をしてくる。男性冒険者相手ならともかく、私には通用しないことは理解しているだろうに。


「申し訳ありませんが、今日は弟と二人で過ごします。前々から、そういう約束をしていましたので」

「ざ~んねん。フラれちゃったぁ」


「そろそろ仕事に戻りましょう」と立ち上がりかけた私の手に、リホさんの指先が触れる。

 いつものように手でも握って甘えてくるのかと思ったが、頼りなく伸ばされた彼女の指は宙を彷徨ったまま、それ以上何も求めてはこなかった。まるで、私から手を握り返すのを待っているかのように。


 だが、これ以上時間を無駄に浪費するわけにはいかなかった。

 私は溜め息を吐き出すと共に、差し出されたその手をぱっと握り、すぐにぱっと離す。じゃれ合いに付き合えるのはここまでだ。


 私の素っ気ない態度に思うところがあったのか、リホさんは口元にふんわりとした微笑を湛えた。

 満足したようなあるいは諦めたかのような、どこか寂寥(せきりょう)を感じさせるその表情は、私の知らない顔だった。


「……いってらっしゃい、ナギせんぱい。お気を付けて」

「ええ。ありがとう?」


 奇妙な余韻を残したまま、私はその場を離れる。

「今日で終わり、か」とリホさんが漏らすのを、背中越しに聞いた気がした。

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[良い点] なんか怖い伏線が!?
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