地獄へようこそ!(2)
私、進藤素直はただ今、最高に“女子高生”をしております。
「――アタシ、マジでびっくりしちゃって。そしたら、あの子がさ――」
「ほぇー」
「えぇっ、そうなんですか。あ、そういえば八嶋さんが言ってたんですけど――」
「ほぇー」
「うはっ、何それウケる! ヤシマリ、アイツ本当に馬鹿だからなぁ――」
「ほぇー」
本来なら二人掛けであろうゲーム部備え付けのソファーも、小柄な百木さんとなら三人並んでも無理なく腰掛けることができました。
湯月さんは持参したお弁当を、百木さんは私が差し上げたカレーパンをちびちびと少しずつ食べながら(もしかして毒でも警戒してます……?)、きゃっきゃうふふとお話に華を咲かせていました。
一方の私はといえば、湯月さんから頂いたクッキーを無心でぽいぽい口の中へ放り込みながら、空腹に真っ向から抗っています。もうすぐ負けそう。
とはいえ、これはずっと思い描いていた女子高生らしいシチュエーションそのもの!
複数人のお友達と仲良くお喋り昼ごはんなど、数ヶ月前には到底考えられないことでした。
……まぁ、二人の流れるような会話スピードについていけない私は、「ほぇー」「よん」「うにゃん」と噛み噛みの相槌を打つことしかできていないわけですが。
そんなコミュニケーション周回遅れ系女子の私を置いて、湯月さんと百木さんの正統派ガールズトークは、次から次に新しい話題を生み出していきました。
「――それにしても、こんなに片付いてる部室って初めて見たかも」
「褒めすぎですよー。なんだか背中がムズムズしてきます」
「謙遜しすぎ。だって、アタシとヤシマリ、中学の頃はバスケ部に入ってたんだけどさ。そん時の部室ときたら……」
よっぽどな惨状だったのか、湯月さんが眉間に皺を寄せます。
湯月さんの言う通り、無駄な物が一切ないこの部室は、まるでオシャレなモデルルームのようです。百木さんの性格や印象ともマッチしていて、まるで彼女の為に特別に用意された空間のようにすら感じてしまいます。
先ほどまで歩いていた別館のカオスな廊下とは比べようもないほど、整理・整頓・清掃が行き届いています。この場にある無駄な物といえば、私くらいのものです。
「ひょっとしてゲーム部の人たちって、めっちゃキレイ好きとか?」
「うーん、どうでしょう。基本的には面倒なので、『掃除やるぞー』って決めた日に一度にまとめて一斉にって感じでしょうか」
「えー、怪しいなぁ。かなり掃除に力を入れてるように見えるけどなぁ。私物らしい私物も全然ないし。ね、進藤さん」
「よん」
「あはは?? えっと、どちらかというと、お金がなくて必要最低限の物しか揃えられなかった、っていう悲しい事実が……」
百木さんがソファーの座面を軽くぽふぽふ叩きます。
「これも買ったわけではなくて、卒業した先輩からの贈り物だそうです。というか、そこのパソコンや本も、部の先輩たちが少しずつお金を出し合って揃えていったようですね。おかげで後輩の私はとても助かってますが」
彼女の視線の先にあるスチールの棚には、色とりどりの背表紙をした本が高さ順に整然と並べられていました。
『幻想武器大全』、『ファンタジー生物事典』、『神話世界の歩き方』『異世界シナリオ入門』などなど……。
湯月さんも興味を抱いたようで、「ちょっと見てもいい?」と百木さんに許可を貰うと、棚から『ファンタジー生物事典』を持ってきてパラパラと眺め始めました。
横から覗き込んだその本の中には、幻想的な生き物それぞれの解説と共に、美麗なイラストが添えられていました。
『ドラゴン』、『ゴブリン』、『オーク』、『キメラ』……。
その中に見知った顔を見付けて、私は「あっ、『べひもす』さん」と指を差します。
「進藤さん、詳しいんですね」
「あい! 森で殴りました!」
「…………森……? ……殴っ…………?」
固まった百木さんを見て、湯月さんが慌てたように「ゲームでね!? ゲームの中で!!!」と付け足します。
……あっ、そっか。ロキさんとの仕事は秘密ですもんね。大事な創作物の内容を作者でもない私が勝手に漏らすなど、絶対にあってはならないことです。
ま、まだセーフですよね?
事と次第によっては、ロキさんから熱々鉄板ハンバーグ十皿を投げつけられる地獄の未来が待っていることでしょう。きっと夜も五時間しか寝れない。
湯月さんは「ありがと! 勉強になった」と勢いよく本をぱったんと閉じて、いそいそと本棚に収めます。私も「う、うあー勉強になったにょーん」と便乗します。
そんな私たちの(主に私の)様子を、百木さんは怪訝そうに眺めていました。
「そ、そう。ゲーム! 百木さんって、ゲーム作ってるんだよね!?」
「うにゃん!」
「えっ、はっ、はい。そうです」
「どんなの? ジャンルは? あっ、もしかして部外秘とか!?」
「別にそういうわけでは……。えっと、そうですね……」
私たちの妙なテンションと急な話題転換に困惑したのか、はたまた恥ずかしさからか、百木さんは再び「えっと」と言い淀みました。彼女は顎先にそっと指を当てると、深く考え込んでしまいます。
なんとか私の不用意な発言からは意識を逸らせたようで、ほっと一安心です。隣を窺えば、湯月さんも胸を撫で下ろしていました。
さっきまで賑やかだった部室に、ほんのわずかな静寂が生まれました。
クーラーの駆動音だけが耳に残り、この場所が外とは完全に切り離された快適空間であったことを思い出させてくれます。私の首筋や背中をべたべたと濡らしていた汗も、いつのまにか乾いていました。
ふと、「今、何分だろ」とスマホで時刻を確認しようとした湯月さんが、「もうこんなじか――んん゛!?」という奇妙な唸り声を上げます。画面を凝視する彼女の額からは、私とは対照的にダラダラと滝の汗が流れていました。
急にソファーから立ち上がった湯月さんは、こめかみを押さえて天を仰ぎ、いやいやと否定するように首を振り、それが止むと両手で顔を覆い、深い深い溜め息を吐き、それから意を決したように手にしたスマホをしゅばばばっと操作し始めました。
なんだか焦っている様子ですが、どうしたのでしょう?
心配になって声を掛けようとしたところで、しばらく沈思黙考していた百木さんが「強いて言うなら、ですけど……」ともったいつけるように口を開きました。
湯月さんは未だ鬼気迫る表情でフリック入力を続けていたので、代わりに私が「ほぇー」と応えます。
私、ゲームについてはサッパリなんですけど、そんなインテリジェンスな話し相手が務まるでしょうか……。
「強いて言うなら……」
「ほぇー」
「ジャンルは、シネマチックドラマチックサバイバル育成アクションRPGアドベンチャーですね」
「……ほぇっ?」
「シネマチックドラマチックサバイバル育成アクションRPGアドベンチャーです」
「……………………ほぇっ?」
聞き馴染みのない単語の連射に、私は自分の無力さを痛感しました。
これはいわゆるアレでしょうか、『船頭さんが多いとノリノリで山も登っちゃうよ☆』みたいなコトワザのやつですか。
部員のみなさんが持ち寄った企画案を一つの作品に詰め込んだ結果、方向性が一切まとまらなくなってしまったどうしよう的なやつですか。
……という内容を丁寧に丁寧にオブラートに包もうとして、
「みっ、皆様でお作りになられてらっしゃるでおじゃるから、全くもって支離滅裂なんでございましょうに候?」
と、包みをビリビリにぶち破った質問を投げ付ける私。さすが私。
湯月さんはやくたすけて。
ところが、百木さんは特に不快に感じた様子もなく、ただ不思議そうにちょこんと小首を傾げるだけでした。ずれてしまった眼鏡を両手でくいくいと直してから、人懐っこい笑顔を浮かべます。
「いえいえ、全部私のこだわりで候。シナリオ面もシステム面も、主に作業してるのは私一人ですからね。この部室も、今はほとんど私専用になってまして」
「そ、そうにゃん……」
なるほど。つまり『船頭さん一人でもノリノリで船担いで山登るよ☆』ってことですね。とんだパワー系です。私とは人間としてのスケールが違いすぎました。
ところで、百木さん以外の部員の方は……?
「残念ながら。2年生は一人も在籍してませんし、3年生は受験勉強で忙しそうですから。同学年の他の部員は、『幽霊』ばっかりでして」
「ゆ、『幽霊』?!」
慌てて周囲をキョロキョロと窺ってみますが、依然としてそこにはモデルルーム然とした、生活感のない室内の様相があるのみです。
さっきまで好意的に捉えていた部屋の印象は、今の「ここ幽霊出ますよ」発言ですっかり反転してしまいました。
「も、百木さん。その、幽霊さんは……あっ、足がないですよね……?」
「? ないのは『やる気』でしょうか。困っちゃいますね。あはは」
「!? 『殺る気』なら、ない方が良いのでは……。怖くないです……?」
「?? 怖い? あぁ、来年も部が存続するかは確かに心配ですね。なので、なるべく『出て』くれるように呼びかけてるんですけど――」
「!?? で、『出て』ほしいんですか?! だっダメですよ、今は向こうにその気がなくても、いずれは呪われたり、命の危険が――」
「??? えっ、危険? 私、呪われるほど彼らの恨みを買った覚えは――」
「えっ」
「えっ」
なんだか噛み合わない言葉のドッジボールを繰り広げていたところで、先ほどからずっとスマホと格闘していた湯月さんが、唐突に私と百木さんの肩をぽんぽんと叩きました。
「……百木さん。昼休み終わりまであと5分くらいあるけど、アタシたち、ちょーっと用事ができちゃったから、先に失礼するね。ごめんね」
アタシたち?
湯月さんが私に向かって意味ありげにパチパチと目配せをします。
「? そうですか。ではまた、教室で」
「うん。突然お邪魔しちゃった上に、突然出てっちゃってごめんね。行くよ、進藤さん」
「あの、百木さん。命は大事に――」
「ええと、放課後、楽しみにしてますね……?」
行きと同様、湯月さんにずるずると引き摺られながら、私は部室を後にします。扉が閉まる寸前、最後に聞こえたのは百木さんの「なんで命……?」という呟きでした。
◇
状況が上手く呑み込めないまま、湯月さんに手を引かれるのに従って、私は雑多な物で溢れる別館の廊下を歩きます。
もわっとした夏の熱気を久しぶりに味わった身体は、部室の快適さに溺れかけていた意識を引き戻すと共に、じんわりと現実との接点をを思い出させてくれました。
……そして、ポケットの中で異常な連続振動を始めたスマホの存在をも。
で、電波状況が悪かったのでしょうか、センターで止まっていたらしい通知が一気に押し寄せてきたようです。前を歩く湯月さんの方からも、ぽこぺんぽこぺんと軽快な音が聞こえてきます。
「落ち着いて聞いてほしいんだけどね。進藤さん、スマホを――」
ようやく階段の踊り場まで来たところで、湯月さんがそう切り出しました。
なんとなく続きの言葉が予想できてしまった私は、答え合わせをするように、取り出したスマホの画面をタッチしてみました。
えーと、未読のメッセージが21件あるそうですね、はい。
するとタイミング良くスマホが震えて、続けざまにもう一度震えて、さらに震えて、私がまごついている間に未読通知は24件まで膨れ上がりました。
祈るような思いで、「24」の数字が付いた「ロキさん」の項目をタッチします。
32分前『今日の放課後、いつもの場所で』
26分前『あれ? おかしいな。今は昼休みのはず。だよね?』
23分前『ひょっとして、ボクのことからかってる?(笑)』
21分前『残念だけどその手は通じないよ(笑)』
19分前『通じないよ?』
――――。
――。
2分前『どこ』
2分前『どこ』
1分前『なんで』
1分前『どこ』
1分前『やっとつながた』
たった今『うん、そうか。スナオは“お友達”とやらと遊ぶ時間を優先したわけだね』
たった今『分かった。それならボクにも考えがある』
たった今『今日はもうファミレスこなくていいよ』
湯月さんが「ロキさん、何て言ってた……?」と口元を引きつらせながら尋ねてきます。
現状を的確に表現する言葉を探しに探して、私はようやく一つの答えに思い至りました。
「強いて言うなら……」
「うん」
「ジャンルは、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームです……」
熱々鉄板ハンバーグを投げつけられる地獄の未来は、そう遠くないかもしれません――。