★正しい呪いの在り方(2)
擬音まみれで内容の薄いエリックさんの熱弁は、私とリホさんの飲み物が空になるまで続いた。
「――といった具合っすよ! いやぁ、とにかくあんな凄い技見ちゃうとですね……。親父殿が自分と同じ人間とは思えなくなりますよ。あれはきっと、戦乙女様みたいな天からの御使いか、神様の祝福を受けた戦士か……」
あれが神に選ばれた戦士だなどと、エリックさんは悪酔いでもしているのだろうか。リホさんも同じ気持ちだったのか、とても不快そうに顔を顰めていた。
「戦乙女、ですか。エリックさん、意外と信心深いのですね」
「あー、まぁ。故郷の村の長老たちの話を、ガキの頃は信じてたもんで。困ってる人のことを、戦乙女様は見捨てないんだーって」
「今はどうなんです~?」
「……信じたいって気持ちは、まだありますね。あの村を飛び出した俺が、親父殿やナギさんと出会えたことには、巡りあわせっていうか、導きっていうか……そういうもんを感じてます」
エリックさんの言説を素直に信じられるほど、私はロキ神への信仰に篤くない。
「とにかく、親父殿はすごい人だってことは、二人にも分かってほしいんすよ!」
「もう知ってますよぅ。すごい変態だって」
それでも、手持ちの判断材料を改めざるをえないのは事実だ。ウガルゥさんの力量について、かなり高く見積もっていたつもりだったが、それでも不十分だったらしい。
とにかく、彼のような実力者をエステルで遊ばせておくわけにはいかない。
明朝、ギルドへと完了の報告に訪れるウガルゥさんに対し、新たな依頼を提示できるように準備しておかねば。
回り出した私の思考を遮るように、リホさんが「はい、ナギせんぱい」と追加注文したエールを渡してきた。杯の中で揺れる水面には、眉間に皺の寄った渋い顔の私が写っていた。
「……それにしても、あのウガルゥ……さん、ってホントにAランクなんですねぇ。私はてっきり、女性の体臭を嗅ぎたいだけのヘンタイ野郎なのかと~」
「それは違うよ、リホちゃん。親父殿は相手が男だろうと、普通にくんくん嗅ぐ」
「そこ!? 何のフォローにもなってないですよぅ」
呆れた様子で頬を膨らませるリホさんを眺めていると、彼女が「せんぱぁい」と助けを求めるように猫撫で声で話し掛けてくる。
「ナギせんぱい。せんぱいって、他にもAランクの冒険者と面識あるんですよね~? みんな、あんなウガルゥ的なんですかぁ?」
「ウガルゥさん、ですよ。……そうですね、全員がああいった方ではありませんが、個性的な方は多かったように思います」
「へぇ、どんな人がいるんすか? 自分も興味あります」
「あくまで私の知る限りなので、既に冒険者稼業を引退した者も含まれますが――」
私の知るAランクは、ウガルゥさんを入れて五人。
神話の戦乙女と殴り合いたいと語っていた神父、全身から光を放っていた自称狩人、モンスターとの結婚を検討していた治療術師、死んだ家族の幻影と会話し続けている槍使い……。
リホさんが「うげぇ」と素直な感想を吐き出し、エリックさんは「親父殿って意外とまとも……いや、まともか……?」と思考の沼に足を踏み入れたようだった。
「どうしてこ~ぅ、変な人ばかりが強くなるんでしょ~。神サマの判断基準って、やっぱりおかしいですよねぇ。優しい人が一番強い、それでいいじゃないですか~」
静かに慎ましく生きられる者、家族を第一に思いやれる者、自己を犠牲にしてでも他者を助けたいと願える者。そういう心の清らかな人間ほど、擦り切れ、押し潰され、淘汰されていく。
「そういう世界なのだ」と訳知り顔で頷いてしまえば、それまでなのかもしれないが。
なんとなく左目が疼くような気がして、私は髪の上からそっと傷跡を撫でた。
「いやいや、リホちゃん。ああ見えて、親父殿だって優しいところもあるんすよ。例えばっすけど、俺みたいな行く当てのない流れ者に住処や食べ物を与えて――」
「お~。ジゼン活動ですね~」
「――与えた上で『同じ卓で食事を共にしたのだ。これはもう我の家族同然、いや家族だな!』と、半ば強制的に息子にしたり……」
「やっぱりフォローになってない!」
「ナギせんぱい、どう思います~?」と、突然リホさんが話を振ってきた。考え事をしていたせいで二人のやり取りを聞き流していた私は、咳払いをして適当に誤魔化すことにした。
「リホさんの、どうして奇矯な人ばかりが強くなれるのか、という問いですが」
「はいは~い、ずるいと思いま~す!」
「……あくまで私の考えですが、物でも人でも信念でも、何か一つでも拘れるものがあるか否かの差ではないかと思います」
「拘り、っすか」
「他の全てを切り捨ててでも、重きを置ける物があるか、ということです」
「それって、親父殿が何としても父親になろうとする、みたいな?」
私は首肯した。
もっとも、ウガルゥさんの「父親になる」という悪癖は表面上のものでしかなく、彼が真に拘っている何かはもっと根の深い部分にあるのではと感じている。
「……執着、没入。あるいは、“呪い”と言い換えても良いかもしれません」
私なりの冗談と受け取ったのか、エリックさんは「また物騒な表現っすね」と笑いながら頬を掻いた。
一方、リホさんはテーブルに残る食べかけのフレンジートーストを眺めながら「呪い……」と小さく呟いた。先ほどまでの快活さはどこへ、何か不都合な正解にでも思い当たったかのように、その整った顔に彼女らしからぬ難しい表情を浮かべている。
「ナギせんぱいは――」とリホさんが口を開きかけたところで、つかつかと給仕の男がやってきた。
その手には、先ほど追加で頼んでおいたフレンジートーストが二皿。
「えーと、はははっ……。もしかしてナギさん、またアレ頼んだんすか?」
「? はい。エリックさん、とても美味しそうに食べてらしたので。二皿もあれば、リホさんとも喧嘩しなくて済むでしょう?」
「いや、そういうことじゃないんすけど……ま、まぁ、頂きます」
急に狭くなったテーブルの上には、食べかけのフレンジートーストが二皿と、出来たてのフレンジートーストが二皿。
ここまで同じ料理ばかりが並ぶのも珍しいことだとは思うが、注文した経験のない味の未知数な料理を頼むよりも、こちらの方が遙かに効率的なのだから仕方ない。
何より、ここのフレンジートーストはとても美味しい。何も問題はないはずだ。
「ナギせんぱい。せんぱいも、変な拘りありますよね~……」
何故か呆れたように苦笑いを浮かべるリホさんは、いつも通りの彼女に見えた。
◇
結局、三人で店を出たのは夜も深まる頃であった。
「女性が夜道を一人歩きするなんて危ないっす! 自分が宿まで送りますよ、ナギさん!」
と、エリックさんが鼻息荒く申し出てくれたので、宿までのリホさんの護衛を彼に任せることにして(彼は間違いを犯すような人間ではない、と信じている)、私は遠慮なく一人で家路に就いた。
別れ際、リホさんとエリックさんは、二人して何か言いたげな微妙な顔をしていた。
思っていたよりも、帰りが遅くなってしまった。
豊穣亭から記念広場へ早足で戻り、そこから緩やかな坂を下って東へ。途中、見知った顔とすれ違ったが、二言三言交わすだけで済まして、とにかく家路を急いだ。
坂を下った一帯には、漁港で働く者たちの住処が立ち並んでいる。簡素な石造りの家並みがひしめき合う中に、私の借り受けた一軒もあった。
「……ただいま」
玄関の軋む音がうるさかったのか、返事はない。
真っ暗な室内を進んで、卓上の魔石灯を探り当てる。慣れた手付きでそこに小さな明かりを灯すと、掃除の行き届いていない部屋の有り様がぼうと浮かんできた。ギルドの応接室とは大違いだ。
ふと、視界の端に小さな人影が揺らめいた。
弟だ。寝室から出てきたように見える。
「おかえり、今日は遅かったね。お腹空いたよ」と、彼はとても不機嫌そうだった。
「ごめんなさい。それより、今日はお土産があるの。ほら、あなたの好きなフレンジートースト」
結局、エリックさんは追加で頼んだうちの一皿分しか食べなかった。強面な店の主人に頼んで、余った方はこうして紙に包んで持って帰ってきたのだ。
弟は「ふーん」と、機嫌を直してくれたのか、引いたままになっていた椅子にゆっくりと腰を下ろす。
食卓の上に残っていたゴミを簡単に片付けてから、私はフレンジートーストの包みをそのまま皿に乗せて彼の前に差し出した。
「最近、帰りが遅いけど――」という弟の微笑ましくもいじらしい小言を聞き流しながら、私もまたもう一脚の椅子に腰を下ろす。
「仕方ないでしょう。お姉ちゃんだって、あなたの為に頑張ってるんですよ……」
小さく反論しながらも、私の意識はすでに霧散しつつあった。椅子に座った途端、一日の疲れが一気に全身へと流れ始めたからだ。
食卓に頬杖をつきながら、私はうつらうつらと深い眠りに誘われていく。弟の声も徐々にぼやけていき、上手く聞き取れなくなった。
意識が完全に途切れる寸前、最後に目に入ったのは、紙に包まれたままのフレンジートーストそれのみだった。
嵐の前のなんたら的な日常回っぽい何か。